昭和ひとケタ樺太生まれ

70代の「じゃこしか(麝香鹿)爺さん」が日々の雑感や思い出話をマイペースで綴ります。

忙しかったこの一週間

2006-12-16 18:08:26 | 日々の雑記
 やはり師走である。お師匠さんや先生と呼ばれるような人物でも無く、単なる一介の年金生活者過ぎない市井の一老人なのだが、この一週間師走の慌ただしさを人並みに味わっていた。
 現役を引退したと云っても、それまでの人づき合いが一気に無くなるわけでも無いから、それまでのそれぞれの交際は続けられている。その数こそ大幅に減ったものの、時期になればお歳暮のやり取りや年賀状書きなどで、結構忙しい思いをすることになる。

 <お歳暮品選び>
 
 先ずお歳暮品なのだが、全て同じ物とする訳にゆかない。贈る相手により色々と使い分けねばならないから、色々と気を遣い結構骨が折れるものである。
 殊に此処は道内でも有数の水産都市と知られているから、地元産品の海産物が期待されるだろうし、また選ぶこちら側の考えも海産物が主体となる。しかしそうした海産物は地元だからと云って決して廉い分けではなくて、物に依っては生産地より消費地の方が廉いことがある。
 更に大消費地のデパートなどでは、信じられない安値で山積みされて売られている光景をテレビニュースなどで報じられると、毎年の事ながらその選択に苦労させられることも少なくない。
 そんな訳で新聞の折込みチラシと睨めっこして、駅前市場から市内の量販店などを駆け巡る次第となる。
 本当は、送料込みで売られている瓶缶物や嗜好品で済ませられれば一番良いのだが、これまでの付き合いの質と長さを思えばそんな事は云って居られないし、それに喜んで呉れる相手を思えば苦にならずむしろ楽しくさえなって来る。

 <年賀状書き>
 毎年のことながら年賀状書きは、一人ひとり相手が異なるだけに、文面などに気を遣いとても骨の折れる作業である。一頃よりはその数は減ったが、やはり百枚ほどは書かねばならない。全てパソコン任せで済むのならことは簡単なのだが、昭和一桁生まれで根っからの融通の悪さと頭の硬さもあって、年に一度の音信なのだからとの自分勝手な思い入れから、宛名は一枚一枚下手な筆書き、更に裏面の挨拶文も近況を事細かに言葉を選び書き入れる事にしている。
 「いい加減にパソコンを使ったら」
との家人の云うことなどには一切聞き入れず、これが俺流のやり方だからと意地を張り続けこの年齢に到っている。
 だから現役時代にはどうしても間に合わず、年が明けて元日早々に出したことも有ったほどで、それを思えば毎日が日曜日の今の身の上時間はタップリ在る筈なのに、受付日の十五日間近になってから慌て出し、好きなテレビ映画などには目を瞑って書き上げて、昨日近くの郵便京局へ出すことが出来た。先ずはホッとして早速く昨夜はビデオ録りの「FOXクライムのNCIS~ネィビー犯罪捜査官・BONNES~女性法人類学者の犯罪捜査」を堪能した次第だ。

 雪が降る前日近所を散歩した折に見つけた真っ赤な実、その深紅の見事さに目を奪われ、他人の敷地も忘れて入り込みカメラに納めて来た。折り良く出て来た住人に聴くと「ベニシタン」という名前だと教えて呉れた。

目にも鮮やか真っ赤な「ベニシタン」の実 



とんだ談合三兄弟(県知事)

2006-12-08 21:40:12 | ニュース
 現在新聞とテレビニュースを一番賑わしているのが、地方自治体の談合入札問題である。今夕6時偶々車内で聞いて居たラジオニュースで、たった今宮崎県知事の逮捕を告げていた。
 福島・和歌山に次いで宮崎でも、地方自治体トップの知事が相次いで逮捕されとのことである。まさに「だんご三兄弟」の汚職パロディー版である。
 それにしても「天の声」とは何と大時代的な言葉、陰陽師が活躍した平安の時代ならまだしも、江戸幕府時代の末世おぼしき時代でも出て来ないだろう。
時代劇での悪大寒と豪商との間で交わされる、
  「○○よ!お主もワルよの・・・!」そんなやり取りが思い出されて仕舞う。

                シシャモの溯上

 市内の新釧路川ではシシャモの産卵のための溯上中で、それを狙ってカモメにトンビも混じって賑わいを見せている。
 ご存知のようにシシャもこの時期、鮭と同様に故郷の川を溯上し産卵を終えるとその一生を終える。

             ししゃも(柳葉魚)の名の由来

 子どもの頃に聞いた話ですが、その昔北海道が「蝦夷」と呼ばれていた頃、狩猟生活が主体のアイヌ民族が大飢饉にあった時に、アイヌの神様が現われて柳の葉を川に投げ入れたところ、今まで静かだった川面が急に騒がしくなり、突然その葉の形体に似た魚が湧いて来てアイヌたちを救った。
 詳しくは余り判らないが、アイヌ語では柳の葉を「シシャモ」と呼んでいたようです。

 もう一つ名前の由来として、やはり子どもの頃に母から聞いた話では、昔北海道に渡った日本人が大量に川にのぼって来る魚を珍しくおもって、アイヌの若者にその名前を聞いたところ、返答に窮した若者が咄嗟に口にしたのが「シャモ」だったという。「シャモ」とは和人のことで日本人のことである。
 それが何時の間にか「シシャモ」に変わったと云う説である。いずれにしても詳しい事は分かりませんが、何はともあれ、この時季一夜干しの美味さは別格で、特に子持ちの味は堪えられない。

溯上するシシャモを狙って水面では大騒ぎ・・・白鳥も一羽紛れこむ

上空では多くのトンビたちも獲物を狙っていた


夕焼けとお月さん

2006-12-04 20:46:06 | じゃこしか爺さんの見て歩る記
 昨日の午後所用で本家を訪れた。用事が済ませた後も、お茶とお菓子ですっかり長居となり、日が翳り始めて慌てて帰って来た。
 何故なら家の周りや、行き慣れているスーパーなどへの道は多少暗くなっても平気だが、兄が他界してからは出掛けることの事の少なくなった今は、道路事情も変わり勝手が分からず、少しでも明るい内の方が安全と早々に帰ることにしたのだ。
 とかく問題にされる老年者の運転、足下の明るい内こそ身の安全と心しての運転が必要なのだろう。

 しかしそれにしても現世の暗さは何としたことだろう。地方自治体の談合汚職記事のニュースは、カラスの鳴かない日はあっても新聞やテレビに載らない日は無い。また苛めも然りで、更に「近未来通信」の詐欺事件、そして今日新たに警察署長の不祥事に加えて、税金還付をネタにしたサギ師出現、この世の悪事は何時になったら尽きるのだろう。

家路の途中で見た夕焼け雲とお月さん

同上