昭和ひとケタ樺太生まれ

70代の「じゃこしか(麝香鹿)爺さん」が日々の雑感や思い出話をマイペースで綴ります。

速いものだよ・・・睦月尽!

2006-01-31 18:43:56 | 日々の雑記
 速いもので一月は今日で終わりです。つい先だって新年を迎えたと、思っていたのにこの速さである。年をとると月日の経つのが速く感じると聴いていたが、実際に自分がその年齢に成ってみるとそれは想像以上に実感している。

 それは時間の早さばかりでなくて、この今年の寒さは何としたことか。昨年はこれほど感じなかった寒さは、今年に限って何故なのだろうか。
70歳を過ぎる年齢に成れば、たった一年の違いなのに、同じ身と心が今年の冬の寒さについて行けなく成るものなのか。
 我乍ら家に閉じ篭って居る己が不甲斐無く、恥ずかしくなって来る始末です。

 こんなことをしているから、益々意気地なく家の中に閉じ篭って仕舞うのかも知れないのだと、猛烈に反省してみるのだが、生来の気性はもって生まれたもので、まさに「三歳児の魂百までも」なのである。
 幾ら年寄りでもまたボケ防止の為にも、これではいけない事は百も承知なのだが、好きな撮影もこの雪道には気が焦るばかりである。
 しかしこの寒さに耐える体力は無く、丹頂の給餌場へも行ってみたいのは山々なのだが、この冬道を乗り回すほどの運転技術の無いのがとても辛い。昨夕もそうだった。窓から見る空が良い具合に夕焼けていたから、何時ものポイントへ行けばキット良い夕焼けに合えるだろう思うものの、幾ら夕焼け好きの私でも、今時の雪道が怖くて二の足を踏み、結局は諦めて仕舞った。やはり当分はじっと家の中に閉じ篭る他に手は無さそうなのである。

 やがて時季が来て雪が融けて春が来るまで、やはりじっと我慢の子なのだ。
これはせっかく天が授けてくれた時間なのである。昨年の秋ふとしたから思い立ち、それ以来ずうっと胸に温めて来た「自分史」制作に、取り組もうと思う次第です。

 昼から風も無い上に、気温はプラスになったので、それに腹ごなしに少し散歩でもと、近くの河畔に出てみた。そして思いがけない光景に出会った。
全面結氷している川の氷上に、なんと白鳥の群れが休んでいたのです。
 見るからに幼鳥と分かる灰色がかったのも混じっていたから、恐らく親子連れの集団が、根室か網走方面の湖沼への途中の中休みなのだろう。

        製紙工場脇の川の氷上でひと時羽を休める白鳥の群れ





お恍惚け電話

2006-01-27 18:16:42 | 日々の雑記
 昨日の夕方のことである。電話のベルが鳴り出したが、何時もは出る筈の老妻はちょうど晩飯の仕度で台所、傍に居たのが私一人で受話器を取り上げた。

 「もしもし・・・○○さんのお宅ですか」
と、かなり電話慣れした妙齢な女性の声だった。声だけで妙齢か如何かは分かる筈が無いのだが、何故かその時にはそのように感じたのだった。
 「はいそうです」
私の応答に今度は先刻っきとは違って、機械的に喋り始めた。
 「こちら????のマキです」
初めの言葉が聞き取れなかったので、再度聞き返すと
 「ジュエリーのマキです」
私はこの宝石屋が、特に最近になって煩いほど頻繁に電話を掛けて来て、特に煮物や焼き物などで手の放せない最中に掛かり、ほとほと困っているのを老妻から聞かされていたのを思い出していた。そして咄嗟に惚けることにした。
 「モシモシ私は留守番の年寄りで良く分かりませんが、マキさんと云うと女性の歌手ですか。歌は演歌しか分かりませんが・・・」
私のその返答に相手の女性は呆気に取られたようで、一瞬間を置いてから
 「宝石屋なんですが、もう良く分かりました。本当に失礼致しました。」
と云ってから電話を切った。

 私の耄碌ジジイのお惚け演技は、思いよらず物の見事に成功し、しつこい遣り手電話セールスを撃退したのである。

 後は老妻に話して大笑いとなった。偶々家に来た娘にも話して聞かせたら、またまた3人で大笑い、それにしても上出来まさに嘘も方便と、娘にも煽てられ気を良くし、暫しの間得意になって過ごした次第です。

懐かしい日本の火・・・囲炉裏の火

2006-01-23 22:16:32 | 日々の雑記
 
 今朝起きて来て直ぐにニュースでもと、テレビを点けたら、或る民放のワイドショウ特集番組の途中だった。起きたばかりの頭には余り良く残っていないが、そのタイトルは確か「懐かしい日本の火・・・囲炉裏の火」とあったはずである。
 興味を覚え着替えもそこそこに見入り、遂に番組の最後まで見てしまった。
それはルポ的番組で、冒頭積雪約3メートル近い長野県白馬山麓の50軒ほどの集落、それも雪をこんもりと冠った、ただ一軒の萱葺き屋根の民宿だった。

 ルポライター役の女性記者が、雪が3メートルも在ろうかと思われる、まるで掘割りような道を進んで、一軒の家に入った。そこがルポ先の民宿だった。
 その家の土間を上がると部屋の中央には、見るからに民宿ならではの大きな囲炉裏があって、それが大写しされた。
 薪が勢い良く炎を揚げている囲炉裏端の老人が、外からの記者を手招いて囲炉裏に寄らせ、直ぐに両者の会話が始められた。それは主に老人の囲炉裏に付いての説明だった。
 
 Ⅰ・囲炉裏の四隅には神様がそれぞれ宿っていること。
 Ⅱ・囲炉裏の上の自在鉤は火の勢いで調節が利くこと、またそれに掛けられた鉄瓶   の口の向きには、善し悪し(風水的)があること。
 Ⅲ・囲炉裏の一つの隅に置かれている黒くて丸い石は、昔は乳幼児が囲炉裏に転げ落ちて大火傷を負ったものだ。それでこの石が身代わりになっていてくれるのだと云うこと。
 私はそこで昔国語の読本に載っていた「野口英世博士」の偉人伝を思い出した。
それによれば、野口英世も確か幼児の頃、やはり囲炉裏に転げ落ちて際に左手大火傷を負っていた。そのことを母親が生涯苦にしていたことや、そのハンデーを乗り越えて果たした彼の人類への世界的貢献等々。

 そうこうしている内に番組もラストとなり、テレビ画面は昨年の大晦日年越の
夜に替わり、大小合わせて30足ほどの靴が脱ぎ捨てて在る土間が映し出され
た。この民宿で年越しをする宿泊客のものである。その半分は子どもである。
インタビュに答えて居る者の中には、25年20年15年と答えるものが半数以上
もいた。
 親の代から運営を引き継いで来た、80歳の老人夫婦の温厚篤実な暖かい人柄に惹かれて来ているのだという。
 それに年越しに出される料理は、やはり80歳近い奥さんの手作り料理で、決して特別で山海の珍味が揃うわけでは無いが、その素朴な味付けに魅せられているのだと口を揃える。

 何と云っても山場は、晩餐の準備時である。此処の親仁さんが、「うちのお客さんはみんな従業員です」と云うようにお客さん全員で、お膳を出して料理を並べて行く。それは大人も子どもの差別無く全員で立ち働いているのである。
 この事は食べ終わった後の片付けの時も同じだった。

 やがて年越し宴もクラマックス、囲炉裏を囲み男の子の音頭で始まるカウントダウンが始まった。まさに感動的で最高な場面であった。

 私は生まれてずうっと炭鉱町で育って来たから、暖房などは全部石炭ストーブだったから、直接囲炉裏の生活の経験は無いが、戦後良く訪ねていた伯母の家が、半農半漁の村だったので其処で補助的に使っていた囲炉裏を多少知っていただけにとても懐かしく思えた。
 
 それだけに今日のこの民宿の老人夫婦を囲んでいる人たちに、忘れていた日本人の心の素晴らしさに感じ入り、世の中金だけじゃ無い・・・を実証する、囲炉裏の火と同じようなその人たち心の温かさに浸っていた。

 後で思ったのだが、この山深くて豪雪地帯の民宿の宿泊者に、大人の女性がただの一人も居なかったことが不思議だった。女性と云えば子ども或いは中高生だけだったのである。

 久しぶりに感動的な番組に出会えたことにとても感謝していた。

今日から大寒

2006-01-20 18:46:03 | 日々の雑記
     ☆ から鮭も 空也の痩せも 寒の内・・・松尾芭蕉
     ☆ 声走る 寒の落日 見に来よと・・・永井龍男
 
 1月20日今日から愈々大寒に入りました。
大寒は「二十四節季」の1つで、5日の寒の入り(小寒)を経て、今の暦で言うと1月20頃から2月4日の立春までの約二週間がそれに当たるということです。
この期間は一年中で一番気温が下がって、最も寒い時期となります。
 また地方によっては、寒中の雨は豊作の前兆と歓迎する所もあるそうです。
しかし繰り返し襲って来る今年の大寒波にはもうウンザリです。昨年気象庁より出された今冬の長期予報は、周知のとおり確か「暖冬」だった筈です。
 その予報はものの見事に外れ、本州日本海側の豪雪はまさに38年以来のこととして、死者は100人を超し、また負傷者の数も2000人を超えて、その被害は甚大なるものがあります。
 そして今なお地域によっては交通が遮断されて孤立化し、毎日の生活さえも脅かされています。自然の猛威とは言いながら、ともすれば後手後手の対策に苛立ちを覚え、まことにお気の毒なこととお見舞い申しあげる次第です。

 さて今年の豪雪の被害は、北海道でも同じでやはり各地で交通が遮断されて、自衛隊が出動した地域もあります。
ただ当地の場合、気温こそ道内最低を記録する日もありますが、積雪も今のところ24センチそこそこととても少ないことです。
 更に幸いなことに朝晩の気温が低い割には良く晴れ、その上風がかなり穏やかな日が続いていることです。

 今年は暖冬との長期予報で、胸を撫で下ろしたのも束の間のことで、年末から今年へかけての記録破りの低温と、昨年の記録を越す積雪に戸惑い困惑の毎日です。 その上灯油の高騰が更なる重圧となって、日々の生活に追い討ちをかけて来る始末です。

      ◎ 吐く息の 濃く重くして 寒の入り
      ◎ 吐く息の 濃ければ寒に 入る気配

    大寒の日の落日・午後4時30分・気温マイナス3,2度・積雪23センチ

                       同上


どんど焼き

2006-01-15 18:12:08 | 日々の雑記
     ◎ どんど焼き どんどと雪の 降りにけり・・・小林一茶
     ◎ 左義長へ 行く子行き交う 藁の音・・・中村草田男   
 
正月恒例の「どんど焼き」が、地域の氏神様で昨日14日から始められ、今日に亘って行われています。
 俳句などではこの「どんど焼き」のことを「左義長=さぎちょう」と呼ぶ慣わしがあるようです。元々は昔の朝廷で、正月14日から15日に掛けて行われた火祭りが、後の世になって正月飾りの「松飾やしめ飾り」を燃やす行事に繋がったと云われています。
また地域によって色々と慣習も在るようですが、一般的にはその煙を身体に浴びるとか、この火で焼いた餅を食べると、一年間無病息災で過ごせると言い伝いられております。

さてこの「どんど焼き」ですが、昨今ではかなり事情が変わって来ました。
先ず燃える物と燃えない物との分別作業から始められ、火勢にも以前のような威勢の良さが影を潜め、昔の様子を知る者の寂しさも少なくありません。とは云うもののやはり神社で処理しなければ、神を粗末に扱うことにもなり、また無病息災の縁起のこともありますので、早速く「どんど焼き」に出掛けました。
お賽銭を投げ入れ二礼二拍手の参拝を済ませてから、火勢に押されながらも今年の厄を併せて投げ入れて来ました。

広場の入り口のところに「お神酒の振舞い酒の」のコーナーが在りましたが、運転中のこともあり割愛して帰って来た次第です。
 
      ・・・ どんどの火 ぼうぼうと噴き 厄祓う・・・

             < どんど焼き >・Ⅰ

             < どんど焼き >・Ⅱ

             < どんど焼き >・Ⅲ




初歩き・・・そして白鳥発見!

2006-01-10 17:06:51 | 日々の雑記
 この4・5日ほど、気温はかなり低いが、風が無く良く晴れた日が続いている。
東北や日本海側の豪雪地帯や、例年に無いほどの雪に悩まされている道央の皆さまに、心からお見舞い申しあげます。
 ある程度の凍れは在っても、雪の少ない方がどれだけ助かることか、特に老人には有り難いことこの上ない。

 さて初歩きのことだが、やはり良い具合に朝から良く晴れていた上に、珍しく風が無い日があった。昼間初歩きを思い立って、近くの河畔道路へ老妻と出掛けた。しかし天候こそ申し分無かったが、肝心の道路の方が、昼間融けて夜凍れるの繰り返しで、ガタガタ状態で杖突の老妻の足にはとうてい無理だった。
 それで今日の風の凪ぐ昼間を選んで、初歩きに再び挑戦してコースは少し足を延ばして、夏の間引切り無しに利用していた馴染みの自転車道路へ出掛けた。

 来てみると心配していた川風も無く、日当りの良い分だけ意外に暖かく感じた。約半月ぶりの初歩きだけに、余り無理せず歩く距離を抑えて、むしろ日光浴を目当てにブラブラと歩き続けた。その途中で側を流れる釧路川の支流(仁々志別川=ニニシベツ川)で、全く思いもよらない光景を目にした。
 それは白鳥の群れが氷の張っていない水面に、キッカリ11羽群れていたのである。湖沼なら未だしも、住宅が建ち並んでいる上に、バイパスが川と並行して延び、それなりに車の往来が多い場所なのである。
 これまでに本流の釧路川で、偶々2・3羽の白鳥を見掛けた年もあったが、迷い鳥だろうくらいに思っていた。

 早速くカメラにおさめ、更に下流に進むと今度は鴨の群れが居た。今頃まで居るのかどうかは判らなかったが、全身が真っ黒だったから、夏に春採湖で見た「オオバン」だろうと思ったが、良く考えれば夏の水鳥が真冬まで居る訳が無いので、はっきりした事は判らなかった。
              氷が融けた水面に群がる11羽の白鳥

      少し離れた下流に鴨を発見、全身が真っ黒なので「オオバン」? 

                 雪の自転車道路

                     同上 


<七草(七種)粥

2006-01-08 17:37:47 | 日々の雑記
 昨日は七草、いつもの年ながら、七草の朝は老妻の七草を刻む、俎板の音で目覚める。
 トントントン・トントントンと、リズムカルに景気良く音を立てて叩く(七草打ち)ほどに、縁起が良くなるとの云われているからでも無いだろうが、特に今朝は勢いがあるようだ。
 何時までもダラダラと寝ている己自身の疚しさ故に、余計そう聞えて来るのかも知れない。
 しかし老妻が打つ俎板の音を耳にしながら、まどろみの世界に浸るの心の安らぎは、何ものにも替え難い平和なひと時でもある。

 身を清め三が日以来の、お神酒に我が家習慣の餅入りの七草粥を供えて、昨年一年の家族肉親の息災に感謝し、更に今年一年の無事息災を祈った。

 日本に古くから伝わる七草の慣わしは、恐らく中国から渡来したものでしょう。今更ここにその由来を記載することはしませんが、とにかく年越しから正月三が日にかけての、とかく濃い味付けとボリュームのある食品を鱈腹に詰め込まれて、悲鳴を上げ続けているに違いない胃袋には、目にも鮮やかな七草の緑が混じる七草粥は、まさに真夏の清涼なる一滴に等しく有り難い存在であろう。
 事実寝床から起き出て、茶の間に入った瞬間に鼻を入る七草粥の香りに、何時もの朝とはまるで違った、新鮮な食欲を覚えた。

 今日の七草で今年の正月の行事は、鏡開き(11日)を残すのみで一応終った事になる。しかし我が家ではその鏡開きの習慣は無いので、今日で注連飾りなどは全て取り外すことにしている。これらは15日に神社で行われる、「どんど焼」の日まで大事に保管して置くのが、我が家の仕来たりである。

川が凍った日

2006-01-06 18:47:40 | 日々の雑記
 雨になるほどの暖かさに恵まれた三が日が過ぎて、そろそろ寒さがぶり返すだろうとの心配していたのだが、その後も東北日本海側の豪雪をよそに、割り合暖かい日が続いた。
 更に昨日小寒に至っても、日差しが部屋いっぱいに入る日中には、短時間とは云いながらも、ストーブを消すほどの暖かさだった。高騰続きの灯油のことを思えば、なんと云う有り難い寒の入りかと感謝しつつ、この分なら暖冬も夢で無いぞと、些かながら希望を抱いた。

 ところが今朝になってみると、そんな甘い希望は儚く消えてしまい、気温は一気にマイナス15度までに下がり、真っ赤になるほどにストーブを燃やしても、部屋中には追いつかず、暫らくはストーブにしがみ付く始末だった。
 こうしてみるとお日様の有り難さを、しみじみと感じた午前のひと時だった。

 しかし昼に近付くにつれて気温が上がり、そのうえ昨日までの風が無いようで、珍しく近くの製紙工場の煙が真っ直ぐだった。
 この分なら「初ウォーキング」も可能だろうと、手っ取り早い近くの河畔に出掛けた。
 しかし来て見てビックリ!川面は一面に凍結していた。全面結氷今冬初めてだろう。やはり小寒の凍れは並大抵では無かったのである。
ただ川上に較べると、製糸工場の辺りの氷は、排水の温もりの所為なのか融けていた。その僅かに現われた水面にカモメたちが群がっていた。
 そんな気温に引き替え、今の日差と無風に誘われたのだろう、いずれも着膨れた人たちが既に歩いていた。

 一旦河畔に降りたものの、河畔道路の状態はそんな生易しいもので無く、杖つきの老妻には到底無理なほどに凍結していた。
これでは諦めるより他は無いだろうと、なおも未練気な老妻を促し早々に退散して来た。
               今冬初の全面結氷(1)

                   同上(2)

            氷が融けて現われた水面に群がるカモメたち






正月三が日が過ぎて

2006-01-04 18:29:16 | 日々の雑記
 どうやら正月三が日も無事に過ぎて、お屠蘇気分からも目覚め、何時もの生活に戻りつつあります。

 元旦は例年の習慣どおり、神棚にお神酒とお雑煮をお供えしたものの、夜更かしの所為で睡魔に襲われて、早々に寝床に潜り込んでしまった。そのために昨年から楽しみにしていた、肝心の元旦恒例の「ニューイヤー駅伝」を見逃し、悔やむことしきりだった。

 二日目は、「大学箱根駅伝」を見るために、日頃より約一時間早起きした。
やはりスタート地点と山登りのゴールの模様を見なければ、この種のスポーツの醍醐味を味わいないからである。
 駅伝を見終えてから、二人して初詣に出掛けた。昨日の寒気は何処へ行ったやら・・・、朝からプラス気温のうえに霙まじりで、道路は何処もかしこもグチャグチャとツルツルで、老夫婦には少しばかり無理な状態だった。
 それでも何とか例年通りに、近くの氏神様と厳島神社の分社のお参りを済ませ、破魔矢と無病息災それに交通安全のお守りを買い、更に今年は縁起を担いでボケ予防に、獅子舞に頭を噛んで貰った。

 三日目は、やはり一時間早起きして「大学箱根駅伝」の復路を、ベッタリと見て過ごした。駅伝に満足した後は久しぶりに昼寝をタップリと取った。
起きてからは懸案のパソコンの整理を始め、17年度分の写真や諸事の記録類をCDに保存しまたは削除、各ファイルは気持ちが良いほどにスッキリとした。

 そして今日、お神酒と雑煮をお供えは昨日で終っているから、起床時刻は元に戻してゆっくりと朝寝を楽しんだ。
そして日課の朝の体重と血圧測定を再開してビックリ・・・体重はなんと1,5キロオーバーにただただ愕然とする。
 早速ウォーキングと思ったが、外はツルツル状態で歩くことなんて・・・ましてや老人には危険そのものである。
エアロバイクと室内歩きを汗ばむ程度にこなしてから、牛乳やヨーグルトなどの日常の買い物に出掛けた。
かくして我が家のお正月行事は、七草を残すのみとなった。
             大鳥居越しの氏神様の記念館と社
 
             縁起を担いで・・・ボケ防止に頭を噛んで貰う



元旦

2006-01-01 22:44:18 | 日々の雑記
 ブロガーの皆さま!明けましておめでとうございます。
 
 平成18年の元旦は、快晴ながらもマイナス17,3度という、今冬指折りの最低気温で明けました。

 先ずもって身を清め衣服を正してから、水道水を若水代わりとして、更にお神酒と雑煮を供えて、二礼二拍手をしたもの身体はさっぱり覚めきらず、雑煮を食うも早々に寝床にもぐりこむ体たらく、まさに寝正月そのものでした。

 正月早々誠に無様な老人ですが、何卒本年も宜しくお願い致します。