昭和ひとケタ樺太生まれ

70代の「じゃこしか(麝香鹿)爺さん」が日々の雑感や思い出話をマイペースで綴ります。

免許更新

2012-08-28 17:28:19 | 日々の雑記
  高齢者運転講習会を受けて無事に合格したことを、先日のブログに載せましたが、免許更新期間の誕生日も過ぎたので、今日更新を済ませて来ました。
 誕生日が来たので、早く片付けてしまおうと思いながら、やはり面倒さが先立ち今日まで伸び伸びになってしまいました。
 更新場所の運転試験場までは、車で30分ほど掛かります。それに殆ど国道38号線を通らなければならないので、途中大型車などで結構込み合うこともしばしばでしたから、少し余裕をもって9時半に家を出ました。
 更新前の講習などは、先の高齢者講習で既に済ませておりましたから、急がなくても良かったのですが、実はその日、試験場の方向に所用が出来たので、そのついでに済ましておこうと決めたのでした。

試験場に入って直ぐに声を掛けられたのは安全協会の窓口からでしたが、これは天下りなどの問題で前回から加入を辞めておりました。
今回も加入する気は毛頭ありませんでしたから、軽く頭を下げて無言で素通りしました。
 そして唯一つあった視力検査も無事に済ませて、更に顔写真も撮り終えて約30分ほどで、無事に新しい免許証を手にすることが出来ました。

 何はともあれ今日から3年後の誕生日まで、ゴールド免許で乗り回すことが保証されたのでした。
 但しボケ無い限り・・・ですが?

良く「宵待草(よいまちぐさ)」と呼ばれますが,ほんとうは「待宵草(まつよいぐさ)」です。竹久夢二の「待てど暮らせど 来ぬ人を 宵待草の やるせなさ」がこの通称を広めたのでしょう。









はなはな広場

2012-08-23 16:43:43 | じゃこしか爺さんの見て歩る記
        ※ 街中の 何処へ行っても 歩いても
          今なお残る 亡妻のおもかげ


 
 先日約一年ぶりに{はなはな広場}に行ってきました。昨年は亡妻の入退院で行く機会が無かったのでした。

ちなみに{はなはな広場}とは、街中の主要道路6本を横断する柳町公園の一画で、規模では劣りますが公園全体の広さでは、札幌の{大通り公園}に劣りません。
雑草取りなどは小まめにされておりましたが、ただ木々や花々の数は年々減ってゆくようで、とても寂しさを感じました。
これもやはり市の財政がかなり逼迫されているからで、公園の花木にまでは充分に手が回り切れない所為なのでしょう。
それでも芝生は綺麗に整備されていたので、歩きだけは好きなように順調に出来ました。
ただ花壇の花の種類などは嘗ての華やかさに劣り、花撮りの気も落ち込みガッカリさせられました。
それに又広い公園無いには人影は無く、以前亡妻と来て一休みした東屋などは、ひっそりと寂しさのみが眼に残りました。

例年より花の種類や数が減った花壇

 




八十歳の誕生日

2012-08-18 16:53:51 | 日々の雑記

 たかが田舎ジジイの誕生日など、特にどぉって事はないのですが、良くぞ生きた八十歳・・・我ながら愛しく思うしだいです。
 しかしそうは云っても、やはり加齢の証なのでしょうか、正座が出来なくなったばかりか、その上に最近では胡座さいもが完全に出来なくなりました。
 それに目の方も、雑誌はもとより新聞などでも老眼鏡などは不要で、知人等からも随分と羨ましがられたものですが、大分あやしくなりました。
 但し今はまだ老眼鏡までには至りませんが・・・

 しかし昨年妻に先立たれてからは、娘との二人暮し、娘の世話で安穏な日々を送っておりますが、おのれ自身のことは自分独りで見なければなりません。
 それにつけても思い知らされるのは体力の減退で、その上根気(持続力)や記憶力などは毎日のように思い知らされます。

この先の生活は、病気になったり呆けたりしたら、一体全体如何なるのか、八十歳にして初めて知る不安感、病んで長く苦しみ、更に周りに迷惑を掛けるのなら、いっそのこと事故か心疾患で瞬時にこの世を去りたい。
そんな弱気な思いにとらわれる一方で、野菜と魚類主体の食事に、更に自転車漕ぎなどで健康に拘る日々を続けているのです。

独りで、色々な事に思い惑う、今日八十歳の誕生日でした。

 なお以前亡妻は、手作りの握り鮨などで祝ってくれましたが、そんな無い物ねだりは無理なので、今日は近くの量販店で買ってきて陰膳を供えて、娘と三人で食べました。

亡妻が特に愛でていたエリモシャクナゲ今年は一輪だけ花を咲かせました





花撮り歩る記~町内散歩

2012-08-13 16:59:32 | じゃこしか爺さんの見て歩る記
 今内地では、高気温による熱中症の被害者が多数出ていて、またそれによる死亡者も後を絶たないようです。
 まことにお気の毒なことで、心からお見舞い申し上げます。

 しかし道内でも東部地区だけは蚊帳の外で、暑さによる熱中症などはまったく心配は要りません。
 何しろこの夏の夏日は唯の一日、殆ど20度前後の日が毎日で、むしろ一人寝の年寄りにとっては、大袈裟ですが冷体温症が心配されます。

 当地の夏の涼しさは良く知られているようで、市や商工会の関係者たちは今、真剣に避暑地としての滞在型観光客の誘致に取り掛かっているそうです。
 本州の大学のスポーツ部や、オリンピック選手の強化合宿が招致されており、現に現在アジア大学の野球部が合宿を行っております。


 そんな当地ですが、秋は最高なのです。特有のガス(海霧)は無く毎日が晴れ渡り、落日夕焼けが最高です。
 地元では、日本一の夕焼けと自慢するほどです。

 さて、そんな毎日が続いておりますから、私には外歩きは無理なので、運動と言えば室内での自転車漕ぎに限られます。
 
 このところずうっとそんな調子で過ごしていましたが、夕方近くになってから、霧が晴れて珍しく青空が現れて来たのです。
 週間天気予報からして、この後暫くは外歩きのチャンスは無いだろうと、何はともあれとっさにカメラを手にして外へ出たのでした。
 そして夕刻に近いので車を出すまでも無く、先ずは徒歩で、町内会の班内だけを回ろうと決めたのです。
 普段は車でしか通っていないだけに、改めて徒歩で行くとそれぞれの家の庭などが良く判った。
 同じ班内の住人とは言えながら、たまたま出会えば目礼だけで済ますまして人とか、また初めて顔を合わせた方々との会話も出来て、それなりの収穫もあったひと時でした。












久しぶりの湿原夢ロード

2012-08-08 16:49:07 | じゃこしか爺さんの見て歩る記
          湿原の 亡妻(つま)と過ごした 憩いの場
           今は荒れはて 見る影もなし


 この度住宅外れにあるクリーニング店へ行った折、いつもの海霧が晴れ始めたうえに、予想外に雲の切れ間から青空さえ現れ始めたので、久しぶりに歩こうと思い立ったのです。
 近頃はあまり天候に恵まれず、毎日のように霧や曇り日が続いていましたから、外歩きは出来ず運動と言えば室内での自転車漕ぎが殆どでした。
 そんなことで、さっそく其処から少し先にある、自転車道路{湿原夢ロード}を歩くことにしたのです。
 ここ夢ロードに来たのは、昨年亡妻の発病で殆ど来ておりませんから、本当に久しぶりでした。
  
 来てみて先ず驚いたことは、以前はあれほど咲いていた草花などは見当たらず、雑草ばかりが丈高く生い茂っているばかりでした。
 小鳥たちも鳴き声ばかりで、その姿は雑草に遮られて全く見えません。

 亡妻との想い出の多い鶴野の休憩場は、そのまま残っておりましたが、 子どもたちが賑やかに戯れていた遊び場は、ブランコやジャングルジムに滑り台などの遊具は全て取り払われて、嘗て亡妻と来て過ごし夏の日の面影は無く、ただ寒々と風が吹くばかりでした。

想い出

鶴野休憩場

遊具などが消えてしまった




ハマナスの花

2012-08-04 17:16:59 | じゃこしか爺さんの見て歩る記
 この花を目にする度に必ず想い出すのが、夭逝の詩人として広く知られている彼の石川啄木の

      潮かおる 北の浜辺の 
        砂山の
      かの浜薔薇よ 今年も咲けるや

 短歌です。

 そして、{北の浜辺}とはいったい何処を指すのだろうかと、彼が訪れたであろうと思われる道内のあちこちに思いを馳せるのです。
 たとえば小樽の周辺や石狩の浜辺などで、特に石狩に付いて啄木は他にも色々と詠んでおりますから・・・

 なお私が啄木を知ったのは、樺太時代の小学6年の頃で、隣のお兄さん{中学生=旧制}から、歌集を詠んで貰ったことからです。
 そして私は、ハマナスの花を目にするたびに、次の短歌を想い出し、さらに併せて樺太の少年時代をです。

          石狩の 美国といえる
            停車場の
          柵に乾してありし 赤き布片かな

 ちなみに{美国}とは、空知郡の美唄市ことだと思います。なお美唄市は樺太から引揚げて来て住んだ炭砿町で、私は此処で20年近く暮らし就職も結婚もしました、いわば私に第二の故郷です。
 そんな事から、この短歌が記憶に残っているのです。

ハマナスの花

同    上

同    上