(Ⅱ)朝鮮ベースボール
この遊びは、先日載せた「朝鮮かくれんぼ」と同様で、必ずしも朝鮮から伝わってきたものでは無く、下記の(Ⅲ)三角ベースボール同様、この地域の子どもたちの間に、代々伝えられて来たボール遊びの一つです。ルールの方は長い年月の経過のせいで、全てはっきりと覚えておりません。確か人数なども定まって居らず、一チーム4人以上揃えば良かった筈ですが、4人から10人以内が最適でした。また守備位置は任意で、その打者に合わせて守るのです。ベースは一ケ所で相手の守備陣の隙を突くヒットで進塁して、味方のヒットで帰累出きて点数が入ります。
この遊びの詳しい決め事は、やはりはっきりと記憶には無く、上記の事柄が覚えている全てです。
この遊びは、先日載せた「朝鮮かくれんぼ」と同様で、必ずしも朝鮮から伝わってきたものでは無く、下記の(Ⅲ)三角ベースボール同様、この地域の子どもたちの間に、代々伝えられて来たボール遊びの一つです。ルールの方は長い年月の経過のせいで、全てはっきりと覚えておりません。確か人数なども定まって居らず、一チーム4人以上揃えば良かった筈ですが、4人から10人以内が最適でした。また守備位置は任意で、その打者に合わせて守るのです。ベースは一ケ所で相手の守備陣の隙を突くヒットで進塁して、味方のヒットで帰累出きて点数が入ります。
この遊びの詳しい決め事は、やはりはっきりと記憶には無く、上記の事柄が覚えている全てです。
ただ想い出の一旦として、載せておりますが、たいして役にも立たないものです。
しかし田舎老人の一つの生甲斐としての、ブログ生活です。宜しければこの後も宜しくお願い致します。
投手役がトスした球を打ちますがベースは2塁まで有りました。
私はルールがよく分からなかったため、出塁しても相手がボールを持って凄い形相で迫って来ると、ついベースから離れて必死に逃げ回りました。
すぐアウトになるので面白がっていつもやられていました。
戦前の子どもたちの遊びは、その地域や時に経過で、ルールなどにも多少の違い、また私の記憶違いが有るかも知れません。
この後しばらく休みますので、再開の折にはまた宜しくお願い致します。
昭和51〜52年の頃、大阪の下町でした^ ^