昭和ひとケタ樺太生まれ

70代の「じゃこしか(麝香鹿)爺さん」が日々の雑感や思い出話をマイペースで綴ります。

長い間ありがとうございました

2016-06-02 21:02:23 | Weblog
 はじめまして、じゃこしかの娘です。

 父じゃこしかが5月末、入院先の病院にて満83歳で永眠いたしました事を謹んでご報告いたします。

 急ではありましたが最期はさほど苦しむことも無く、穏やかに旅立ちました。
心身ともに衰えゆく日々の中でも、ひたすらに5年前に他界した母のことを偲びその名を呼び続けておりました。
いまは彼岸にて再開を果たし、平安のなかにあると信じます。

 父はブログを始めて以来、多くの皆様にご覧いただきコメントを寄せて頂くことをいつも喜び、文章を綴り写真をアップすることが日々の楽しみでした。
交流してくださった皆様に娘として深くお礼を申し上げたいと思います。

 本当にありがとうございました。

 なお甚だ勝手ながら、今後の管理が充分に出来かねるためコメントやトラックバックを停止させて頂きます。
また父がWEBメールの仕組みをどうしても理解できず使ってみようとしなかったため、不義理をいたしました旨がありましたらお許し下さい。

 心いっぱいの感謝とともに。

大寒波と白鳥

2012-01-13 17:20:54 | Weblog
 今朝は今年一番の氷点下19度近くまで冷え込み・・・昨年も経験しなかったほどに凍れた朝でした。
朝方トイレに起きた後なかなか眠られず、重ね着して寝直したほどです。
 陽が出る時刻が一番凍れると言われますが、今朝の凍れはまさにその日が昇る時刻に当たりました。
 そんな日の朝8時に3ヶ月ごとに予約している川向こうの病院に出掛けた橋の上から、ふと見た氷が一面張り詰めた川中の一角に白鳥が群れているのを見掛けました。
 予想外に早く診療が終わったので、帰る途中で河畔に立ち寄ったのです。
今朝の凍れには、さしもの白鳥もかなり堪えたようで、幼鳥を中にしてうずくまっていました。
 そして昼近くに今度は買物帰りに再び河畔に出掛けました。その頃にはもう大分気温が回復しておりましたから、白鳥たちは頭を上げ動き回り、その中には藻でも探しているのか、水中に頭を入れて泳ぎ回るのも居るほどでした。
 
 妻の死亡以来河畔に来たのは今日で二度目ですが、家に閉じこもって居るよりは、時折りこうして以前のように出歩く私に、天国の妻もホットし喜んで呉れるでしょう。

 唯残念なのは、何時も一緒だった老妻が居ないことで、それでまたまた切なくなり急いで河畔を去ったしだいです。
 今日はたまたま車に合った予備のカメラで撮りましたが、今度は折を見て出歩くように努めるつもりです。 

朝8時頃の白鳥たち

お昼近い頃になって少し元気づいた白鳥たち


札幌からの梅の便り

2011-05-06 17:05:24 | Weblog
この度富山県と福井県の焼肉チェーン店で起きた集団食中毒事件は、ついに四人の死亡者と多くの重症患者を出してしまいました。
 将来には大きな夢があったお子さんを亡くされたお家族の方々には、誠にお気の毒で言葉もありません。
 ありきたりではございますが、ただただお悔やみを申し上げ、そして心からご冥福をお祈り申し上げます。

さてこの度、今年もですが札幌に住む年子の弟から、自宅の庭に咲く梅の花の便り、見事に満開の梅の写真がメールで送られてきました。
日頃は、便りが無いのはお互い無事の報せとばかりに、電話などもめったに掛けることも有りません。
もとより歳の初めの年賀状と元旦に掛け合う電話くらいものです。しかし今では、たった一人残った男兄弟の弟は、病後の兄の私を慰めんと毎年のように送ってくれるのです。
道南や道央にくらべてとかく気温の低い私のところ、今年は何故かことさら寒くて、一昨日あたりでは昼日中に雪混じりの雨が降るしまつです。
何処を見ても桜どころか早咲きで知られるエゾムラキツツジでさえ、ようやく僅かに数輪が開いた有様ですから、この度の弟から梅の花の頼りは本当に良い便りでした。
どれだけ癒されたか計り知れません。有難う!


札幌の弟の家で今年の見事な梅の花

同      上

やっとようやく数厘開いた我が家のエゾムラキツツジ  



カズ・ゴ――――ル!

2011-04-02 16:39:11 | Weblog
 今日の朝刊に震災の四十苦として、地震・津波・原発事故・風評被害・のそれぞれについて大きく載っておりました。
 毎日時時刻々テレビで放映される被害地域現状には、まさに目を覆いたくなるばかりの惨状の連続です。
 その上生活物資の不足とインフラ回復の遅れ、それにして政府は何を考えているのでしょうか。
気の毒でなりません。心からお見舞い申し上げます。
         
 さて先日(3月29日夜)放映された{震災復興支援チャリティーサッカー}のことですが、日本代表対Jリーグ選抜の試合は本当に面白かったです。
 野球放送は昔から良く観ておりましたが、サッカーの試合はコンサドーレがまだJ1に所属していた頃は良く観ていたものです。
 しかし降格してからというものは、あまり放映されなくなった所為で、滅多に観られなくなりました。
 コンサドーレの他にも好きなチームや選手たちが居て、各局のスポーツ番組は努めて観るようにしております。
 その中の一人が愛称{カズ}こと三浦知良選手(44歳)で、Jリーグが出来て直ぐにファンになりました。              
 さて今回のチャリティー試合ですが、相手は今年1月アジア杯に優勝(4度目)したばかりの日本代表ですから、たとえJリーグ選りすぐりの選手たちでも勝利は無いでしょう。
 しかしそんなことよりも、如何に多くの震災被害者皆さんに励ましと元気を与えられるかが、{震災復興支援チャリティーサッカー}の意義そのものです。
 そんな期待の中、突如として起こった、カズコール!に応えるかのようなカズの動き、キーパーをかわして一蹴りが見事にゴールイン!
      カズ・ゴ――――ル!
 そして観客に応える{カズダンス!}・・・は、本当に久しぶりでした。
 観客はもとより、被災地の多くの皆様たち、きっと多いに元気付けられたことでしょう。
日本サッカー、そしてカズさん本当に有難う。

春はもう身近に来ており、すっかり大きくなっていた自転車道路の蕗の薹

同    上

福寿草大分大きくなっておりました





22年釧路での皆既月蝕

2010-12-22 16:11:42 | Weblog
 今度の皆既月食は、気象予報から考えて完全に見られるのはおそらく北海道だけで、その中でも道東地域ベストだろう思われていたから、是非撮ってブログに載せようと思っていた。
 昨日までそう思っていたのだったが、特に忙しい日でも無かったのに忘れてしまっていた。
 ところが日が落ちてから何時もとは違う外の気配、特に子どもたちが上げる声に、そうだ今夜は月食だったと気付かされた。
 
 慌ててカメラを手にして外に出たのだが、残念ながら私の家の前からは、向かいの家が邪魔で見えなかった。
 初めの方は二階の娘の部屋から撮ったものであり、後のは家人に風邪を引くよ何度も云われながら、食事の合間に頃合を見計らって戸外に出て撮ったものです。

平成22年12月21日皆既月蝕~釧路

月蝕からの復活が始まる

落雷

2008-09-06 19:03:10 | Weblog
ご無沙汰しています。
実は、先月末に近所で落雷があり、我が家でもその影響を受けパソコンが不調、ネットに繋げなくなってしまいました。

今日は使い慣れない携帯から書き込んでいますが、当分は更新やコメントへの返信など滞る事になると思います。

いずれ再開するまで、皆様お元気で。

鶴翔庵(釧路市鶴ヶ岱公園の茶室)

2006-06-08 17:34:35 | Weblog
 チューリップをタップリ楽しんだ帰りがけに、公園内の隅に草庵風の建物を目にして近寄った。如何にも物古びた佇まいからして、一見茶室と見て取れたが、この賑やかな公園の一画にあるとは思い掛けなかった。
 生来の好奇心(野次馬根性)旺盛な気質だけに、素通り出来ずに一寸覗いて見たくなって近寄ると、別段扉なども無くて出入りは自由だった。
 
 正面の「鶴ヶ岱日本庭園」の表札に誘われて、中ほどへ進むと目の前に庭園が現われた。石組みから玉砂利それに松を配した「枯山水」と見て取れた。

 茶室や茶の道のことなどには余り知識がなくて、せいぜい「千宗易=利休」と太閤さんとの経緯と、その孫が「千宗旦」である事くらいである。まして茶室のことになると、これまた知っているのは「草庵・書院・露地とにじり口」だけである。残念ながら施錠されていて内部は見られなかったが、造りの規模から草庵茶室だろうと思った。

 後日ブログ掲載を思い立って、この茶室の名前を電話で市の「公園緑地課」で訊ねたところ、「釧路鶴翔庵」と分かり、更に普段は管理人が閉められているが、申請することで自由に利用出来ると言うことだった。

 なお茶室の事については、単なる私の知ったかぶりで、間違った箇所が在ろうかと存じます。その点は心よりお詫び申します。どうぞご容赦下さい。

 庭園の正門{鶴ヶ岱日本庭園}

庭園{枯山水}

趣き豊かな門構えだが・・・表門か中門かな?

茶室正面・黒いところが「にじり口」と露地



運河跡公園

2006-05-12 16:29:06 | Weblog
 5度前後の気温で日がな冷たい雨模様の日の翌日は、まるで前日が違う国の天候だったかのように、ここ道東も道南道央並みの暖かさの一日となった。
 時折り吹く突風並みの風さえ無ければ、断然今年一番の暖かい日となった筈なのに、残念ながら午前中に無かった風が、昼が過ぎた頃から5~6メートルほどにもなり、日が翳り始めた頃には、更に強くなった感じで寒ささえ感じた。この時季の気紛れな天気は、まだまだ心許無く安心は出来ない。
 用心のために日頃から持ち歩いている手袋を早々にはめて、今日仕上げのウォーキングの歩を速めた。

 しかし季節の移ろい、花のシーズンは遅々としながらも、間違いなく近付きつつあるようで、毎年先駆けて咲く公園中央の「エゾムラサキツツジ」は、今年もイの一番に咲いて、枯れ色主体の公園内で一際目立っていた。何はともあれ花の傍で一休みとばかりに急ぎ足、一年ぶりの紅紫の彩りと花の香をタップリと楽しんで来た。

遊歩道上には夏雲を想わせる雲が・・・

毎年のように先駆けて咲く公園の・エゾムラサキツツジ



両親が愛した歌(想い出より)

2006-04-13 18:06:38 | Weblog
 
 おこがましくも自分史なるものの纏めている所為か、最近両親の事がしきりの思い出されます。両親が夫々他界してから、約60年ほどの歳月が過ぎております。そんな訳で、私が両親と一緒に暮らしたのは、せいぜい14~5年位のものでしたが、その限られた年月に得たそれぞれ両親の想い出は、色々と数え切れないほど残っております。
 山ほどある想い出の中で、特に想い出されるのが、日頃から良く口ずさんでいた次の歌です。

 父の場合は無類の酒好きでした。普段は余り歌などは口にする事無く、どちらかと言うと無口で、小さかった頃の私らにはとても怖い存在でした。しかし一旦酒が入ると別人のようになって、歌い果は手振り身振りで踊り出すほどに俄然賑やかになります。更に興に乗って来ると長兄などを掴まえて相撲を初め、疲れると処かまわず寝入ってしまいます。
 その父が酔うと何時も怪しげな呂律で口ずさんでいたのは、「鴨緑江節」と題名が未だ思い出せない次の歌です。
一番の歌い出しが「またも雪空・・・」で、終わりが「えぇ-えぇ満州が気にかかる」でした。特に終わりの「満州が・・・」の部分に来ると声を張り上げるので、ここだけは、今なおしっかりと記憶に残っているのです。

 母は小柄の人で、近所でも有名な働き者でした。洗濯は殆ど毎日のようにしていたようで、「カラスの鳴かない日はあっても、洗濯物が干していない日は見たことが無い」と、近所で噂されて居たそうです。
 その母が台所仕事や洗濯をしながら、いつも鼻歌まじりで歌っていたのが、「砂山」でした。他に母自身が好きだったのか、事あるごとに歌いそして教えて呉れたが、下記唱歌でした。それらの中で60年余経った今でも、はっきりと覚えているのは次の唱歌で、今でも何かの拍子に何気なく鼻歌などで歌っている自分がいます。
 
                   <砂山>

              海は荒海向こうは佐渡よ
             すずめなけなけ、もう日は暮れた
             みんな呼べ呼べ、お星さま出たぞ


                  <青葉茂れる桜井の>

                里のわたりの夕まぐれ
               木の下陰に駒とめて
               世の行く末をつくづくと
               忍ぶ鎧の袖の(え=上)に
               散るは涙かはた露か


                  <青葉の笛>

               一の谷の軍(いくさ)破れ
               討たれし平家の公達(きんだち)あわれ
               暁き寒き須磨の嵐に
               聞こえしはこれか青葉の笛

 
                  <一寸法師>

                指に足りない一寸法師
               小さい体に大きな望み
               お椀の舟に箸の櫂
               京へはるばる上り行く


 そして歌いながら父母を想い出しているうちに、知らぬ間に口じさんでいるのが次の歌です。
             
                 ・・・「母の歌」・・・
            
               母こそは 命のいずみ
               いとし子を 胸にいだきて
               ほほ笑めり 若やかに
               うるわしきかな 母の姿