昭和ひとケタ樺太生まれ

70代の「じゃこしか(麝香鹿)爺さん」が日々の雑感や思い出話をマイペースで綴ります。

寒の雨

2009-01-28 17:13:42 | 日々の雑記
 まったく珍しいことに、寒中のそれも大寒に入ってから雨が降った。
 寒中の雨は、古くは豊作の兆しと喜ばれていたようだが、大雨で道路上の雪が、一切合切融けて消えてしまうならともかく、中途半端で残るほど厄介なものはありません。
 国道筋や幹線道路はともかくとして、特に怖いのは中途半端の残った雪が氷と化した歩道です。
 もともと除雪は、何時からか人よりも車道が優先になってしまったのですから、歩道の方はいつも後回しか、また放ったらかしのままで終わってしまうのが常となりました。

 今度の雨は、まさにその厄介な小雨だったのです。先の大雪とその後に降った霙の後だっただけに、道路はツルツル・デコボコ状態で、年寄りや子どもたちがうっかり歩こうものなら、まさに凶器になりかねない有様でした。
 いくら晴れているからと云って、迂闊に外出は出来ません。それどころか、車庫のシャッターを閉めるだけの僅かな距離だって、滑る道路に変わりはないのですから、簡単にゆかないのです。
 それなりにしっかりと雪靴を履いたうえに、更に転んでも手に怪我をしないように、軍手さえも嵌めて出る始末です。

 どうやら明日あたりからは雪になるらしいので、雪が降って固まってくれれば滑ることも無く、またデコボコも少なくなるから、むしろいくらか歩き易くなるでしょう。
 雪を待つなんて可笑しな爺ですね。吹雪にでもなったら、一番困るはずなのに・・・。

 塩を撒くところがあるようですけれど、それでは舗装やコンクリートが駄目になる恐れがあるでしょうからから、今度はホームセンターにでも行って、コンクリートなどに支障の無い道路用の砂でも買って来ようと思っているところです。
 そのうちに市のほうでも考えて呉れるでしょうが、転んで痛い目に遭うのは、誰でもなくて自分なのですから、時には自分の家の前くらいは自分で何とかしなくちゃね・・・。




私の読書

2009-01-24 15:51:18 | 日々の雑記
 
 「面白くなければ小説でない」とは、今は亡きある小説家の言葉ですが、なぜかこの言葉がいつも脳裡から離れません。

 たかが私の読書ごときは、今さら大見得を切ってブログに載せるほどのものでないのは、充分知っているつもりですが、最近年寄り向けの読み物が少ないことから、あえて載せた次第です。
 今、私の愛読雑誌としての「文学界」は、この30年来毎月読んでいることは、以前にもブログで書いたところですが、その文学界に掲載される最近の小説の様変わりようには、うまくついて行けません。
 それは、田舎ジジイに過ぎない私にとって、至極当然のことかもしれません。
 今の小説の傾向としてそうなのかどうかは良く分かりませんが、とにかく片かな言葉が多いうえに、オタクっぽいのやオカルトに加えてスピリチュアル的な物ばかりで、しっくり来ないし、また良く馴染めないのです。
 若い人たちには受けるのでしょうが、頭の硬くなった老人には理解に苦しむことも少なくありません。ただしこれも私だけのことかも知れませんが。

 またこの文学界を通して立原正秋を知り、それらの作品などから知ったのが、高井有一・田久保英夫・古井由吉・小川国夫・島尾敏雄などで、女流作家では中里恒子、園地文子、瀬戸内晴美、曽野綾子、竹西寛子などの方々です。
 中でも高井有一の「北の河~芥川賞」には深い感銘を受け、また竹西寛子の王朝物に惹かれ、後に中世古典物を好んで読むきっかけとなりました。
最近では、じっくりと読み続ける根気が失せてしまい、図書館から借りてきて読む時代物が多くなりました。
 主に池波正太郎、藤沢周平、佐藤雅美など、ほかに時代物ではありませんが、南木佳士の小説や随筆を良く読んでいます。
 
 以前ある俳優が、{おじさんの歌える歌が少ない}と嘆いていましたが、今はおじさんの楽しめる小説もまた、めっきり少なくなっていると、つくづく嘆く日の多いこの頃です。

 これは余談ですが、
 近ごろは歳の所為か、夜遅くなっても眠気がなかなかやって来ない時など、テレビにも飽きてしまって、もうしばらく好きな読書でもと思うのだが、いったいに夜の読書には灯りが必要です。
 またガソリンの価格が急落して来ましたが、それも電気代までには及びみません、やはり節約が一番なります。
 今の季節となると、電灯よりもやはり暖房が優先されるのが当然ですから、夜11時過ぎての読書はいかにも勿体ないことです。
 そんな訳で、たいして眠くも無いのに、早め早めに蒲団に入ってしまう{早寝に遅起き}が、わが家の習慣となりつつあります。
 
落日(1) 

落日(2)

 

地デジ

2009-01-19 17:48:15 | 日々の雑記
 地デジの宣伝は、ここへ来て一ころよりやや静かになったようでしたが、年が明けた最近根室地方でも観られるようになったとかで、テレビや紙上でも再び勢い付いて来ました。
  
 地デジこと地上デジタル放送は、3年後の2011年から全面的に開始されるとかで、そうなると今普通に見ているアナログ放送のテレビは見られなくなるそうです。
 誰が考え出したことやら、思うに、やはり大企業の金儲けに官僚と政治屋が、後押ししてのことでしょう。
 古今東西彼ら政治家が行ってきたのは、大企業と手を結んで如何にして金儲けをするか、またはどのようにして庶民から金を搾り取るかの一語に尽きていると思います。
 そして今一番人気のある若手グループ歌手を使って、その前宣伝に躍起となっています。
 それによると地デジ放送は、今のアナログ放送に比べてずうっと明るくなり、また臨場感溢れる迫力ある音響が楽しめるとのことです。
 さらにまた直接に番組への参加も出来るようになるから、テレビは数倍楽しくなると云うのです。
しかしそうした事は、若者たちや専門筋の方々には有難いのでしょうが、すでに加齢による白内障や難聴に悩む老人には、まったく「でもそんなの関係なぁーい・・・」の一語に尽きるのです。
 今は、そうした老人が圧倒的に多いのです。
それに何よりも、この先まだまだ使えるテレビを捨てて仕舞うなんて、わが国は資源の少ない国なのだから、物をもっともっと大切にしようとか、また資源の再利用を奨励していた今までの政策は、いったい全体どうなってしまったのでしょうか。
 また「モッタイナイ」の日本語が、ワンガリ・マタイさん(ノーベル平和賞受賞者でケニアの環境大臣)によって世界に提唱されているというのに、肝心の我が国での無駄遣いは、いったいぜんたい如何なっているの・・・!

 わが家のテレビは後3年どころか、この先もまだ4,5年は優に見られると云うのに・・・本当にモッタイナイことです。
 一般的商品の買い換えならば、Aが駄目ならBに仕様と割り合い簡単ですが、テレビのような高額商品ともなれば別問題です。
 テレビの買い替えなんかは、大企業のお偉いさん方や政治家の皆さんには至って容易いことなのでしょうが・・・要するに一般国民にそんな余裕など無いことなんて、はなっから知っちゃ居ないのでしょう。

 どうやら国民に等しく文化的恩恵を与えるのとの趣旨らしいのですが、それなら何で今テレビなのでしょうか。
 若し政治家や官僚たちにそんなに暖かい思い遣りの広い心があるならば、テレビに限らず老人医療・派遣切りなどの就職問題、他にやって貰いたいことは、まだまだたくさんあるはずです。

 また、今回の放送スシテム変更が、国民のためを思っての施策と云うのなら・・・、今年4月に発足した年寄りは早く死ねとばかりの「後期高齢者医療制度」とか、一方的な年金からの保険料天引きなど、まさに老人への苛めとしか思われない制度と、一体全体どのように辻褄を合わせようとするのでしょうか。
 是非とも訊いてみたいものです。
 
 
 それにいても、現在我が家のテレビで重宝している、時代劇を見ながらも気になるスポーツ番組が見られ{2画面方式ー左右拡大縮小可能}、またドラマを見ながら他の全チャンネル小画面}も見られる{インデックス}、そしてさらに ニュース・スポーツ・天気・産業経済・等々が見られる{ モジネット放送}などは、如何なるのかな・・・と家電屋の店員さんに訊いたら、おそらく地デジ対応のテレビでは見られないとのことでした。

 私ら夫婦の余生は、如何あがいてもせいぜい後4・5年でしょう。今あるテレビはそのくらいは充分もつ筈なんですから、勿体ないことに違いはありません。
 どうして選択制に出来ないのでしょうか。一方的押し付けるのは、民主主義にも悖るもの・・・と不信感は膨らむばかりです。


 不甲斐ない年寄りのやっかみとボヤキと愚痴になってしまいました・・・。

先の暴風雪の名残・・・家の窓から見た屋根の雪と氷柱と夕焼け空!


どんど焼きで

2009-01-15 20:57:59 | じゃこしか爺さんの見て歩る記
 昨日の昼間、近くの神社へ行き恒例の{どんど焼き(左義長)}をして来ました。
 単なる昔からの云い伝いに過ぎないのでしょうが、このどんど焼きの煙を身に浴びると、今年一年は無病息災で過ごせるとかで、それになんとか肖ろうとしたわけです。
 ここの神社のどんど焼きは、毎年早くからやっていると聞いていたので、今日あたりは大分空いているだろうとおもって出掛けたのですが、駐車場はどんど焼きの場所になっていて入れません。
 車は神社前の道路脇に停めるより他に手は無いのですが、そこは既にいっぱいで入り込む余地はありません。
 降ったばかりの雪道はけっこう歩きづらいせいで、出来れば先の方に停めたい思いはみんな同じなのでしょう。先頭の方では、空いたらすかさず入り込もうと、誰もが鵜の目鷹の目の様相で犇めき合っています。
 初めは混み合う先の方に居たのですが、どうせ暇な身なのでそんなに急ぐことも無かろうと、後方に下がってのんびりと待つことにしました。
 行き来する人たちは、まさに老若男女そのもので、夫婦連れやら一人で先を急ぐ者、仲良く手を繋いで行く若夫婦たち、その中でもお互いを庇い合いながら歩く老夫婦たちが、特に多かったようです。
 そんな中に何も持たない老夫婦がゆくので、どんど焼きでなく何で来たのだろうかと眺めていたら、突然おじいさんが小走りに戻って来ました。
 なおも見ていると、車のトランクを開けてどんど焼きを取り出したので、これはやはり私が日頃から良くやるうっかりミスと同じだと思うと、思わず笑いがこみ上げて来ました。

 一台ずつ順番を待つうちに、やがて中へ入ることが出来ました。さっそくお賽銭を入れて家族の息災をお祈りしてから、たっぷり煙を浴びようとして火に近づき過ぎたせいで、煙に咽てしまい咳き込む挙句に涙までが出てくる始末でした。我ながら情けないやら可笑しいやらで、しまいには笑い出すしまつです。

 どんど焼きの場所の一角に、振舞い酒のテントが設けられてあって、その台には弧も樽が置かれていた。中年の男性が飲んでいたので、私もその縁起物に与ろうと一旦は近寄ったですが、たとえ小さな盃の僅かな酒であろうと、違法な飲酒運転に違い無いと気付き、諦めて車に戻ったしだいです。
 良く考えてみたら、酒はもともとドクターストップの代物でした。トホホ!
 
 この文章にも白鳥の写真でもと、雪道を河畔へ出掛けたのですが、先の暴風雪のせいか居ませんでした。

お正月の想い出 

2009-01-12 16:36:19 | じゃこしか爺さんの想い出話
 今さら正月でも無いだろうと思ったのですが、今度の暴風雪で外は一面の雪景色、風が止み空も晴れたからと、直ぐに外歩きが出来る訳はありません。
 況してや、日頃から覚束ない歩きの年寄りでは、吹き溜まりがあちこちに出来ている雪道などはとうてい無理なことです。
 とにかく外歩きが出来れば、{犬も歩けば・・・}のたとえで、気になるブログ更新のネタにでも出合えるのでしょうが・・・そんなことからふと思いついたのが、子ども時代の正月でした。

 お正月への楽しみは、先ず餅つきから始まります。早い家での餅つきは、だいたい二十日過ぎた頃から行われ、その音は気合の声とともにあちこちの家から聴こえて来るようになります。
 クリスマスと云うものなど無かったし、またまったく知らない時代でしたから、近くに住んでいる親戚からの搗き立ての餅が来るのが、一番の楽しみです。
 やがて順を追って隣り近所でも始まります。当時は餅搗きの道具類を持っている家はは少なく、ほとんどは借り物で賄うのです。
 下の方の長屋から順を追って回って来るのですが、我が家の順番をまさに首を長くして待ったものです。
やがて隣で始められると、いよいよ明日は我が家の番です。気持ちは徐々に昂まり、夜になってもなかなか寝付けないほどです。
 そしてこんな戯言で
 {とんとんと 隣で餅搗く杵の音 耳に入れど 口に入らず}
 待ち焦がれるのでした。
  その順番が二十九日に当たるとがっかりします。{二十九は苦に繋がる苦日餅}と忌避されて、翌日にまわされて仕舞うからです。
 科学が進んだ今も我が家では、神棚の掃除や注連飾りなどは二十九日を避けており、また正月用品の買い物に行きません。
 単なる迷信とは思いながらも、両親の仕来たりを今も続けているのです。
 
 さて我が家の餅つきは、家族が多いうえに近くに住む叔父の家の分と一緒に搗きましから、約一俵(60キロ)ほどにもなりました。
 晩飯後に始められた餅つきは、両親や兄たち叔父夫婦の手で、翌朝6時ころまで続けられるのです。その間私と弟と従兄弟たちは、時には「邪魔だ・・・」と叱られながらも、丸められた餅を運んだり親たちの目を掠めてこっそり餡子玉を摘んだりして、はしゃぎ回るのが常で、それはそれはとても楽しい餅つきの一夜でした。
 
 次が大晦日です。まず夕方早々に風呂(炭鉱の共同風呂)に行かされるのですが、そこには学校の友達や近所の遊び仲間が来ているので、ついつい遊び過ぎてしまいます。
 慌てて家に帰ると直ぐに、母が用意してくれた下着を取り替え、めったに着ること無い他所行きの服に着替えるのです。
 そして背広に着替えた父を先頭にして神棚をお参りしてから、年に一度のご馳走が並んだ丸い卓袱台を囲むのです。
 腹いっぱいになった後の楽しみは、酒で上機嫌の父からのお年玉、{お年玉}という上品な言葉ではなくて、方言の{うまっこ}と云っていたのでしたが、その{うまっこ}も年に2回の正月と炭鉱祭りだけくらいですから、大喜びしたものです。

 明けて元旦早々に若水を汲みに行くのが、その頃の私の役目でした。朝早く母に起こされて長屋横の谷川へ行き、氷を割って汲んで来るのですが、まだ寒中前とは云っても、樺太の外は並大抵の寒さではありません。
 寒さに手を悴ませながらも子ども心に、神様に挙げる水を汲むという厳粛な大役に満ち足りていたのです。

 家族揃っての雑煮を食べ終えると、弟と学校へ出掛けます。大講堂では御真影(天皇陛下)を前にして式典が始まります。
 君が代の斉唱で始まる式典は、教育勅語や校長の話などで長くなり、また講堂の寒さも重なりとても辛いのでした。それが終わると一目散に帰宅します。
 石炭ストーブが音を立てて燃える部屋で、きょうだいたちとのカルタ取りや双六、福笑いなどの遊びは、正月には欠かせない一齣で、60余年過ぎた今でもはっきりと記憶に残っております。


 私のブログは、文章だけでは寂しすぎるので、暴風雪の前日裏庭にやって来たヒヨドリを載せてみました。    (壱) 


        (弐)

       (参)


初歩き

2009-01-07 20:42:33 | じゃこしか爺さんの見て歩る記
 今日は老妻の日赤整形への予約日だったので、いつもより少し早めに起きた。七草粥はお昼にすることにしていたから、軽めの朝食を済ませてさっそく出掛けたのだが、やはり出勤時とあってかなりの混みようだった。
 あらかじめ少し早めに出たお蔭で、気が急くことも無しに予約の時間に充分間に合った。
 予約と云っても正月早々の病院は、どうせ時間は掛かるだろうからと、一旦家に戻って待つことにした。
 家に戻ってパソコンを開いたが、一人っきりにはあまり慣れていないから、次にテレビを点けてみたもの、やはり手持ち無沙汰と云うのか落ち着かない。
 窓からの空には、雲一つ無く真っ青だった。それに今日は風が穏やかなようで、庭木の枝はそよともしていない。
 ガラス越しのお日様を浴びていると、ストーブが要らないくらいに身体が温もって、やがて眠気さえもよおして来るほどだった。
 せっかくのこの天気、一人で家にくすぶっているよりはと、外歩きで気晴らしを思い立って家を出た。
 それに老妻からの連絡は、何も家でなくても良いのだった。
 今年の初歩きは、老妻からの連絡を待ちながら、とりあえず歩きなれた河畔の遊歩道にした。
 川面には氷が一杯だったが、道路には雪の欠片さえ無くて、夏同様に乾いていて歩きやすかった。
 目当てにしていた白鳥たちは、いつものように支流の河口で、人待ち顔で・・・否!餌待ち顔で群れていた。
 
 待つこと1時間半余、老妻からメールで切り上げた。万歩計を見ると約8千歩歩になっていた。初歩きにしては上々である。
 病院から家に戻った老妻が、着替えも早々にしてつくった餅入りの七草粥は、先ずはお神酒とともに神棚へとお供えしたのだが、それさえ待てないほどの腹の空きようだっただけに、その美味かったこと、うんうんと頷くだけで、直ぐには言葉が出なかった。
昨日の朝がマイナス12度まで下がったので、川面には氷がいっぱい・・・

氷の無いところを選んで群れていた白鳥

まだ若い番が離れた場所で・・・

何を狙うのか?・・・真っ青な冬空に悠々と舞う1羽のトンビ


2009年初詣

2009-01-04 21:16:10 | 日々の雑記
  初詣は、例年三ヶ日に済ませていたのですが、今年は三ヶ日が明けた今日行って来ました。そのお蔭と云ったら語弊はありますが、毎年楽しみにしている元旦の{全日本実業団対抗駅伝}と二日三日の{東京箱根間大学駅伝}が、初めてゆっくり楽しむことができました。
そして今日四日に、いつものように地域の氏神様の鳥取神社と市の厳島神社をお参りして来たのですが、予想通り境内内の駐車場は空いていました。
 私たち夫婦は共に体調の関係で、歩く距離が短ければ短いほどとても助かりますから、出来れば道路が混み合う三ヶ日は避けたかったのです。
 それにまた、近い方の神社はともかく、往復に一時間ほどかかる厳島神社までの長い運転は苦手でした。
 幸い今日は日曜日でしたから、いつも混み合う場所や街中のなどガラガラで、気持ちよいほど走り良かったのです。
 ただ手水舎は閉まっていたうえに、お参りの人たちがとても少なくて、初詣での厳粛さや清々しさなどは、あまり感じられませんでした。
 でも、老妻のお御籤は珍しく大吉でしたし、それぞれのお守りと交通安全のお守りに、破魔矢などもいつもどおりに買って来ました。
 ささやかながらも満ち足りた今年の初詣でした。

参拝者が少なくて寂しい鳥取神社の社務所前

厳島神社横の米町公園からの阿寒連山・・・雄阿寒岳は工場の煙の陰に

米町公園からの釧路市街の一部


新年

2009-01-01 21:39:58 | 日々の雑記
 皆さん明けましておめでとうございます。
昨年はたくさんの方々から応援をいただき、心から感謝しております。
 
 大晦日には、年甲斐もなく夜更かしをしたので、元旦はのんびりと寝正月を決め込むつもりでしたが、テレビのニューイヤー駅伝を思い出して、いつもどおりに起きてしまいました。
 そしてテレビの前に座りっきりで、駅伝や他の番組を見続け、まさにテレビ三昧で過ごした元旦の一日でした。
 こんなちゃらんぽらんな年寄りブロガーですが、ブログは残り少ない余生のよすがとして続けますので、どうぞ宜しくお願いいたします。