昭和ひとケタ樺太生まれ

70代の「じゃこしか(麝香鹿)爺さん」が日々の雑感や思い出話をマイペースで綴ります。

木の実色々

2010-10-31 14:41:11 | じゃこしか爺さんの見て歩る記
 今年は例年には暑さのせいで、野山の木の実などは豊作だと云われてようですが、何故か月の輪熊や日本猿に猪などの野生動物が人里近くで見られ、その人身被害なども起きています。街中で見掛けられています。
 また道内でも放牧中の乳牛は羆が襲われる被害や、蝦夷鹿が街中の学校の運動場を走り回ったりしているようです。
 専門家たちの間でも不可解な現象として捉えられているとのことですが、いまだにはっきりとしたことは分かっていないようです。
 実際に木の実などの生り具合を見たいと思う気も起こるのですが、私の今の体調では、木の実がたくさん生っているであろう、釧路湿原の奥深くとか、また山深くに歩み入ることは出来ません。
 せいぜい外歩で良く行く河畔公園とか、自転車道路くらいものですから、そこで見掛ける種類などにも限度があります。
 ですからこのブログに載せる種類の数は知れたもので、やはりハマナスの実が、啄木の短歌で知られているように印象的です。
                              ハマナスの実
 
 

                オンコ(イチイ)の木   

 下の写真は道東ではオンコの木と呼ばれる木の実ですが、この木の葉は松の葉にそっくりですから、ずうっと長いこと松科の種類だと思っていたました。
 しかしブログを始めて花などを載せるようになってから分かったのですが、実は松とは別種のイチイ科であること、またその仲間にはキャラボクと言う香木があることも知ったしだいです。
 このオンコの木は、庭木として人気があって多くの庭で見かけますが、その実が生っているのはあまり見かけません。
 実はこのイチイの木には雄と雌があって、実を結ぶのは当然雌木だけだけで、小粒で可愛いくて赤い実は甘いのですが、実はこの種には毒があり小鳥たちさえも種は吐き出すそうです。

                  オンコの実
エゾノコリンゴの実

マユミの実

                   ニワトコの実  
 
            残念ながら名前が分かりませんでした
 

近代西洋絵画展

2010-10-24 17:21:44 | じゃこしか爺さんの見て歩る記
 日常の買物や病院へ行くのはともかくとして、それ以外のことで老夫婦二人が一緒に出掛けるのは、最近ではめったに無いことでしたが、この度前々から予定していながら延び延びになっていた美術館に行ってきました。
 近代西洋絵画展は釧路市生涯学習センター内で9月から開催されたので居たのでしたが、日頃の雑用に追われて一日延ばしになっていましたが、ついに最終日となった今日、それも午後になってから出掛けたしだいです。
 炭鉱町で過ごして居たせいか、美術館などとは縁が薄かったのですが、それでも若い頃にはそれなりの機会に合わせて度々行ったこともあり、またその後にも旅行の際などにもその街の美術館を探し歩いたこともありました。
 しかし歳とともにそんなことも無く、今度の美術館行きは本当に久しぶりのことでした。
 もとより絵画のことなどまったくの門外漢なのでよく分かりませんが、とにかく難しい抽象画などよりも、パンフレットのような対象がはっきりしたのが好きでした。
 もともと夫婦ともにあまり健康的ではないのに出掛ける気になったのは、新聞やテレビの地域ニュースで見たルノワール(マドモアゼル・フランソワ)でした。

 本当はエチケットに反することなのでしょうが、たまたま係りの方が席を外した折に見ていたのは、コタボの薔薇のの花でした。
 見終わった後でまだ時間があったので、十階の展望室まで行き秋日和の市内の景観を満喫して来ました。
 ただ残念だったのは、雌阿寒岳と雄阿寒岳は霞んではっきりしませんでした。

パンフのこの絵(ルノワール~マドモワゼル・フランソワ)に惹かれて!

係りの方が席を外した隙に・・・アンドレ・コタボ(赤いバラのブーケ)

釧路市の街並み、遠くに霞んで見えるのは阿寒連山!

釧路川と橋・・・ただし名橋の幣舞橋はフレームから外れました。


夏も終わりの河畔遊歩道で!

2010-10-19 17:26:05 | じゃこしか爺さんの見て歩る記
 さてその日は、8月の末のことで、お盆が過ぎてそろそろ涼しくなって来るだろうと思っていたのですが、何故か今年にかぎって例年通りにならないで、記録破りの猛暑が続いていました。
 朝から曇りの一日と思っていたのでしたが、昼近くには青空さえ来たので、日ごろのぶらぶら歩きでもと、河畔公園に出かけたのです。もとよりいつものように、愛用のデジカメは忘れることはありません。
 幸い川風は穏やかなうえに陽射しも柔らかで、まるで初夏のような爽やかでした。遊歩道は平日のせいで、行き交う人も無くまたパークゴルフ場の先の方に人影が僅かに見られるほどで、辺り全体がいたって静かなものでした。
 道行く者は我独りのみと、道の真ん中を悠々と大手を振って気持ちよく、鼻歌まじりで歩いていると、突然轟音が聞こえてきました。
 慌てて振り向くとバイクが、直ぐ近くに迫っていたのです。とっさに脇へ避けると、凄い速さで通り抜けて行きました。
 過ぎ去るそのバイクライダーは、なんと女性で、それも長めのスカート姿でした。車輪が30センチほどの小型バイクでしたが、やはりそれなりの技術と勇気が要ることでしょう。
 この爽やかな青空の下で思い切り飛ばしたら、さぞやスカッとして気持ちが良いことでしょう。
 私も若い頃には普通自動二輪免許があったので、125ccに乗ったこともありましたが、年齢とともに50ccになり、その後は危険を感じて止めてしまい、その後免許は何時の間にか流してしまいました。
 あの小型バイクなら、今の私にでも乗りこなせるでしょう。遠のいて行く女性ライダーを見送りながら、とても羨ましくなりしばらく見送っていました。

長い髪をなびかせて颯爽と行く女性ライダー

たった一本だけのオオハンゴンソウ・青いのはクサフジ

イボタの木の花

エゾノコギリソウ


夕焼けに想う 

2010-10-10 20:49:59 | じゃこしか爺さんの想い出話
 手を繋いだ親子が、夕焼けの砂丘に長い影を落として歩いて行きます。砂漠はもう間もなく暮れようとしているのに、ただただ親子は遥か遠くの山を目ざして歩いて行きます。
 そこには家でも在るのでしょうか、真っ直ぐ続く親子の裸足の足跡がくっきりと残っております。
 夕焼けを見ていると、ふとこの光景が浮かんで来ます。おそらく既視感とでも言うのでしょう。
 ですからそれがいつ何処で目にしたのか、まったく分かりませんが、とにかく夕焼けを見ていると思い出されて来るのです。

 これはおそらくアフリカが人類発祥の地である事、そのアフリカのどこかの砂丘で、親子の足跡の化石を発見したとの記事が、かなり強く脳裏に焼きついてしまったからでしょう。
 
 夕焼けを見ていて次に想い出されのは、夢でも既視感でも無くて終戦時に実際に体験した本当のことです。
 当時私たち一家は樺太でも最大手の炭砿住んでいました。そして私はその町の国民高等小学校の高等科1年生でした。今の中学1年生です。
 忘れもしません、戦争が終わろうとしている時になってから、ソ連が突然の参戦して来たのです。
 樺太とはソ連の目の先で、当時の飛行機でも8分と掛からない近さでしたから、ソ連軍は直ぐにでも樺太に上陸して来る社宅の住民に軍から避難命令が出されました。
 しかし高等科の1年生で男子だった私は、家族と一緒に非難は出来ず、他の高等科の生徒とともに残されました。
 そして少年隊と呼ばれ住民が避難した後の社宅の見回りや、非難が出来ないで家に残っている病人などの世話などを任されました。

 やがてソ連軍が上陸して来る事態となって、ついに大人たちや私たち全員に避難命令が出ました。
 とりあえず避難場所に指定されていた炭砿の坑道の入り口で一夜を明かしたのですが、そこで私たち少年隊は解散され以後は自由行動となりました。
先に街から避難した家族たちに合流しようと思い立ち、顔見知りの大人たちに付いて出発しました。
 家族たちは近所の人たちと一緒で、おそらく隣町の内陸の奥深い農村辺りだろうと見当は付けたのですが、今更国道を行くのはソ連兵とぶつかるのは必至ですから、山越えをして行かなければなりませんでした。
 二つから三つもの山越えしなければならないので、2日も3日も掛かるでしょうから、当然野宿もしなければなりませんでした。
 その時の道中の途中で見たのが、生涯忘れられないほどにもなった物凄い夕焼けでした。
 遥かな山の端に沈み行く夕日が、避難して誰も居ない小さな農村を真っ赤に染めていました。それは物凄さと云うよりも、なぜか物悲しさをこめた郷愁にも似て、未だに想い出されるのです

夕焼けを追ってあちこち出歩く体力は無いのでもっぱら家の近くか窓からです。












半年振りの湿原夢ロード   

2010-10-02 17:51:09 | じゃこしか爺さんの見て歩る記
 先日の午後のことです。実はこの春先から持ち回りの班長を引き受けていたので、集めた町内会費を振り込むために近くの銀行へ行った帰りでした。
 先ほどまで良く晴れて強い陽射しでしたが、三時が過ぎたあたりから雲が出始めて来ました。
 昨年の夏の手術後から増えた薬のためか、今年初めから全身の湿疹で病院通いしていたので、とにかく強い陽射しは避けねばなりませんでした。
 ですから外出するのはいつも陽が傾く夕方からで、服装は長袖シャツにツバ広帽子という格好です。

 さて今回もそのような格好で出掛けました。そして駐車場に着いて直ぐに目についたのが、駐車場横の生垣の紅葉した木でした。
まだ青々とした葉が生い茂ってその生垣の中で、ただ一本が燃えるように真っ赤に紅葉したのが混じっていたのです。
 そしていよいよ歩き始めたのですが、平日でしかも3時過ぎたこともあってか湿原は静かなものでした。
 先ず歩いている人は見当たりません。寂しいくらいでした。その時ふとよぎったのが、最近になってから話題になった熊の出現でした。
 時節からいっても、また今年の猛暑の所為での餌不足からも、この時季に熊が人里近くに現れたとしても決して珍しいことではありません。
 現に今年の夏、鹿などが街中で見られたとのことが、テレビニュースなどで報じられたことがあったほどですから。
 せっかく半年振りに来たのですから、熊などのことには一切気にかけずに歩き続け、アンアダーパスを過ぎて湿原の入り口に差しかかった時でした。
 目の前に現れたのが、下の写真の看板です。前に来たときには無かったのですから、最近のものなのでしょう。
 さっそくカメラに収めて通り過ぎてから振り返ると、今度のは春採湖の案内写真でした。
 
 歩き続けて誰も居ないと寂しく思っていたのですが、直線道路の先にサイクリングの若者が連れ立って来るのが見えました。
 それを見送りながら気付いたのですが、湿原全体がまったく静かなのです。前にはあれほど囀りながら飛び交っていた小鳥たちは勿論ですが、トンボや蝶たちさえもが姿を見せません。
 そんな静まりかえった湿原の中で目に付くのは、もう既に立ち枯れたオオイタドリとかハンゴンソウなどの丈の高い植物だけで、それが時おり野面を渡ってくる風に揺らいでいました。
 そうした枯れきった湿原の中で目を惹いたのは、青空に映えるナナカマドとマユミの真っ赤な彩りの鮮やかさでした。

前に来たときには無かった釧路湿原の写真看板

一本だけが早々と紅葉した駐車場の生垣!

秋の青空にナナカマドの実が彩り鮮やかに映えていた

マユミの実が木いっぱいに鈴生り!

       同     上

帰りに見た天然記念物の緋鮒が生息する釧路市春採湖の案内板!