昭和ひとケタ樺太生まれ

70代の「じゃこしか(麝香鹿)爺さん」が日々の雑感や思い出話をマイペースで綴ります。

初夏の阿寒の山々

2013-05-27 16:31:18 | じゃこしか爺さんの見て歩る記
 
 先日のドリームジャンボ発売日のことです。縁起を担いで家から遠く離れた売り場へ行った帰りのこと、遠目ながら雌阿寒が街路樹から垣間見られたので、
街外れの迂回路に向かいました。
 それにその道路には、嘗て亡妻と一緒に良く行っていた私だけの撮影スポットがあったからでした。
 何故回り道までして其処へ行ったのかと言うと、最近阿寒の山々は雪や霧とかの所為で良く見られなかったからです。
 それが今日、やや遠目ながら見られたからでした。

 此処のスポットへ来るのは実に久しぶりのことで、今年二度目のことで確か二月のことでした。
 その時の雌阿寒岳は、すっぽりと雪に覆われておりましたが、今日のは走りながらでしたが、余りにも鮮やかに垣間見られたからです。
 其処は車の通りが少ない通りでしたから、道路脇に車を停めても他の車には余り迷惑を掛ける心配が無かったので、車から降りて草地に入り込んでゆっくりと撮ることが出来ました。

 以前買物帰りなどで亡妻と良く来た場所だけに、嘗ての亡妻とのことが色々と想い出されて切なくなり、早々に切り上げて帰宅しました。

雌阿寒岳

雄阿寒岳

阿寒の両山




病院のチューリップ

2013-05-22 16:14:06 | じゃこしか爺さんの見て歩る記
 先日3ヶ月毎に通っている病院へ行って来ました。この病院は亡妻も長いこと通っていたところで、また最後の病院となったところです。
 それだけに三ヶ月に一度は云いながら、この病院に来るにはかなり辛いものがあるのです。と
 私が通うのは三階ですが、亡妻が通っていた整形外科は一階そして内科は二階なので、三階に行くにはその前を通らなければなりません。
 その前を通るたびに、待合室で待っている在りし日の妻の姿が、また時には付き添っている私が一緒に浮かんで来ます。
 とても平気でそれらの前を通ることは出来ず、かつての様々の想い出が甦って来て、とても平気では居られなくなってしまうのです。
 私の診察が済んだら、出来るだけ急いで外へ出るようにしているのですが、外へ出てからもまた辛い場面が待っているのです。
 それは、帰りの通り道に沿って病棟があって、亡妻が入院していた病室がちょうど角にあって、更に交差点に面していたのです。
 その病室の窓から眼を逸らした先で見つけたのが、病院の花壇のチューリップでした。
 数年来の低気温の中で咲いていた花を見て、それまでの暗くて切ない思いは洗われました。そしてさっそく車を脇に停めて撮ることにしました。








五十八回目の結婚記念日

2013-05-19 10:11:43 | 日々の雑記
 
 昨日は私たちの58回目の結婚記念日ですが、昨年同様私一人で迎えた切なくて、又とても辛い結婚記念日でした。
 私たちは、昭和三十年五月の十八日のことです。共に二十二歳の時で、私は昼間三菱で働きながら学ぶ夜間高校の四年生でした。
 あれからもう58年も経ったのです。亡妻は生前良く言ってたことがありました。それはプラチナ婚式(70年)はとうてい無理だろうけれども、ダイヤモンド婚式には、新婚旅行で行った登別温泉へ行き、ついでに函館方面の道南を一回りしたいものだね・・・と。
 しかし亡妻のそうした願いは、儚くまた哀れにも潰えてしまったのででした。

 さて結婚記念日の今日は、先ず新しい花を買おうといつもの花屋へ出掛け供花を買い、次にお供え物のお菓子を買い足そうと菓子屋に立ち寄った際、亡妻は殊のほかケーキ類が好きだったことを想い出しました。
 しかし私が4年前大腸の手術直前の検査で、偶然発見された心臓疾患病状のため、脂肪分・糖分・塩分などの摂り過ぎ禁止のために、亡妻は甘い物は買い控えるようなりました。
 亡妻は私のために大好物のケーキ類はは、すっかり諦めてしまったのでした。
 それで咄嗟にケーキを供えようと、家からは少し離れておりますが、以前亡妻と何度か行ったことのある不二家へ向かいました。
 
その入り口にはお馴染みのペコちゃんが迎いて呉れました。亡妻がしたように、私も
 「お元気でしたか・・・」と、ペコちゃんの頭をなでて入り、亡妻の好きだったケーキを選んで買いました。

 果物とケーキと新しい花とその他の和菓子などで、仏壇はまさに溢れんばかりです。亡妻もきっと喜んでいるでしょう。私も大満足でした。

 そしてその日は、在りし日の亡妻との色々な想い出に浸りながら、日がな一日を切なくも幸せに過ごしたのです。

店内にあったペコちゃん人形


我が家の紫ツツジ

2013-05-13 20:24:31 | 日々の雑記
  午前中はまったく気付かなかったのに、午後昼寝から起きて居間へ行き何気なく眼を向けた裏庭で、眼にしたのが家のムラサキ躑躅の花でした。
 四月の後半から今月にかけて昼間の気温が10度に満たない日々でしたから、
 今年の桜はどうなる事かと半ば諦めて居りましただけに、それも我が家の荒れ庭の花がいち早く咲くなんて事など、全く思いもして居なかったので、本当に驚いて眼を見張りました。
 咲いていたのは僅か10個ほどでした、この寒さの中良くぞ咲いてくれたものと、一入いじらしく、また愛おしさを感じたほどです。

 この樹は一昨年の夏のこと、市のシルバーさんに剪定をして貰ったことがあっただけに、こんなに早く花を咲かすことなど思って居なかったのでした。
 昨年は如何であったのか、全く記憶に残っておりません。
 亡妻抜きではとうてい考えられない我が家の庭の存在、それだけに辛くて切ない思いが、私の胸の中に満ち溢れてゆくのです。

 今までに無いほどの愛着を感じました。花の数は少なくても良いから、いつまでも散らずに咲き続けていて欲しいと、切に願うばかりです。

他の家に先駆けて咲き始めた我が家の紫ツツジ


気紛らしの買物

2013-05-10 16:38:42 | 日々の雑記
 今日もまた季節外れの冷たい風が吹いていたが、同じ道東地方でもここ釧路はまだ雪が降らないだけマシのようだ。
 と言うのは、オホーツク海側の一部では、五月というのに積雪が40センチにもなったと言う。とんだゴールデンウイークの贈り物だ。
 
 先日の14度にもなった暖かさは、あれは一体何だったのだろうか。毎日毎日、まさに身を切るような強風が吹き荒れているのです。
 しかしそんな日が続く中にでも、買物は止められません。大体二日おきくらいで出掛けております。
 それは家にじっとして居られないからで、家で独りじっとしていると、亡妻のことが想い出されて切なくなってしまうからです。
それに会話の少ない日々を送っていると、ボケが早く来るからなるべく外出して人との出 会いを多くする様にと、日頃からきょうだい達が気遣ってくれるからです。
ですから私の買物の殆どは、出会いとその日その日の気紛らしが主体の外出なのです。
 私が良く行く気紛らし買物先は、家の近くにある量販店から地元のスーパーなど3軒、それにもう一店少し離れた川向こうの量販店です。
 この川向こうの量販店へは、週一の割合で出掛けておりますが、その帰りには河畔に立ち寄ることにしております。
 それは白鳥を観察することにあったのですが、その白鳥はもう既に北のシベリアへ帰ってしまったことは承知しながら、河畔に立ち寄るのが癖の様なってしまったのです。
 今日もそんなことで河畔に立ち寄ってから、いつものように支流の堤防道路を通って家に帰えることにしたのです。
 少しばかり遠くなりますが、信号や行き交う車などが殆ど無いだけに、のんびりと川の流れを眺められるのです。
 そんな訳でもう何も居ないであろうと、半ば諦めて居た支流で意外にも一羽の水鳥を眼にしたのです。一瞬マガモの仲間と思ったのですが、車を停めて良く見るとマガモではありませでした。
 名前が判らないままに数枚撮り終えたところで、気付かれたのか水の中に潜ってしまいました。
 暫く現れるのを待ちましたが、それっきり姿を現しませんでした。きっと川岸の草陰にでも隠れてしまったのでしょう。
 名前の分からぬままに、ブログに載せることにしたのです。

初めて見た水鳥

同      上

 



線香

2013-05-02 20:09:59 | 日々の雑記
 
 一般的には線香に触れる機会は、お盆とお彼岸の時などでせいぜい年に三度くらいのもので、私もずうっとそうでした。
 しかし今は、一昨年亡くなった妻のために、朝・昼・晩と就寝時の四度毎日のように線香をあげております。
 これは私一人ではなくて娘(長女)も一緒ですから、消費する線香の数はかなりのものになりますが、今のところ心配はありません。
 と云うのは、これまで初七日・三五日・四九日などそれぞれの七日忌の日にお参りに来てくれた親族や知人の方々から頂いたものが、今もかなりの数が 残っておりますから、今のところ当分買う必要は無いのです。
 
 そして初めて知って驚いたのが、その線香の種類の多さでした。
これまで普通線香といえば、テレビのコマーシャル等に出て来る、青雲や毎日香だけでしたが、実際には色々と多くの種類の存在を知ったのです。
 今実際に家に在るものや、これまでに使った物には、実に次のとおりの物があります。
   ※ 青雲・毎日香・家庭菜園の香り・茶園・お茶の香   り・ココア・キャラメル・コーヒー園・清靄(せいあい)~等々

 この中でココアの香りは、まさにココアそのもので、仏間一杯にその香りで満たされるほどでした。しかしそれが仏事に相応しいのか如何か判りません。
 さて清靄(せいあい~京都鳩居堂)ですが、これは、娘(次女)の友人で京都にお住まい方から頂いた物で、その香りはこれぞ線香というに相応しい最高のものです。
 ですから私は、この線香だけは普段は使いません。今のところ月命日などで、菩提寺の住職などがお出での時など特別な時にだけ使うことにしています。

 この日には、亡妻もこの線香の素晴らしい香りに包まれて、きっと心安らかに感謝していることでしょう。