昭和ひとケタ樺太生まれ

70代の「じゃこしか(麝香鹿)爺さん」が日々の雑感や思い出話をマイペースで綴ります。

久々のウォーキング・・・

2004-11-30 15:50:25 | 日々の雑記
 老妻の手術前は、天気さえ良ければ毎日のように歩きに出掛けて居たのだが、術後はまだ無理の出来ない状態だったし、独り歩きもとかく億劫で今まで止めていた。
 
今日は気温の低いわりには無風で、まさに絶好のウォーキング日和で、実に久しぶりにしかも独りで出掛けてみた。
約一月ぶりの自転車道路は、並木全てがすっかり葉を落として裸木ばかり、見る目にも寂しさ一杯の状態だった。
ただ少しだけ雪を乗せた雌阿寒岳・雄阿寒岳の両山が、雲一つ無い青空だけの彼方にくっきりと姿を見せていた。

久々の歩きだったので、今日のところは4キロほどで止めたのだが、流石に朝6時の気温が全道一低くかった(マイナス12度)だけに、風は無くとも寒さは肌を刺し、たいして高くも無い鼻が一番先に冷たさを感じた。しかし歩くほどに身体が温まり、陽の高くなるにつれて暖かさが増して、今朝の気温はまるで嘘のように暖かくなり、途中コートのフードを脱ぎ、更に後半には手袋までを外していた。

家に着いた頃には、背中が薄っすらと汗ばんでいた程である。


地震だ・・・!

2004-11-29 14:05:09 | 日々の雑記
     

 今朝(3時32分)の地震には本当に驚いた。当地はもともと地震の巣の上に在ると云われているから、普段は3度・4度ほどでは余り気にし無いのだが、しかし震度5ともなると別である。震度5強を超えるのは、昨年9月以来のことである。

 幸い我が家では棚から小さな物が1個落ちただけだったが、今回の新潟中越地震を重ね併せて怖さは倍増・・・暫らくは寝床に戻ることも出来なかった。テレビを見ながらじっとしていたが、既に室温はマイナス3℃近くまで下降していた。
 しかし余震の怖さからストーブは点ける気にもならず、綿入れ半纏を重ね着して、その後の地震情報を見入っていた。

 恐れていた余震は直後の3時40分頃に、体感で2度ほどのを1回感じただけだった。また発生直後に出された、津波警報は波の高さは50センチ程度と云う事だった。家のある場所は、海岸からかなり離れているので、余程の事が無い限り心配は要らない。

 やがて床に戻ったが、なかなか寝付けなかった。それに何度も旋廻して来るヘリの音に、「何で今頃・・・何度も何度も飛んで来るのか・・・?」と、要らぬ事にも思いが巡り、またそれが別な怖さの基にもなり、恐怖感は益々増幅した。

 地震って・・・本当に怖い!  

ヨン様!再来日・・・

2004-11-26 20:00:49 | 日々の雑記
 月に一度の通院後、術後未だ本調子にならぬ老妻に代わって、近くのスーパーで買い物を済ませ、ついでに周囲の住宅街をウォーキングして来た。

 どの家でも庭などの冬構えは殆ど済んでいるようだ。しかしそれに比べ我が家は全く手付かず状態、些か焦りを覚えて帰宅した。

 例年秋口早くから気にしながらも、寄る年令しなみに一日延ばしを重ねた末、雪の到来に結局は自然任せの破目となったのがここ数年来の結果であり、或いは今年もそう成りかねないのかも・・・?

 明日明後日は雨に成りそうだから、その後の暖かい日にでも思いながら、気ままな年金生活者の日課の昼寝をタップリ・・・、起きては朝刊を読み返し、更に届いたばかりの夕刊にも目を通す。

 それにしても何日もながらの、何とも遣り切れない暗いニュース只唖然!まるで流行りのように日を追って発生する肉親殺害事件に胸が潰れる思いである。

 時同じくして韓国俳優「ヨン様」成田に出現!数千人にも及ぶ老いも若きもの日本女性の大騒ぎ、その影で出された「政府税調」の大増税路線・・・!まさに「ヨン様」は日本政府の回し者・・・「眼晦まし役」か?・・・「歳出削減が先」と大声で叫びたい!

 そして今日、三年前の春に起きた女子大生殺害犯人(レッサパンダ帽子男)に判決(無期)が出た。そこでまたぞろ出て来た、「知的障害者の責任能力問題」云々、政府と同じく、進歩皆無の法曹界・・・には全く呆れて言葉も無く只ウンザリである。

どうも良く解らない・・・三位一体改革!

2004-11-24 22:28:28 | 日々の雑記
 今新聞・ラジオ・テレビなどのニュースで話題になっている、「三位一体改革」って良く解らない。年齢のせいと云われれば返す言葉も無いが・・・。

 3兆円もの税を地方に委譲すると云うのに、何故それに反対する地方があるのかな?
或いはそれは税源委譲の「飴」であって後に来る、「国庫補助負担金」の大幅減額という「飴とムチ」の使い分けになるのでは無いか・・・そんな恐れが考えられるからだろう。

 今朝のワイド番組の中で、その事について某キャスターが、次の様に話してた。
「国も大きな借金で大変だからな・・・仕方が無いか!」これは中越地震の被害者に対する、補助金交付額少なさについての言葉だったが・・・。

 「民間で出来る事は、どんどん民間に任せる」云々、全く可笑しな話である。民間企業が実施している合理化など色々の企業努力は、高等教育を受けて来た筈の議員・公務員はどうして出来ないのでしょうか?

 議員の数も公務員の数も民間並みに減らせば、もっともっと楽になると思うよ。やはり今朝のテレビで云っていたけど、公務員宿舎が議員宿舎遥かに豪華な造りなのに、民間価格の半分以下の家賃(10万以上が5万以下)で入居している。万事が万事無駄使いが如何に多い事か、じっくりと見極め改善した方が良い思う。
 もうこの辺で、江戸時代の悪辣商人の様な「儲けるなら貧乏人を狙え」的な、税金政策は止めて欲しいものです。

 終わりに国保と厚生年金の統一に付いて一言、公務員も議員の年金もこの際一緒に纏めた如何ですか・・・?特権待遇はいい加減して・・・!

早々とイルミネーションが・・・!

2004-11-21 22:10:34 | 日々の雑記
                

 今夜孫の家から帰りに眼にしたのだが、立派なホワイト・イルミネーションに出合った。
 イルミネーションに付いては、先日札幌市の大通り公園で早くも点灯された事が、ニュースとなって大々的に報道されていたところだが、今夜見たのは一般の個人住宅のものである。この家では昨年もかなり立派な飾りであったが、今年はその比ではなく装置も大掛かりで、家の周りだけでなく塀までが一面に華やかに飾り付けられていた。

 一般にイルミネーションというと、ケーキ屋さんとかファストフード店などが客寄せの為にするものと思われるのだが、何故か孫の家が在る界隈・・・特別に目立つ建物があるわけでも又取り立てて事業所あるわけでも無く、極く普通の住宅地なのに毎年競い合うようにして玄関前などを彩りも鮮やかに飾る家が3軒ほどある。

 実際に隣町では、電飾コンクールを町を挙げて実施しているとか・・・こうした傾向は年々益々盛んになって行くようである。電気料金など・・・野暮なことはともかくとして、とかく暗い事ばかりの多いご時世、それに防犯上まことに結構なことに違いない。

 それにしても如何にも早過ぎる此のイルミネーション・・・!に、嫌でもクリスマスと年末の間近な事を知らされ、今更ながら時の流れ速さと季節の移り替わりの激しさに驚き、色々な掛かりの嵩張る年の瀬を推測い遣り気が重くしている次第である。


にっぽんの歌・こころの歌!

2004-11-20 22:15:57 | 日々の雑記
 何故か夜中に突然目が覚めた。その後なかなか眠りに入れぬままに枕もとのラジオを点けた。時刻は丁度午前三時、イヤホーンから耳に入って来たのは、ニュースの後の「にっぽんの歌・こころの歌」で「藤山一郎の影を慕いて」だった。彼の正確な歌唱と良く透き通った懐かしい歌声である。どうやら今日の出演者は「藤山一郎と渡辺はま子」のようで、次が「渡辺はま子の蘇州夜曲」だった。

 両歌手とも戦前にデビューしていたから、両者はどちらかと云うと私たち年代(春日八郎・三橋美智也)前の歌手だったが、その歌には名曲が多く良く聴きまた愛唱したものである。

 話は「影を慕いて」に戻るが、先日NHKテレビで「古賀政雄生誕100年記念番組」があって、その中で一応名の有る某演歌歌手がこの「影を慕いて」歌っていたが、彼なりにアレンジしていたのだろうが、オリジナルの良さを大きく逸脱した崩し方で、自分だけが酔い痴れ全く聴くに耐えないものだった。とても我慢できず途中でチャンネルを回して仕舞ったほどである。
 彼はいい気になって歌っていたようだが、所詮は藤山一郎の足元にも及ばない・・・三文歌手に過ぎない事を証明したに過ぎない。折角の偉大なる作曲家古賀政雄を冒涜したに等しいだけである。これは少し言い過ぎたかな・・・?
 今日「藤山一朗」の歌を聴いて、嗚呼これこそが本当の「影を慕いて」だと感動していた。

 その後両者の歌は交互に流された。
  ※藤山一郎・・・丘を越えて・酒は涙か溜息か・青い山脈・長崎の鐘・・など。
  ※渡辺はま子・・・港が見える丘・長崎物語・何日君再来・あゝモンテンルパの夜は更けて・・など。

 なおこれらの曲の間ごとに、リスナーのお便りが紹介された。全国的にかなりフアンが居るようで、その年代も60代から70代が多いようで、中には80歳を超えて方方からもあった。感心したのはその方々の文章の上手さである。節目節目の適切な言葉の使い方には本当に感心させられた。

 余談になるが、今回初めて知った事だが渡辺はま子の「あゝモンテンルパの夜は更けて」の歌に付いて次のような逸話があった。この歌は戦後間も無くのこと、彼女と文通をしていたフィリピンに囚われて居た日本人戦犯死刑囚から送られて来た楽譜だった事、そしてその後彼女との交流が続き彼女の何度かの訪問の後、其処の死刑囚全員が釈放されて無事に日本の土を踏む事が出来たという感動的な話である。  

 良い歌って・・・本当に素晴らしいものだ!としみじみと感じた。その後暫らくは心が昂揚して寝付けなかった。
 

徒然に・・・!

2004-11-18 22:29:49 | 日々の雑記
 老妻が退院(13日)後初めて外出した。インフルインザの予防接種を受ける為である。
初めは先週の木曜日(11日)を予約していたのだが、急な手術のために今日にしたのだった。当然私も一緒に受けて来た。

 思っていたより風が無く暖かだったので、ついでに少し足を伸ばして近くの地元スーパーに寄ってみた。老妻の買い物のお供は実に15日振りである。老妻は半月ぶりの買い物を楽しむように各売り場を丹念に廻り歩いていた。
 
 久しぶりの外出でかなり神経的にも体力的にも疲れたようで、昼食後にソファーに横たわり直ぐに寝入ってしまった。所在が無いままに昨日見ていたビデオ映画{以前録画したフレンチ・コネクション}の続きを見終わり、更に時間が在って今度は、今週日曜夜に録画して置いた、N響演奏模様(指揮者U・アシュケナージ・¥・奏者エレーヌ・グリモー・シューマン作ピアノ(協)イ短調)をパソコンへのダビングをして、老妻の目覚めを待っていた。

 その後も届いたばかりの夕刊を見て唖然とする。暗くて切なく成るばかりのニュースの何と多い事か・・・!
   ※ 奈良の小1女児殺害遺棄事件
   ※ 大阪の母親と女子小中学生4人の焼死
いずれの犠牲者もまだまだ年端のゆかない子どもだけに、言葉に言いようの無い遣りきれなさを感じた。

 それに付けても、また腹立たしいのは拉致被害者の、中でも横田めぐみさんの事である。たった13歳の女の子を何の目的で拉致したのだろうか。政府関係者の無関心さと言うか、弱腰外交には今更ながら腹が立って成らない。
 このブログ上では、政治・宗教等についてはタブーと思っているから、余り多くは書かないつもりだが・・・関係者よ!当事者の身になって「しっかりヤレッ!」と、後から蹴りの一つも入れてやりたい思いである。

買出し・・・!

2004-11-15 22:23:49 | 日々の雑記
 老妻が退院して三日目、冷蔵庫の中は殆ど空っぽ・・・しかし老妻が買い物に出かけるにはまだまだ無理な状態、それで長女の手を借りて近くのジャスコへ出掛けた。

 普段老妻のお供でジャスコは慣れているので、食品売り場に限ってはむしろ長女よりは詳しい。今日の買い物はかなり多くなるからカートを利用した。

 先ず野菜売り場へ、それにしても野菜類の高価なこと、ただただ驚くばかりである。
ほーれん草もトマトも夏の倍以上の高値である。キャベツも高価いので、四半分を一個にした。魚売り場は鮭もサンマも未だ残っていたから、今日は素通りする。
 
 更に売り場を移動して買い足して行く。鶏卵・ヨーグルト・はと麦茶などを買い揃えて、売り場中央の菓子売り場でオヤツ用にかき餅を買い、トイレットペーパーで打ち止め・・・そろそろ暗くなり始めて来た道を帰宅した。

 買って来た物は老妻が点検して、それぞれの場所に収納した。ここで買い忘れたものや、未だ残っていると思って居た物が不足なのに気付き再度家を出た。しかし今度は地元のスーパーに向った。

 牛乳と朝食のヨーグルトに入れるバナナ・キウイなどを買った。ジャスコに比べて少し高価いが、地元のスーパー(企業)も育てなければと思っただけの事なのだが・・・。

退院

2004-11-13 20:06:50 | Weblog
 老妻が実に十日ぶりに退院した。午前九時早々に駆けつけ、退院手続きも滞りなく済ませて連れて来た。
年老いても妻が家に居ると居ないとでは、やはり随分と違う。私独りの時では例えストーブを点けていても、何故かうそ寒くて心細い限りである。

 術後未だ十日、小さな外科手術とは云いながら今後3週間は、無理なことは絶対にダメと念を押された身体ながら、台所に立つ姿はまさに我が家に芯がとおった形である。

 しかし私には何にも益して嬉しいのは、夜を安心して過ごせることである。煌々と点けた電灯の眩さに因る不眠に悩ませられる事無く、程好い豆電球のもとでの安眠である。 

 何はともあれ早速く今夜は、ささやかながら退院祝いでもしようと、二人の好きな生寿司の出前を頼み、近くの長女を呼ぶことのした。 

老妻の入院

2004-11-10 22:10:58 | 日々の雑記
  老妻が一寸した外科手術で入院してから、今日で丁度一週間になる。手術そのものは至って簡単(医師の言葉)なものだそうで、入院も七日から十日ほどで済むとの事だった。
 そして術後の経過も良くて、今日の診察で今週の土曜日に無事退院と言う事になった。
 
 目出度し・・・めでたし!と云うことである。
 何はともあれ今夜を入れて後三晩の我慢である。老妻の留守中私の食事は、近くに住む長女が用意して呉れるから、何の心配も無くまことに気楽である。但し朝食だけは自分で作ることにしている。

 作ると云ってもそんな大袈裟な事でなくて、市販のヨーグルト(約200g)にバナナ半分とキウイ一個を混ぜるだけである。これを朝刊を広げながら、併せてテレビのニュースも拾い見しながら、たっぷりと時間を掛けて食べる。毎日欠かさない牛乳(200mm)は、私の場合昼食時に飲んでいる。これも訳あっての事でなくて、何時の間にか付いた習慣である。

 老妻の居ない間は好きな事が、思いっきり出来そうなものだが、さに非ずでいざ独りになると好きなパソコンにも余り身が入らず、午前と午後に老妻を見舞うから時間が取れず、此のブログの方も休み勝ちとなる。

 さてこの文章の先に「後三晩の我慢」とあるが、これは私には相当に辛い三晩なのである。なぜかと云うと自分ではそんなに臆病者とは思って居ないのだが、とにかく夜の暗さが怖いのだ。だから独りで過ごす夜の寝室は電灯を煌々と点けて寝る事にしている。何が怖いと聞かれても泥棒なんかの人間で無いから、実のところ答えようが無い。
はっきりと実体の無いもの、いわゆる魑魅魍魎の類いなのである。

 いい年齢(72)をしながら恥ずかしい限りだが、怖いものは・・・怖いのである。

 昔現役時代出張した折、ホテルでテレビを一晩中点けっ放しで寝た事もあった。
 
 後三晩の我慢!寝酒は駄目だし・・・電気を点けて落語でも聴きながら、一気に寝入って仕舞おうか・・・!