昭和ひとケタ樺太生まれ

70代の「じゃこしか(麝香鹿)爺さん」が日々の雑感や思い出話をマイペースで綴ります。

お蔭さまで年越しが・・・

2007-12-31 20:06:08 | 日々の雑記
 秋口からの身体の不調で、無事に年を越せるかどうかの心配もあったのですが、どうにか今日の大晦日を迎えることができました。
  
 昨日までに、注連飾り一式と神棚と各部屋に飾る鏡餅なども買いそろえ、一夜飾りは縁起が悪いということで、昨夜の内に神棚の掃除から注連飾りなどはすべて済ませておりました。
 
 さて今日は年越しの料理とお節料理づくりに老妻は大忙しだ。老夫婦だけなら出来合いの物でも良いのですが、年に一度の孫との年越しだからと、老妻は朝早くから痛む膝を摩りさすりして、孫それぞれの好みに合わせた料理作りに張り切っていました。
 孫たちも小さかった頃は、煩いくらいに毎日来ていたのだが、それも小学生の頃だけで、ともに中高生になってからは次第に足が遠のいて、今では年に一度がやっと・・・それが今夜の年越しなのです。

 孫たちの家族が揃うと、先ず私が先頭に立って神棚のお参りを済ませまてから食卓に着きます。もとより老妻の手づくりが主なもですから、人様にお見せするようなものでは無いけれど、一つ一つの料理に上げる孫たちの喜びを聞いているだけで、買出しなどで結構忙しかったここ数日間の苦労はなどは、綺麗さっぱりと消えてしまっていた。

 やがて始まった「紅白歌合戦」や「K-1プレミアム」など、それぞれの特別番組を楽しみながらの団欒は終わり、孫たちは爺婆心づくしのお年玉とおみやげを抱えて帰っていった。
 後は、老夫婦だけの時間、NHKの「ゆく年くる年」を見ながらの年越し蕎麦を食べるのみ、お蔭さまで今年も無事に年越しを済ませることができました。

 どうぞ来年も宜しくお願いいたします。どちら様も良いお年を・・・!

聖夜に想う

2007-12-24 20:49:48 | じゃこしか爺さんの見て歩る記
 今日も買いものに出掛けたが、行く先々の店の洋菓子コーナーでは、子供ずれの客でごった返していた。
 昔はこの日ばかりは、年末の繁忙のさ中にもかかわらず仕事を早めに切り上げて帰宅したものです。
 もとよりキリスト信者でもなく、また聖書なども見たことも手にしたことも無いのだが、ただただこのお欧米の風習神様のお祭りを、子どもらと後には孫たちとともに、何の疑念もいだかずにツリーを飾りケーキを食べて、この一夜の平和を楽しんでいたものです。
 
 さらに子どもも孫もまだ居なかった頃は接待と称して夜の繁華街を、赤青とりどりの派手な三角帽子を頭にのせてうろつき、ついには午前様!
 みんなみんな遠い昔むかしのことでした。
 
 
 混雑する洋菓子コーナーを遠くから見ながら、こうした親子の家庭の平和ひいては日本の平和を祈らずに居られませんでした。

内容はともあれ、また格差はともあれ、豪華に街を彩る各家庭のイルミネーションも増えてきた。

その2

時おり買物に行くスーパーの向いの日本製紙のアイスホッケーチーム「クレインズ」


聴覚過敏

2007-12-21 18:41:47 | 日々の雑記
 9月末に発症した「メニエール病の初期」の症状は、耳鼻科と行きつけの内科医の投薬で、最近では耳鳴りなどに似た不快感はすっかり影を潜めていたから、もう完治したものと安心しきっていた。
 ところが、一週間ほど前から台所での炊事中での物音、とくに食器などの触れ合う音が激しく耳に入って来るようになった。不審に思っているうちに、今度はスーパーでのレジ袋の擦れ合う音や新聞紙の広げたり畳んだりする音なども、とても激しく飛び込んで来るようになった。
 初めはあまり気にならず、放っておけばそのうち元に戻るだろうとの安易な気持ちの中にも、時おり若しかしてこれは大事の前触れかも知れないなどとの不安感を抱くようにもなった。
 老妻との相談の結果先ずはともあれ病院へと、約三ヶ月ぶりに先の耳鼻科へ出掛けた。両耳の音感検査などの結果が、メニエール症状が今度は違った形で表れたとのことだった。
 もう治ったと一人合点して、その後の薬を止めたことが原因らしい。素人の早合点、とくに高齢者の思い込みは怖いものだと、つくづく思い知ったしだいです。
パソコンと触れ合う時間も元に戻そうと張り切っていた矢先の出来事だけに、受けたショックはかなり大きなものでした。
 まだまだ先は長いのだから・・・?と自らを慰め、今度は医師から「完治」と言い渡されるまで、薬は飲み続けるつもりです。

 もともと余生の生甲斐の一つとして始めたブログですから、焦らずのんびりとまだまだ続けて行きたいと思います。

運動公園のマガモたち

2007-12-15 17:50:22 | じゃこしか爺さんの見て歩る記
 先日のこと、お歳暮用品選びに隣町にある大型店まで足を延ばしたついでに老妻だけを店前で下して、私はその間を利用して少し先にある運動公園内の鴨の様子を見ることのした。
 はじめ野球場の駐車場から、いつも鴨たちが群れている小さな池に向かおうしたのだが、今日にかぎって車止めがガッチリと施されていた。
 仕方が無いので、他の二つほどある取り付け道路へ廻ったが、先月の初めまでは自由に出入り出来たところはすべて閉鎖されていた。
 こうなれば歩いて行くまでと思ったが、日頃はウォキングや犬連れの散歩の人たちで結構賑合うこのコースは、折からの低温と強い風のせいかほとんど目に付かない。
 駐車場からは、歩いて約一キロ程度の距離なのだが、ようやく体調不良が少し良くなっていた時だけに、この風と低温のなかあまり無理をしては拙いだろうと、自制して諦めて引き返した。
 それにしても去年までは、こんなことは無かったはずだと、とにかく残念でならなかった。

 なお下の写真は、十一月初旬に行って時に撮って来た写真です。やはりこの日も風の強い日でした。

風を避けているのかマガモの親子が、あたかも風を避けるようにして、葦に囲まれた小さな一画に一塊まりなっていた。



河川敷の畑地

2007-12-10 18:49:29 | じゃこしか爺さんの見て歩る記
先日の風も無くて穏やかな日に、久し振りに歩いた自転車道路の道端で目にしたのは、下の写真の張り紙でした。
 ここはもともと道路予定地とか河川敷などというものは、雑木や雑草が生い茂った荒地と相場が決まっているものなのなのですが、この河川敷だけは畑として立派に活用されています。
 以前にもブログに載せたことがありましたが、この河川敷も元は如何しようも無いほどの荒地だったに違いありません。
 ところが、私の憶測に過ぎないのだが、おそらくこの界隈の住宅街の老人達が荒れに荒れている空き地を見るに忍びず、また戦中戦後の食糧難時代の畑仕事を懐かしく想い出して、ただ荒れるにまかせて放って置くのは如何にも勿体無いと開墾し、野菜畑にしたのだろうと思います。
 そこには家計の足しにしたいとの思いや、まだまだ家族のためになれるのだという思いもあったのでしょう。

 この自転車道路をウオーキングコースと歩きはじめてから、もう10近くになりますが、この道端の畑のいろいろな野菜にどれだけ癒されたか分りません。
 それぞれの成長過程から収穫にいたるまで、いつも楽しみにして歩いたものです。時には畑作中の老人との挨拶や、苦労話を聴くのもこの道路を歩く時の一つの楽しみでした。

 しかしこの張り紙からすれば、来年からの畑作は無理なようです。道路沿い並ぶ畑の中には、来年のための秋耕を済ませた畑を見るにつけても、長年畑作に勤しんで来た老人たちが、とても気の毒におもわれ、また余生を活かしてこれまで楽しんできた老人たちの落胆振りが、痛々しく目に浮かんで来ます。

 突然張り出された無情な張り紙

来春のために秋耕が行われていた畑地

 

初冬の湿原(枯れ色一色の世界)

2007-12-04 21:03:51 | じゃこしか爺さんの見て歩る記
 体調を崩した9月末以来の自転車道路の湿原コースだった。老妻と郵便局へ出かけたついでの、ウオーキングだった。この時季にしては、まったく穏やかな天候で、その上にこのところずうっと続いていた強風も今日ばかりは、珍しく凪いでいた。
 日中のこの暖かさなら、今朝の予報どおり13度は確実に超えているだろうし、おそらくこの地方での9月下旬の気温に相当するはずである。

 ただそうした穏やかな日和は、まさにこの地方での9月下旬に匹敵するほどなのだが、残念なことに見わたす限り、枯れ色一色の景色が茫々と広がるだけだった。
 春先からつい先日頃まで、湿原をかまびすしく鳴き交っていたコヨシキリやノビタキたちの姿はなく、ただただ静まりかえっているばかりだ。
 時おり耳にするのは、阿寒颪が枯れ葦の野面をゆらす、風の音だけだった。
 
 平日の穏やかな昼下がりの自転車道路は、寂しいくらいに人影は少なく、時おり自転車の老人などにもすれ違い、また幾組かの私たちと同じような老人夫婦にも出会い、気楽な軽い挨拶を交わしあった。

 時季は11月の下旬だから、湿原が枯れ色一色なのは当然のことでなのだが、そんな寂しい景色のなかで、ただ一つ目についたのは「ナナカマド」の実だった。
 初冬の青空にくっきりと映ゆるのは、枯れ枝に残る「ナナカマド」の緋色の輝きには、すっかり魅了されてしばし見惚れていた。

 トンビやアオサギが営巣すると云われているハンノキ林も、目の前に広がる景色はすべて枯れ色一色の世界だった。  


そんな中にナナカマドの真っ赤な実だけが、けな気にも冬風にさらされながら落ちもしないで青空に映えていた。  

 湿原を横切るように進められているバイパス工事は、いま差し止められているが、いまだに残されているままの重機。たとえ枯れ色一色とは云いながら、まさに湿原にはいかにも不似合いな光景である。同じ方向への道路は複数在るのに「狭い日本そんなに急いで・・・」