昭和ひとケタ樺太生まれ

70代の「じゃこしか(麝香鹿)爺さん」が日々の雑感や思い出話をマイペースで綴ります。

柳町公園

2008-04-29 18:01:58 | じゃこしか爺さんの見て歩る記
 先日の晴れた日の昼下がり、老妻を街中のホームセンターへ送ったついでに、その近くの公園をぶらつくことのした。
 そして今日が、今年初めて来たことに気付いたのだった。例年ならば、この時期には何度もウォーキングに来ていたはずであった。
 加齢により、年々体力が衰えるのは当たりまえのことだと知りながらも、日頃の活動範囲が加速度的に減っているのを自覚した時の狼狽えは大きかった。   
 しかし年齢には勝てないのだと云う諦めと同時に、どうしようもない寂しさに落ち込んでいた。 

 土曜日の午後というのに、歩いている人は予想外に少なく、時おり犬連れの人影が遠くに見え隠れするていどだった。
 私の歩きは例によって決して早くは無く、むしろ徘徊老人そのもので覚束ないうえに、少し進んでは立ち止るから、若し遠くで見ている人が居たとしたら、「大丈夫かな・・・」と危ぶんで呉れているかもしれない。
 しかしそんなことにはお構いなしで、私はただ一途に足元を見つめ立ち止り、また天を見上げて木々の枝先に、春の兆しを見つけることに忙しいだけである。 
老妻からの連絡が来るまでの約30分の間に、公園を一回りし終えたが、芝生の下萌えが僅かに色付いていたくらいで、他には目に残るものは無かった。
 ただ公園の端から全体を見渡すと、公園の中ほどに淡緑色に色付くものが見られた。少し迂回して近寄って見ると、猫柳の花穂風のようなものだった。
 子どもの頃から見覚えている猫柳は、確か川とか沼などの湿地帯にあった筈だから、同じ柳の種類でも猫柳とは違うのだろうと、疑問に思いながらもとりあえずデジカメに撮って来た。
 帰宅後すぐにパソコンで調べたが、はっきりとしたことはついに分からずじまいだった。

猫柳だと思ったのだが・・・今一つはっきりしない

遊歩道沿いの桜はまだ芽吹く気配も見せない

白樺の並木もまったく同じだ



アメマス釣り

2008-04-26 16:36:11 | じゃこしか爺さんの見て歩る記
 先日晴れて穏やかな日に試しに外歩きをした際、怖れていた不整脈は一度も起きずに済んで、久しぶりにウォーキングを楽しんだことは、先のブログに載せましたが、その後数日経っても何ごとも起らなかったことに安堵して、やはり暖かくて風の無い日を選んで、今度は新釧路川の治水祈念公園まで足を延ばしてみました。
 ここは白鳥を最後に見たとき以来ですから、約一ヵ月半ぶりの場所です。
その時には日陰などにはまだ残雪があって、更に川風も冷たくいかにも浅春の佇まいがいまだに色濃く残っておりましたが、このたび来てみて季節の移ろえをはっきりと感じることが出来ました。
 とは云ってみても、遊歩道沿いの草原はもとより、土手下の河原にも色付くものは何一つ見当たりません。
 しかし季節の移ろえは確かなようで、胴長を身に着けた釣り人が、川の中にまで入りこんでいるのを目にしました。
 初めは随分と気の早いものだと思いましたが、手前の川岸から引き揚げてきた釣り人に聴くと、今がちょうどアメマス(雨鱒)の釣れる時期なのだそうです。
 そしてさらに釣った獲物を見せてくれました。体長が約40センチほどの立派なアメマスが3匹、クーラーボックスにありました。
 会社の昼休みを利用した、ごく僅かな時間の釣果だとのことでした。
 その後もしばらく川の中の釣り人を見やり、遠い昔の子どもの頃に樺太の石炭積出し港で、休日ごとにカジカ釣りを楽しんだことなどを、懐かしく想い出しながらなおしばらく歩きつづけました。

 その後も歩きつづけましたが不整脈は起きる気配が無いままに、なおも足を延ばした遊歩道の外れで、今度はヒバリの賑やかに囀りに気付きました。
 
まだまだ身の縮むような寒い日は時おりありますが、季節は確実に移ろっているのを、身をもって感じて来たウォーキングでした。

 冷たくないのか・・・

クーラーボックスには40センチほどのアメマスが3匹・・・

頭の上でヒバリの囀りがしていたと思ったら・・・足元に


試歩・・・と言うか・・・

2008-04-20 18:39:29 | じゃこしか爺さんの見て歩る記
 試歩などと書き出してみたものの、そんな大げさなものではありません。先日起きた不整脈は、救急センターなどの心電図検査でも特に目立つような異状は見られないとの事でしたが、完全に消えることなく、その後もずうっと続いていました。 その間の日常のウォーキングは、家の中での軽めの運動に置きかえていたのですが、晴れて暖かい日には、家の中でじっとしているのが耐えられなくなり、今日ついに飛び出してしまいました。
 少しくらいならと、試しの外歩きでしたが、やはり不整脈が心配でならず、時どき手首の脈に触れながらの、ゆっくりとした歩調で歩きはじめたのです。
 暖かい陽ざしを身体一杯に浴びているからなのか、しだいに身体も軽くなりいつしか歩調は元に戻っていました。
 しばらく歩きつづけたのですが、その後も家を出るときから心配だった脈の乱れも、またその気はいもまったく無いままに、暫らく歩きつづけました。

 やく半月ぶりに訪れた自動車道路は、相もかわらぬ枯れ草ばかりが目だっていたのですが、その中の蕗の薹は大分大きくなっていました。また新顔としてコバイケイソウの若芽の新緑が、枯れ色の中でひと際眼を惹く鮮やかさでした。
 更に今度は、住宅街の外れの草むらにキバナノアマナが咲いていた。危うく見逃してしまうところだったが、わたしの足の遅さが幸いしたようです。

 今日の試しの外歩きはウォーキングには程遠い、ただのんびりと散歩ていどの歩きだったのですが、若芽や草花などにも出合えて、芯から満足できるものでした。

 もう大分大きくなっていたフキノトウ 

コバイケイソウの若芽の緑がとても鮮やかでした

うっかり見逃して仕舞いそうなキバナノアマナ


やっと咲いた我が家の福寿草 

2008-04-08 20:53:24 | 日々の雑記
 今年一番の気温(8度9分)のお陰でしょうか、3月28日の突然の雪と、4月1日の暴風雪に耐え抜いて、ようやく家の福寿草が花を咲かせてくれました。たったの三輪ですが、その数の少なさゆえに喜びも一入でした。
 
 ようやく咲いた福寿草を、さっそくブログに載せようとして、ふと去年はブログに載せたのはいつ頃だったのかが気になって開いてみたのですが、なぜか昨年のブログにはありませんでした。
 ブログを初めてから毎年のように、日頃の暇にまかせて家の花々を、「我が家の花」と題して一年ごとにCDに保存していましたから、次にCDを取り出して見たのですが、やはり去年のCDの中には、どうした訳か福寿草だけが無いのです。
 ブログのネタを探して、毎日血眼になって徘徊をしているのですから、せっかく咲いていた家の福寿草を見逃すはずはありません。
 おそらく去年は咲かなかったのだろう思います。ちなみに昨年4月の気象を検索してみると、昨年はやはり思ったとおりに雪が多かったようで、月初めには二晩にわたって降ったうえに、なんと14日夜半からの雪は15センチ近くも積もったことがわかりました。

 毎年ことですが、とにかくこの時期のブログの話題には、苦労させられるのです。 殊にここ道東地域の3月の後半から4月初めにかけては、まさに万物冬枯れの世界ですから、話題にするようなものはめったに見付かりません。
 そうした中での今日の福寿草は、さしずめ「渡りに船」か「天の助け」とばかりに、さっそくブログに載せたしだいです。

たったの三輪ですが、大雪にも耐えて咲いてくれた我が家の福寿草


似た者夫婦・・・

2008-04-05 20:45:17 | 日々の雑記
 耳の疾患メニエールのことは、昨年12月のブログに載せたところですが、なんとしたことか老妻もまた先日受けた脳神経科の検査の結果、私と同じメニエールと診断されました。
 二人の発症症状はまったく別々のもので、私の場合は左耳の耳鳴りから始まり、老妻は目まいからでした。お互い初期症状が始まって直ぐに、私は耳鼻科へ老妻は脳神経科へと、それぞれ別の病院へ行ったのですが、その診断の結果はまったく同一の「メニエール病」そのものだったのです。
 夫婦二人が奇しくも、同じメニエールと診断されたのですが、処方された薬はそれぞれまったく別々で、私のは水薬だけでしたが、老妻は目まい止めの他に脳代謝を良くし、さらに脳の活発化を促進するのもありました。

 こうして夫婦が同じ病気になったことで、肉親やまわりの知人などから、いつも仲の良い夫婦と思っていたら、病気まで仲良く一緒とは・・・と冷やかされてしまった。
 確かに今はウォーキングから買物にいたるまで、常に一緒だからまわりから睦まじい二人だと思われるが、長いこれまでの夫婦間には、まさに山あり谷ありの連続でした。加齢とともに体調が落ちて、ともに行動が制約され狭まるにつれて、いつの間にかお互いが折れ合い、また思い遣りを持つようになったのです。

 私たち二人にはメニエール病のほかにも、それぞれ疾患を持っていますから、この先の余命もきっと幾らも残っていないでしょう。
 ただ思うのは、せっかくの寿命ですから、同じ病名をもつ「似た者夫婦」として、残りの生を全うしたいとせつに願うのみなのです。

 
 今月一日の暴風雪の後、天気はずうっとぐずつき滅入っていたが、どうやら明日あたりから回復するかのような、久しぶりの夕焼け空。


長生きは罪・・・?

2008-04-02 20:36:42 | 日々の雑記
 この度市役所から、75歳以上の老人に義務付けられた新しい保険制度の保険証が送られて来た。これは法改正により今年の四月一日に発足した、いわゆる後期高齢者医療制度で定められたものです。これによって75歳以上の老人は、否が応でも加入が義務付けられました。
 その上保険料は、とりっぱぐれの無いように、それぞれの年金から天引きするということです。否応無しの、まさに政府お得意の一網打尽の等しい荒業と云えるでしょう。
 各省庁ごとの裏金に相当する財源は唸るほどに隠し持っているのに、それらを有効に使おうとはせずに、弱くて取りやすいところから搾り取ろうとの魂胆は、誰が見ても明らかです。
 好きこのんで老人に成ったわけではありません。生きとし生けるものの、いわば宿命なのです。
 いつか必ず通らなければならない道なのです。今どんなに若くて元気であろうとも、また日頃からメタボリック症候郡などの習慣病に気を遣っても、この世の中に不老不死の妙薬は無いのですから、いずれ加齢とともに、足腰が弱りやがてボケが始まり、遂には朽ち果ててしまうのです。
 そしてさらに苛めとも思える、40歳から74歳を対象に「特定健康診査」なるものを、急遽法制化したようです。まったくの差別で、75歳以上の老人は一日も早く「クタバレ」云わんばかりです。
 今さらひがみ根性は持ちたくもありませんが・・・そんなに邪魔ならいっそのこと早くおさらばしたいので、「姥捨山」でも造って投げ捨てて欲しいものだ。
 だが待てよ・・・そんなに邪険に扱うならば、とことん長生きをして逆に困らせてやろうとの、天の邪鬼がふつふつと沸いて来たのも事実です。

 この度政府は、「後期高齢者医療制度」では聞えが悪いから、「長寿医療制度」に改定することを発表した。名前なんかはどう呼ばれようと少しもかまわないから、もっと医療費を下げて安心して診てもらえる病院を増やして欲しいだけです。
 病院のたらい回しだけは、絶対にご免蒙りたいものです。

この度(3月31日未明から4月1日)、道東方面を襲った暴風雪の一こまです。20メートルを超す突風とともに逆巻く風で、一瞬真っ白になった裏庭。