昭和ひとケタ樺太生まれ

70代の「じゃこしか(麝香鹿)爺さん」が日々の雑感や思い出話をマイペースで綴ります。

梅の花

2004-04-30 20:20:43 | Weblog
 昨日あれだけの暖かさで(今年一番)であったのに、一夜明けたら打って変わって全くの様変わりで、気温はともかく風も強くて若い者ならともかく70歳過ぎた者のウォーキングには少し無理だった。昨日に引き続いて今日もと張り切っていたのにガッカリである。
 昨夜の札幌(兄弟)からのメールで、蕾ながら庭の梅の木の写真が添付されて来た。あちらでは梅ばかりか、近所の家に「ツツジ」などはもう満開の状態だと言う。しかし昨日訪れた公園も、我が家の庭の桜(千島桜)も他の木々未だ冬枯れその物である。たかだか300キロ少々しか離れていないのに、これだけの差がある。とは云っても此処では「梅の花」は育たない。温室ならともかくとして・・。桜も二十日は遅れるだろう。でも此処には此処の良さも有るのだから、今はせめてメールで送られて来た梅でも愉しもうと思う。


ウォーキング中毒

2004-04-29 19:32:50 | 日々の雑記
もうかれこれ7・8年前にも成るだろうか。一職員として入社していた私が大抜擢の末、組合の参事を経て組合長に推薦されていた。横割りの構成は一般の会社とは余り違いは無いが、それが縦割りとなると上層部の違いは、実際に組織の中で過ごして見なくては、そのお互いに繰り広げる組合員(企業主)の軋轢は量り知れない。その業種には全くの素人であるのに、過去にとある企業(炭砿)の総務部関係の経験があったからである。いわゆる雇われ社長としてのトップの仕事は並大抵のもので無かった。来る日も来るも気の休まる事が無く、緊張感とストレスの真っ只中に居た。そんな頃の春季の健康診断の結果、境界型糖尿病と脂肪肝である事を知らされた。どうせ或る幹部組合員の二代目が成長するまでの間のトップの席、業績も都合よく上向いていた事も有り、「命あっての物だね・・と」相談役を引き受け常勤を外して貰った。
 それから間も無くである、医師とか病院内で知り合った知人の進言を取り入れ、流行のウォーキングを毎日の生活に取り入た。もともとが凝り性の私のことだから直ぐに熱中し、万歩計を買い入れ一日一万歩を目標にした。その後の月毎の検査で数値が少しでも良くなるに連れて歩く事に専念した。少しぐらいの雨など気にせず、仲間も居る事だから休む事など滅多にしなかった。しかし冬季間には参った、雪道や氷付いた道に年齢の事も有り危険で如何しようも無かった。それでも一日に一度でも歩かなければ気が落ち着かない。歩き仲間の一人が冬道で転倒した事が起きた。それから誰とも無しに室内歩きを始めた。妻にはゴミが立ちその上絨毯が毛羽立つと苦情を言われながらも、その「家歩き」は止めなかった。そんな頃である知人の一人が「俺たちは歩く中毒者さ・・」と呟いた。全くその通りで誠に妙を言い得た事と感心させられた。正に私もその一人に他ならない。かくして本日今年一番の暖かさになると聞いては、「歩く中毒者」としては狭い家にじっとは居られない。早速く妻と街なかの公園に出掛けた。いまだ冬枯れの残る公園内には「蕗の薹」が多少目に付く程度だっが折からの祭日の事もあって親子連れなどで賑わっていた。本格的なウォーキングを約一万歩ほどこなし、久し振りに中毒を癒やして帰宅した。             

2004-04-27 22:04:56 | Weblog
今日の午前中に関西の親戚から筍が送られて来た。昨年に引き続きの筍である。ただし昨年よりはやや小ぶりであったが、きちんと処理されていたうえにかなり活きも良さそうだった。私の住んでる道東では、スーパーなどで売られているとは云いながら、筍はやはり珍しい食品である事に違いは無い。 それもかなりの数量である。 妻が早速く昼飯用に醤油と昆布だしで 煮付けてくた。店先で買ったものとは違い、馥郁とした香りが嬉しい。タップリと送られて来たから、市内の親戚はもとより隣近所にお裾分けしても、充分堪能できる訳で、筍料理も色々有るのだろうが、我が家では「わかめとの味噌和え・鶏肉との炊き合わせ」が 一般的である。欲を言いばこの新鮮さを活かして是非とも「天ぷらと筍ご飯」なども献立て欲しいものである。妻の料理の経験と技術にかかるが訳だが・・さらに贅沢を言うならば、華やかに具財を加えた「筍ちらし寿司」魅了く的である。この際調べてみたら思っていた以上に、栄養素(蛋白質・食物繊維・ビタミン類に亜鉛やカリュム分)結構多く含んでいる事と、カロリーの少ない事を知った。              


公園

2004-04-25 21:56:09 | 日々の雑記
 床屋からの帰り家路の途中に有る公園の傍を通った。昨年夏から秋へかけて妻と良く歩きに来た公園である。、車窓からも見たところ散歩中らしき夫婦連れや犬に運動をさせている人が見られ、駐車場にも数台の車が在ったので、季節はもう四月も下旬だから、春はもう直ぐ其処に来ているのだろうと、私も車から降り
て公園に入って見た。 全く驚いた事に、本州各地ではもう既に真夏日ガ続いていると放送され桜の話で持ちきりなのに、目の前の光景は春どころか「蕗の薹」さえ見当たらない、そればかりか東屋の陰にはまだ雪が消えずに残っており、更にミニ湿原に架かっている木道付近は冬枯れそのもである。こんな状態では膝の悪い妻とのウォーキングは何時になる事やらと、とてもガッカリして引き返して来た。

散髪

2004-04-25 21:53:26 | 日々の雑記
まだ勤務していた頃には大体一ヶ月に一回の割りに出掛けて居たのだが、引退して一年にもなると何となく散髪も億劫になる。もともと散髪屋が職場の直ぐ近くにあったから、仕事帰りに立ち寄るのが普通だったが、時には暇に任せて時間中に職場を抜け出して済ませたことも多くあった。しかし退職した今は自宅からも遠くなって、気軽に歩いて行ける場所で無くなった。と云っても家の近くに床屋さんが無いわけでなく、100メートルも離れていない場処に二店舗もあるし、わざわざ車を出さなくとも少し遠出をするつもりなら同じ住宅街に他にも何店かある。だからと云ってそうした初めての店にはどうも行く気になれない。私が職場近くの床屋に初めて出掛けたのは32歳の時からで、それがもう直ぐ72歳に成るから、かれこれ40年間も通い詰めている勘定になる。だからお互い気心も知れて居る仲で、別に髪型に注文を付けなくても、例えば椅子に座って何も云わずに寝入って仕舞ったとしても、目覚めた時には何時もと全く変わらない頭が出来上がっている居る勘定だ。そんな訳で今更遠く成ったからといって、店を取り替える気には毛頭なれないで居る。それに店主が常々「身体の自由が利かなく成ったら此方から出向きますよ」と言って呉れ、実際にそうしているお得意さんも結構居ると云うから満更嘘ごとでも無いらしい。
 実は髪はもう耳が隠れるほどにも伸び、前髪も目に当たる程に伸びて、今日にしよう明日にでもと迷いなかなか、億劫で出かける気になれないで居た。来週初めに病院もあり又外出の用事が出来た上、妻にも強く勧められ思い切って出かけた。
 やはり出掛けて良かったと思う。さっぱりとしたこの心地良さは何とも言い尽くせない、いい年令しながらもルンルンと気も軽くなり、真っ直ぐ家路に就くのが何か勿体無いようで、あちこち車を停めていわゆる道草をしながら帰宅した。

丹頂

2004-04-24 21:39:19 | 日々の雑記
今日の午後所用で隣村へ出かけた。妻も一緒だった。妻は特別用事は無かったのだが、行き先の途中に丹頂の餌場が在って時期にはかなりの観光客で賑わう。もう時期外れだから余り期待しないで、単なるドライブ気分で乗って来たのだが、珍しい事に多くの丹頂の番や親子連れが餌を啄んでいた。この時期にこれだけの数を見られるのは全く珍しい事である。随分この餌場のある国道を通っているが、今の時期には初めての事である。妻は思い掛けない鶴の群れに大喜びであった。私も何時も持ち歩いているデジカメに収めた。

「い」と「え」

2004-04-22 21:22:46 | 日々の雑記
 この年齢(71歳)にも成るのに何故か、「い」と「え」の使い分けがどうも苦手である。例えば「お江戸=おえど」を「おいど」とか、「声=こえ」を「こい」更に「病院=びょういん」は「びょうえん」と成る。「恋と声」・「前と舞」・「園と印円」の区別も難しい。
 これを筆記用具で直接文章(漢字)にする場合は何の問題も無いのだが、キーボードを使って、病院又は美容院を打ち出そうとして「びょうえん」と「びようえん」としてしまう。「幼稚園」も「ようちいん・ようちえん」かで一瞬悩んで仕舞う。 一番困るのは会話であって、「びょうえんにえって来るよ」、「孫をようちいんにむかいに行く」、「向うから大きなえぬが来る」など私の会話にはこうした使い分けの間違いが多い。家庭内での会話なら、笑いだけで判って貰えるが、外での会話特に公の場所での発言ではとんだ恥と成るのは必至である。
 正しくは「びょういんにいって来るよ」・「孫をようちえんにむかえに行く」であり「向うから大きないぬが来る」が正しい訳である。時には自分でも訳が判らなくなり、未だに妻や娘に酷い時には孫にまで確かめている始末である。だからと云って東北生まれでも育ちでも無く、れっきとした樺太生まれで自分では立
派な標準語を駆使しているつもりでは居るのでガ・・。
 

個人責任

2004-04-21 20:50:31 | ニュース
新聞・雑誌・テレビ・ラジオや巷で今や個人責任の大合唱!。今回のイラクの拉致人質事件は問題も確かに有ったと思うが、軽装で余り知識も無いままにする登山家、暴飲暴食の結果の生活習慣病こそ、個人責任の結果と言えるでしょうが・・。それにしても釈然としないのは、政治屋(大臣)・自治体の首長・キャリヤ皆さん方などには個人責任は無いのだろうか。例えば厚生年金積立金の無駄遣いや運用損、公定資金を受けた大銀行の幹部たちには責任は無いのでしょうか? それとも世の中の偉い人達には膨大な権利だけで、自ら負うべき責任義務は無くて、それらは全て「他人責任」とでも称するものなのでしょうか。
 「日の出ずる国・日本」は何時の間にか、最低の国に成り下がって仕舞ったのでしょうか。 嗚呼!情けない。



我が家のペット

2004-04-20 21:37:00 | 日々の雑記
ペットと云ってもそんな大袈裟な物では有りません。普段何処ででも見掛ける極く普通の金魚です。それもペットショップなどで売られていたような物でなく、近くの氏神様も秋祭りの夜店の金魚すくいで手に入れた金魚である。確か孫がまだ幼稚園児の頃の事だったと思う、その孫も今年は中学三年生になるから、かれこれ10年近くも生き延びている。当時は五匹だったがどれもこれも見るからにひ弱そうでどうせ直ぐに死ぬのだろうと、金魚鉢などは用意せず大き目のガラス容器に入れて置いたものだ。初めこそ物珍しく気にしていた孫も、見向きもしなくなった頃三匹が日を追うように死んで仕舞った。残り二匹もどうせ長くは生きられないと、多寡を括っていたのだが競い合うように成長し始めたのである。とてもとてもガラス丼如きでは間に合わず、本格的に鉢と濾過器(ポンプ)を用意して、場所も一番日当たりの良いベランダ前に置いた。二匹はその後驚くほどの成長を見せ、二年ほどの内に10センチを越え更に五年経た頃には15センチにもなった。その頃だった気の弱い方の鱗が剥げ落ちる病気に罹った。別容器に移して薬を与えたりしたが、夜明けに呆気なく死んで仕舞った。残った一匹は孤独にもめげず悠々と生き延び、今では優に20センチはあるだろう。一匹ではとやはり淋しいだろうと、今度はペットショップ屋で高級なのを二匹加えてやったが、日に一度の餌の大半は独り占めしているようである。たかが金魚に過ぎないが、これほど長く飼っていると愛着も湧き、相手も私と妻の顔を見分ける事も出来るようで、たまに顔を寄せて行くと餌でも貰えるかとばかりに大はしゃぎする。又時にはウッカリ餌の時間を忘れていたりすると、鉢の縁を突っついて催促するほどの愛らしさであり、時には側に寄って飽かずに眺めて気を紛らし楽しんで居る事も多々ある。

 



 










持病

2004-04-19 22:30:53 | 日々の雑記
病気と云いながらはっきりした事は判らない。かれこれもう十五年ほどにも成ろうか、食事などの直後とか、座っている姿勢から急に歩き始めると約100メートル程になると、決まって左肩から腕・指先へと痛みが生じた。激痛でも又鈍痛でも無くて、とにかく一口では表現のしようの無い重い痛みで、思わず立ち止って仕舞う。そして2・3分長くて5分も休んでいると、まるで嘘のように消えて仕舞う。そして痛みが一度でも起きたその日は、その後どのように歩こうが又急激に身体を動かそうが痛みの起きる事は無かった。そんな事から当時は余り気にも留めて居なかったが、加齢の所為か歩く度に起るようになった。痛みだけで心臓が苦しいとか他の臓器に異常を感じる事は無かったが、頻発するに従い心配に成り、先ず初めに個人ながら街一番の循環器専門病院で診察を受けた。心電図検査では異常は見られなかったが、問診の結果「狭心症」と診断された。その結果狭心症関係の薬4種類とニトロを投薬され半年ばかり通院した。しかし何の変化も顕れず、狭心症そのものにも疑問を持ち別の病院で検査を受けてみた。やはり心電図とレントゲンに更に「ホルター(24時間心電図)」での検査で、狭心症の疑い一切無しとされた。その後職場での健診と市の老人健診で「肺」に陰が在ると云われ、道立病院で二度(2年続き)に亘りついでに心臓の精密検査(CTスキャンなど)をして貰ったが全く異常無しだった。後は「カテーテル」検査だけですと云われたが、折からその検査に因る事故が多発している時期だったので丁重に断っていた。
 それが今年の2月14日夜半である、左肩と腕の猛烈な痛で目覚めた。初めの内こそ何時もの痛みと軽く考えて居たのだが、就寝中のこの痛さにそれに段々増して来る痛さに堪えきれず、妻を起こし娘に救急車を手配させて医師会病院(夜間当番)へ急行。念のためにニトロを含んだが全く効き目が無かった。救急病院の心電図の他「MRI」での多臓器(肺・腎臓・肝臓・膵臓・胆のうまで)を検査してくれたが、何処にも異常は見られないという。しかし痛みは一向に治まらず座薬と点滴でどうやら落ち付き、朝まで検査用ベッドで寝ていた。今は家の近くの掛かりつけの個人医院(血圧)医師の診断で、精神的要因からだろうと「筋緊張緩和剤」の処方を受け、更に週に二度労災病院で両肩に電気治療を受けている。今なお私自身としては原因はさっぱり判らないが、気温が暖かく成るに連れて痛みも和らぎ、歩く距離も少しじつ増えて来て居る事に、内心安らぎを覚える此の頃である。