昭和ひとケタ樺太生まれ

70代の「じゃこしか(麝香鹿)爺さん」が日々の雑感や思い出話をマイペースで綴ります。

今年初めての「春採湖」

2006-04-29 18:19:52 | 日々の雑記
 春採湖は釧路市内のほぼ中央部に位置する湖です。

 先日NHK丹頂テレビ番組の中で、今年初めての探鳥会が行われ、かなり盛況だったとのことで、その模様の一部が放映された。その映像画面から遊歩道などが、清掃整備されているのを知った。それで早速くウォーキングがてら、老妻と連れ立って出掛けた。

 このところ毎日のようにあった、10メートル前後の風が突然凪いで、気温も最近に無く12度と、ウォーキングには誂え向きの日であった。

 湖の周囲は相も変らぬ枯れ色一色だったが、南向きの日当りの良い場所には、フキノトウの花が広がり、その中に15センチほどにも伸びた「コケイバイソウ」、それに「エゾエンゴサク」が、枯れ草ばかりの遊歩道を彩っていた。
 また昨年楽しませて貰った、マガモやオオバンそれに真鯉緋鯉までが、足音を聴きつけて元気な姿を見せ、我先ばかりと岸辺に寄って来て餌をねだる。
 鯉の類いは別として、この水鳥たちは昨年見たのとは全然別なのだろうが、私には全く同じに思えて懐かしかった。

 穏やかな天候に恵まれ、心ゆくまでのんびりと、ウォーキングと水鳥ウォッチングが堪能出来て、とにもかくにも満足した一日であった。
 まだまだ枯れ色一色だったが遊歩道などは清掃されていた。

 コケイバイソウ

 エゾエンゴサク

 種は違っても大の仲良し!

オオバン君一緒に遊ぼう!



たったの二輪だけど・・・

2006-04-27 15:43:58 | 日々の雑記
 先日このブログで、自転車道路沿いの住宅の庭で見つけた、先駆けて咲き誇る福寿草の一叢を載せた。それから10日ばかり経った昨日のことだった、我が家の狭い庭先で福寿草が咲いているのを目にした。たった2輪だけの侘しい眺めだが、我が家の草木の中で、今年一番先に咲いた記念すべき花である。
 先日ウォーキング先で見つけたものに比べると、花弁もまだまだ貧相で色合いも薄く、茎も細くて如何にも頼り無げである。
 しかし自転車道路で見た福寿草は、南向きで陽射しを遮るものは全く無いから、恐らくお日さんを一日一杯独り占めにしていたのだろう。それに引き替え我が家の庭は、確かに同じ南向きには違いないのだが、家が犇く住宅街の中だから、日の当る時間も限られている。
 それにしても、これほど恵まれない条件のもとでも、ひたすら春を待つ歳老いた主のために、恐らく硬い凍土をものともせずに、陽の光を求めて健気にも咲いてくれたのであろう。
 今年は気象条件が思わしくなくて、時には時季外れの雪があったり、また10メートルを越す強風が連日吹き荒れたりで、日頃からもどかしく思って矢先に、良くぞ咲いてくれたものである。チッポケで僅か2輪だけの福寿草だが、春一番の贈り物に癒やされていた。
 
 まだまだ春は遅々として進まず、もどかしさが一杯のこの頃だが、この福寿草を魁として、今は未だ固い蕾の儘ながら、我が家の草木たちは次々と咲いてくれるだろう。
 次に咲くのは何だろう。・ツツジ・それとも千島桜かな・・・?
否・やはりレンギョだろう!


 折角の福寿草も、時ならぬ春の雪に見舞われてしまった。これも自然界の試練なのであろうか。
我が家の庭で今年初めて咲いたたった二輪の福寿草

せっかく咲いているのに意地の悪い雪の下敷きに・・・


朝鮮かくれんぼ・・・少年期の想い出から

2006-04-25 17:52:07 | じゃこしか爺さんの想い出話
 < 夏の遊びから >

 夏の遊びとしては、「パッチ(メンコ)、ビー玉、釘さし、竹馬、コマ、ケン玉、陣取りetc…」が一般ですが、他にチーム別に分かれて遊ぶものとして、「朝鮮ベース、三角ベース、軍艦遊戯」などがありました。

(Ⅰ)・・・朝鮮かくれんぼ・・・
 
 当時の私たち子どもの遊び場所は、家の近くの長屋と長屋との間に、ちょうどテニスコートの二つ分ほどの空き地があって、そこが当時の私たちの遊びに使われ、休日や夏休みなどのに良く利用したものです。

 この「朝鮮かくれんぼ」は、当時私たちが良く遊んで居たものの一つで、代々子ども達に伝えられて来たものです。なおこの遊びがこの地域だけのものだったのか、或いは樺太全体での遊びであったのどうかは、未だにはっきりとは分かりません。

 その頃の遊びの中には、他に「朝鮮ベース」というのも在りました。それらの名前からして、朝鮮人が名付けたのか、また朝鮮人によって持ち込まれた遊びのかどうかは、全く分かりませんでしたが、とにかくその当時は朝鮮人とかの区別無く、夏休みなどには毎日飽きること無く一緒に遊んだものです。

 さてそれはどんな隠れん坊かというと、普通の隠れん坊は鬼と子に別れて、ジャンケンで負けた者が鬼になり、その鬼が目を瞑って一定の数(ダルマさんがコロンだ)を数える間に、子達は一目散に散って隠れるのものですが、この隠れん坊の場合は、予め一尺(約30セン)ほど棒(木の枝)と、缶などのようになるべく音の響くものを用意します。それからジャンケンで一人の鬼を選び出し、子になった者の内の一人がその棒を出来るだけ遠くへ投げ、鬼がそれを拾いに行っている間に、子たちは一斉に隠れるのです。鬼が子を見付けた場合には、急いで缶のところへ戻って、「○○君見付けた」と大声で叫んで缶を叩くのです。

 この鬼の棒の投げ方如何で、遊びの雰囲気が違って来ます。棒を投げる役目は子側にあるのですが、手許狂って近い処に落ちた時などは、ゆっくり隠れる時間が短くなり、隠れ場所が見出せぬままに、ウロウロしている内に見付かってしまいます。その反対に遠くへ飛ばせた場合には、隠れる側に余裕が出来て有利に身を隠せるのです。そして鬼が探しあぐねて居る隙を狙って、子たちが棒を取り上げることも出来、それで空き缶を叩けば子たちの勝ちとなり、鬼は再び鬼役になり遊びが再開されるのです。
 こうして延々と遊び続けますが、飽きて来ると次の遊びに移るのです。この場合みんなで話し合って、遊びの種類を決めていました。

 ・続く・ 

春なのに・・・

2006-04-23 18:08:06 | 日々の雑記
 ウォーキングの気分転換にと、今年初めて街中の公園を訪れてみたが、まさに歌の文句どおりで「なにも無い春」そのものだ。

 先月末まで残っていた、公園内の雪は跡形も無く消えていた。4月には冬と春が同居すると云われ、先日も連日の雪があったばかりのこの季節にしては、穏やか過ぎる春の陽射しのもと、萌え出たばかりの草の青さが僅かに目に付くだけで、辺りに広がる雑木林にも陽は一杯に当っていたが、鈍色に静まり冬枯れ一色であった。
 直ぐ目の前の木立に視線をめぐらせたが、どの樹木にも蕾の兆しすら見られず、昨年秋の雪が来る前に目にした時の、未だ硬いままの枝が広がっているだけである。 それに土曜日の昼日中と云うのに、散歩者はおろか野良犬一匹さえ通らない。ときおり通り抜け専用道路を、女子高校生が連れ立って、足早に通り過ぎるのが目に付くだけである。また公園の半分を占めるパークゴルフ場にも、人影が無く、ただ枯れ葉が風に舞っているのみだった。

 一瞬この穏やかな天候とは裏腹に、ウォーキングとは全く別の場所に来てしまったのでは無いかとの妙な錯覚に陥った程である。

 折角の好天だからと、公園の二区画ほどは歩くつもりだったのだが、公園の他の三区画も似たり寄ったりで、恐らく見るべき物は無いに違いないと判断した。  
それに昼食時間も過ぎていたので、とりあえず今日は、この区画を一周するだけにして引き上げた。
公園内何処を眺めても冬枯れ一色だった!

ただ寂しいばかりのパークゴルフ場


少年の日の想い出<夏の遊びから>

2006-04-20 17:30:40 | じゃこしか爺さんの想い出話
             ・・・山城(隠れ家)つくり・・・
    
 戦局の拡大からの石炭の需要の増加に伴ない、炭鉱町の人口が日を追って増加していった。それに伴い小学校の生徒数が増えて遂に教室の不足を来たし、三学年から六学年の授業は、午前の部と午後の部に分けられ、いわゆる二部授業が実施されるようになった。

 学校とは朝早くから行くのが当然と思っていただけに、それが昼からとなると、時間の調整に戸惑い時間を持て余すようになった。そう云っても勉強は手につかず、遊ぶにも近所の遊び仲間の数が満足に揃わず、時間潰しの遊び相手は、偶々二部授業で午後の授業となっていた弟だけだった。
 当時私たちの間では山城作りが流行っていた。城と云っても、丈の高い松を骨組みにしただけの、簡単な隠れ家のようなものだった。更に周囲の監視のための見晴台を設け、その上他人からは見付かり辛いように、その周りを枝葉で囲って迷彩を施した。

 私と弟は居住性を良くするために、普通は枯れ枝などを組み合わせて作る床板を、わざわざ家からベニヤ板を持ち出して作り、座ることも寝そべることも出来る、居心地良いものを作り上げた。
 
その日は秋も半ば過ぎの頃で、朝から気温が低く、冬の近さを思わせるような日であった。例によって私と弟は学校道具を手に山城へ向かった。昼までここで過ごそうと思っていたのだった。暫らくすると肌寒さを感じるほどになって来たので、予め暖房用にと用意してあった、一斗缶の半切り缶の底に土を敷き詰め、枯葉と枯れ枝などを集めて火を点けた。初めの内は煙が燻って目が痛いくらいだったが、その煙も煙出しから流れ出して行き、小屋は再び元の快適さに戻っていった。
その後しばらく弟と話していたが、やがてそれにも飽きて、小屋の屋根上の見晴台に登って周辺を見回して驚いた。

直ぐ山の下の住宅詰所前に大勢の人たちが集まっていて、こちらを指差して騒いでいるのが見て取れたのです。
 初めは何事かと不審に思ったのですが、直ぐに此処の煙の所為だと気付きました。取敢えず弟と手分けして火の始末だけをして、その場から逃げ出しましたが、途中で詰所の係員に見付かり詰所に連れて行かれました。
 早速く母が呼ばれて親子共々きついお叱り受けましたが、日頃は一応優等生で通っていたこともあって、学校にも知らされず、また警察沙汰になること無くその場だけの説教で返されました。

 今にして想えば何とも無茶なことを仕出かしたもので、一歩誤れば山火事に至っていても、決しておかしくないほどの危険な事だったのです。
 山城はその時直ちに解体されてしまい、私たちも山城遊びはもう懲り懲りと、当分の間は山に入る事さえしませんでした。

フキノトウ料理

2006-04-18 16:51:57 | 日々の雑記
 先日訪れた自転車道路で「フキノトウ」の新芽を目にした時、早速く摘んで帰ろうと思ったが、その道路が人家近くで、犬の散歩に良く使われているのに気付いて断念した。それ以来昨年味わった「フキノトウ」の味覚が甦り、その食欲の虜になっている。 山菜の一種で珍しくも何でもない、たかが「フキノトウ」に何故それまでに、と思われるかも知れないが、70余歳の老人には何にも替え難い、この時季ならではの旬の味なのである。  そんな矢先の今日の午後、娘がサイクリング出掛けた先の湿原で、新鮮な「フキノトウ」を見つけたからと云って届けてくれた。 それは顔を出したばかりと思われ、色合いまだ淡い薄緑のフキノトウであった。さっそくその日の夕餉の食卓に並べられ、まさに一年ぶりの懐かしい味覚を、心行くまで堪能した。  「フキノトウ味噌」は味噌の香に、独特のほろ苦さが程好く混ざり合って、実に味わい深い味覚を醸し出していたが、どちらかと云うと私は天麩羅の方が好きだ。皿の盛った場合の薄緑は、まさに春一番の味覚の象徴、フキノトウならではの色合いである。またフキ味噌には無い香りとほろ苦さは格別で、塩とテン汁の二種類で賞味した。因みに少量の酢を加えた衣のサクサク感は、更なる忘れ難い味わいとして残った。

 たかがフキノトウに、これほどまでにと思われるでしょうが、野菜・果実・魚類の旬が無くなって久しい云われ、世の中の食生活はどんどん便利になって行きます。それはそれで良いことなのでしょうが、何故か一抹の寂しさを感じます。この年寄りの味覚への執着心は、古き良き時代に対する、一つの郷愁なのも知れません。
   
      娘が釧路湿原から摘んで来た「フキノトウ」 

     早速く天麩羅にした「フキノトウ」        



今年初見の福寿草

2006-04-16 12:45:57 | 日々の雑記
 街中の雪が漸く消えて、日中の気温が久々に8度を越え、更に連日の強風も治まった昨日の昼間、先日に次いで自転車道路に出掛けて来ました。
 先日は病(風邪)み上がりの身には、川風の冷たさが応えて、早々に逃げ帰ってしまったのですが、この日は青空の下久しぶりにウォーキングが満喫できました。このところ毎日のように、室内で歩きと筋トレの鍛錬を続けて来た所為か、久々の外歩きにかかわらず、少しも疲れませんでした。
 家を出る時に当てにしていた阿寒連山は、残念ながら連山の辺りだけが、春特有の薄雲に覆われて、僅かに麓だけしか見られなかった。ところがその代わりに、道路添えの住宅街の庭で、真っ黄色に咲き誇る「福寿草」の一叢が目に飛び込んで来たのです。その強烈な彩りに、先ほどまでの落胆は消え失せ撮影するのも忘れ、暫らくは呆然と見惚れていたほどでした。
 
 このところ季節外れの降雪もあって、春の遅さに苛立ちを抱いていた矢先だけに、この時に目にした福寿草はとにかく新鮮でした。
 
 やや大袈裟なことですが、この日カメラに収めて来た福寿草を、その後何度もなんども繰り返し眺めては、その都度癒やされ満足していた次第です。
これは約半年間に亘り、雪に閉ざされていたからこその、喜びと感動だったのではないかと思います。
             今年初めて目にした彩り鮮やかな福寿草

                  同   上

        福寿草とウォーキングが満喫できた自転車道路


両親が愛した歌(想い出より)

2006-04-13 18:06:38 | Weblog
 
 おこがましくも自分史なるものの纏めている所為か、最近両親の事がしきりの思い出されます。両親が夫々他界してから、約60年ほどの歳月が過ぎております。そんな訳で、私が両親と一緒に暮らしたのは、せいぜい14~5年位のものでしたが、その限られた年月に得たそれぞれ両親の想い出は、色々と数え切れないほど残っております。
 山ほどある想い出の中で、特に想い出されるのが、日頃から良く口ずさんでいた次の歌です。

 父の場合は無類の酒好きでした。普段は余り歌などは口にする事無く、どちらかと言うと無口で、小さかった頃の私らにはとても怖い存在でした。しかし一旦酒が入ると別人のようになって、歌い果は手振り身振りで踊り出すほどに俄然賑やかになります。更に興に乗って来ると長兄などを掴まえて相撲を初め、疲れると処かまわず寝入ってしまいます。
 その父が酔うと何時も怪しげな呂律で口ずさんでいたのは、「鴨緑江節」と題名が未だ思い出せない次の歌です。
一番の歌い出しが「またも雪空・・・」で、終わりが「えぇ-えぇ満州が気にかかる」でした。特に終わりの「満州が・・・」の部分に来ると声を張り上げるので、ここだけは、今なおしっかりと記憶に残っているのです。

 母は小柄の人で、近所でも有名な働き者でした。洗濯は殆ど毎日のようにしていたようで、「カラスの鳴かない日はあっても、洗濯物が干していない日は見たことが無い」と、近所で噂されて居たそうです。
 その母が台所仕事や洗濯をしながら、いつも鼻歌まじりで歌っていたのが、「砂山」でした。他に母自身が好きだったのか、事あるごとに歌いそして教えて呉れたが、下記唱歌でした。それらの中で60年余経った今でも、はっきりと覚えているのは次の唱歌で、今でも何かの拍子に何気なく鼻歌などで歌っている自分がいます。
 
                   <砂山>

              海は荒海向こうは佐渡よ
             すずめなけなけ、もう日は暮れた
             みんな呼べ呼べ、お星さま出たぞ


                  <青葉茂れる桜井の>

                里のわたりの夕まぐれ
               木の下陰に駒とめて
               世の行く末をつくづくと
               忍ぶ鎧の袖の(え=上)に
               散るは涙かはた露か


                  <青葉の笛>

               一の谷の軍(いくさ)破れ
               討たれし平家の公達(きんだち)あわれ
               暁き寒き須磨の嵐に
               聞こえしはこれか青葉の笛

 
                  <一寸法師>

                指に足りない一寸法師
               小さい体に大きな望み
               お椀の舟に箸の櫂
               京へはるばる上り行く


 そして歌いながら父母を想い出しているうちに、知らぬ間に口じさんでいるのが次の歌です。
             
                 ・・・「母の歌」・・・
            
               母こそは 命のいずみ
               いとし子を 胸にいだきて
               ほほ笑めり 若やかに
               うるわしきかな 母の姿

久しぶりの自転車道路

2006-04-10 19:00:59 | 日々の雑記
 このところ連日のように吹いていた風が、少しばかり凪いで来たようなので、久しぶりに自転車道路を歩いて来た。2月半ばに引いた風邪以来で、この間週に二度の降雪があったりして、病み上がりの老人がウォーキングに出掛ける機会は、殆ど無かった。

 今日だって晴れたり曇ったりの天候で、初めから外歩きの予定は無かった。ただ買い物帰りに近くを通ったついでに、様子見方々に立ち寄ってみたのであった。道路の雪は全て無くなり、路面もきれいに乾いていたので、突然歩きたい気持ちが起きて車を降りた。約一ヶ月半ぶりのウォーキングであった。

 寒いさむいとぼやいていたのだが、季節はもう四月半ばで、春の真っ只中である。その証しに、枯れ色ばかりの道端の日向には、緑も鮮やかな「蕗の塔」が幾つも顔を出していた。
 それを目にした瞬間、俄然食欲(フキノトウ味噌・天麩羅)をそそられたが、この道路は日頃から犬の散歩に良く利用されていることに気付き、その食欲をぐっと押し殺して、カメラに納めるだけにした。それに風は穏やかとは云いながら、近くの川風はやはり身に沁みて来る。長居は無用と少しだけ歩いて、早々に引き揚げて来た。

 雪が無くなりきれいに乾いた自転車道路

顔を出した「フキノトウ・Ⅰ」

「フキノトウ・Ⅱ」



民主党代表選挙

2006-04-08 16:53:56 | 日々の雑記
 昨夕民主党の新代表に、党副代表だった小沢一郎さんが、相手候補の元代表菅直人さんを破って当選しました。
 かつては日本の政界に二大政党の萌芽とも云われ、一時は自民党に凌駕かとも思われる時期もありましたが、昨年の秋に行われた「郵政民営化選挙」戦では、見るも無惨な敗北を喫してしまいました。
 そこで党の命運を賭け、一挙挽回を図って登場した前原代表でしたが、それも鳴かず飛ばずの儘に、このたび所属若手議員の余りにも大きな勇み足により退陣、そして登場して来たのが今回の小沢一郎新代表です。
 小沢さんについては自民党時代から、何かと話題の多い人物である事は周知のとおりで、今更ここでくどくど繰り返すことでも無いでしょう。

 さて今回の所謂「偽メール事件」の発端は、民主党所属の若手議員の国会発言からなのすが、だからと云って今回の彼の行動は一方的に責めるのは、如何なものかと思われます。
 今回の彼の行動には、一種のスタンドプレー的であったのは確かですが、若手議員の折角の進歩的な芽を摘んでしまうのではないかと、別な意味から心配でならないのです。最近の傾向として、折角国民の代表として選ばれていながら、所属派閥に埋没して唯々諾々として、あたら議員を終えて仕舞う者の数も、決して少なくないことを知れば、これは憂慮すべきことだと思います。

 今の民主党を思えば、今回登場の小沢さんの前途は、ただただ厳しいものばかりと言えるでしょう。政権奪還はもとより大事でしょうが、何よりも国民の理解と支援の獲得に全力を傾注して欲しいと思います。
 現役を退いて久しい老人の戯言かも知れませんが、今の我が国の絶対多数による一党支配の構図を思うと、是非とも二大政党体制の必要性を痛感いたします。二大政党が対等に近い勢力で、是々非々と議論してこそより健全な政治が行われ、多くの国民もそれを望んでいるのではないでしょうか。そこに国民は等しく納得した結果、小さな痛みにも大きな痛みにも耐えてゆけると思います。そうした政治の世界の、一日も早い到来を強く思い願う次第です。

 この事件は元はと云えば、彼一人の勇み足に違いないのですが、一時は国会での時の人と持て囃されるほどに名を上げたものでした。しかし判断力の欠如と詰めと脇の甘さが、出所身体の場を誤りそれが結果的には命取りとなってしまいました。
 「己の撒いた種」とは云いながら、今回の事は彼にはかなりの痛手でしょうが、彼の若さと可能性を思えば、早い復帰を願う選挙民も多い筈で、今後の大いなる成長を強く期待する次第です。