先日の晴れた日の昼下がり、老妻を街中のホームセンターへ送ったついでに、その近くの公園をぶらつくことのした。
そして今日が、今年初めて来たことに気付いたのだった。例年ならば、この時期には何度もウォーキングに来ていたはずであった。
加齢により、年々体力が衰えるのは当たりまえのことだと知りながらも、日頃の活動範囲が加速度的に減っているのを自覚した時の狼狽えは大きかった。
しかし年齢には勝てないのだと云う諦めと同時に、どうしようもない寂しさに落ち込んでいた。
土曜日の午後というのに、歩いている人は予想外に少なく、時おり犬連れの人影が遠くに見え隠れするていどだった。
私の歩きは例によって決して早くは無く、むしろ徘徊老人そのもので覚束ないうえに、少し進んでは立ち止るから、若し遠くで見ている人が居たとしたら、「大丈夫かな・・・」と危ぶんで呉れているかもしれない。
しかしそんなことにはお構いなしで、私はただ一途に足元を見つめ立ち止り、また天を見上げて木々の枝先に、春の兆しを見つけることに忙しいだけである。
老妻からの連絡が来るまでの約30分の間に、公園を一回りし終えたが、芝生の下萌えが僅かに色付いていたくらいで、他には目に残るものは無かった。
ただ公園の端から全体を見渡すと、公園の中ほどに淡緑色に色付くものが見られた。少し迂回して近寄って見ると、猫柳の花穂風のようなものだった。
子どもの頃から見覚えている猫柳は、確か川とか沼などの湿地帯にあった筈だから、同じ柳の種類でも猫柳とは違うのだろうと、疑問に思いながらもとりあえずデジカメに撮って来た。
帰宅後すぐにパソコンで調べたが、はっきりとしたことはついに分からずじまいだった。
猫柳だと思ったのだが・・・今一つはっきりしない
遊歩道沿いの桜はまだ芽吹く気配も見せない
白樺の並木もまったく同じだ
そして今日が、今年初めて来たことに気付いたのだった。例年ならば、この時期には何度もウォーキングに来ていたはずであった。
加齢により、年々体力が衰えるのは当たりまえのことだと知りながらも、日頃の活動範囲が加速度的に減っているのを自覚した時の狼狽えは大きかった。
しかし年齢には勝てないのだと云う諦めと同時に、どうしようもない寂しさに落ち込んでいた。
土曜日の午後というのに、歩いている人は予想外に少なく、時おり犬連れの人影が遠くに見え隠れするていどだった。
私の歩きは例によって決して早くは無く、むしろ徘徊老人そのもので覚束ないうえに、少し進んでは立ち止るから、若し遠くで見ている人が居たとしたら、「大丈夫かな・・・」と危ぶんで呉れているかもしれない。
しかしそんなことにはお構いなしで、私はただ一途に足元を見つめ立ち止り、また天を見上げて木々の枝先に、春の兆しを見つけることに忙しいだけである。
老妻からの連絡が来るまでの約30分の間に、公園を一回りし終えたが、芝生の下萌えが僅かに色付いていたくらいで、他には目に残るものは無かった。
ただ公園の端から全体を見渡すと、公園の中ほどに淡緑色に色付くものが見られた。少し迂回して近寄って見ると、猫柳の花穂風のようなものだった。
子どもの頃から見覚えている猫柳は、確か川とか沼などの湿地帯にあった筈だから、同じ柳の種類でも猫柳とは違うのだろうと、疑問に思いながらもとりあえずデジカメに撮って来た。
帰宅後すぐにパソコンで調べたが、はっきりとしたことはついに分からずじまいだった。
猫柳だと思ったのだが・・・今一つはっきりしない
遊歩道沿いの桜はまだ芽吹く気配も見せない
白樺の並木もまったく同じだ