昭和ひとケタ樺太生まれ

70代の「じゃこしか(麝香鹿)爺さん」が日々の雑感や思い出話をマイペースで綴ります。

ショッピングカート

2012-10-31 20:20:35 | 日々の雑記
  妻の他界以来の買物は殆ど娘と一緒なので、買物カートの役目は当然娘でしたが、最近になって私が引き受けることにしました。
 それは何故かと言うと、八十歳を過ぎた頃からなのですが、何故か店内の歩行に心許なさを感じたからです。
 ふとしたことで、娘のカートを押してみたところ、歩行の覚束なさが消えてしまったのです。
 いうなればカートが杖代わりなった感じでした。それが切っ掛けで、買物が済んだ後での店内はもとより、車まで駐車場を押して行くのを買って引き受けたのです。

そ こで亡くなる1年ほど前の妻との買物で、亡妻が同じようなことをしていたことを想い出したのでした。
 妻と一緒の買物では、カートを押して歩くのは殆ど私の役目でした。ところがいつの間にか買物の間も、また買物を終えて車に戻る時も妻はカートを放しませんでした。
 妻一切話して呉れませんでしたが、たとえ重いバッグを載せたカートであろうと、富に弱って来た足腰では杖に頼るより、カートに支えられて居た方がずうっと楽だったのでしょう。
 今になって亡妻の苦労を知ったしだいです。やはり私は駄目亭主だったのですね!

 下の写真は、先日買物帰りで目にした花です。季節が外れましたが、せっかく撮ったもので、亡妻も私も好きな花だけに捨てるに忍びず載せました。






外歩き再開

2012-10-27 17:23:01 | じゃこしか爺さんの見て歩る記
 
 漸く釧路の秋に相応しい快適な日和が続くようになって来たのを折に、それに又亡妻の一周忌を無事に済ませましたので、これまでの買物時や通院時に限られていた外歩きを、久しぶりに本格的に始めました。

 先ず河畔公園に行ったのですが、当然花の季節は既に終わっていましたから、これと言って写真の材料になる物は見当りませんでした。
 せっかく始めた外歩きですから、撮る物が無ければ意味が無いので、少しだけ歩いて直ぐに引き返しました。
 そして向かったのが、住宅街の真ん中に、数年間出来たまだ新しい公園に向かったのです。
 
 しかし此処も花壇の花などは、もう既に散って仕舞ったのか全部刈られておりました。
 がっかりして又行く先を変えようとしましたが、時間的に余り余裕が無い上に、風向きも少し変わったようで、少し冷えた感じがして来ました。
 外歩きも一つの目的でしたから、やはり少しでも歩こうと考え直して歩き始めました。
 そして見付けたのが、道路沿いの植え込みに生っていたマユミでした。
 マユミは以前湿原夢ロードを歩いていた折に何度も見掛け、又ブログに載せたことも何度かありましたから、私には思いの多い木の実でした。
 しかしこの公園で見付けたのは、依然見たのは大違いで、木の高さが50センチそこそこでしたから、私には大発見でした。
 夢中で撮ったのが下の写真です。


マユミ別名~山錦木

同         上


電話機

2012-10-24 16:39:31 | 日々の雑記
 
 先日電話が壊れているのに気付きました。
普段は孫たちや身内の連絡は殆ど携帯でしているので、それにパソコンに支障が無かったものですから、固定電話が故障しているのには、まったく気付かなかったのでした。
確かなことは覚えておりませんが、もうかれこれ20年くらい前のこと、亡妻とあれこれ相談し合って決めた物ですから、私にはそれなりに想い出の多い電話だったのです。
それに、その頃の一般家庭ではファックス付きの電話は珍しかったから、その取り扱いを覚えるにもそれなり苦労したものです。
それに又、電話の方では、子機の取り扱いとか、短縮ダイヤル登録などでは、亡妻と二人して・・・ああでも無いこうでも無いと・・・時には喧嘩腰でやり取りし合ったことなど、今にして思えば想い出深い電話だったのです。
そう云えばこんな事もありました。大分前のことですが、今は施設に入っている埼玉の亡妻の姉に頼まれた事を、ネットで調べてファックスしたことが何度かありました。
そんな事を色々と想い出しながらの取り外しには、思いのか時間が掛かり辛いものになって仕舞ました。

今度の新しくした電話機はファックスが付いていませんから、大きさは前の半分ほどしかありません。それが又たまらなく物寂しさを誘うのです。
そして又たかが電話一つで、寂しさをかこつ不甲斐なさに呆れる始末です。

 下の写真は電話機とは何の関係もありませんが、外出時に撮ったものでボツにするに偲びず載せることに致しました。









文学界

2012-10-16 16:56:44 | 日々の雑記
 

 先日10日のこと、永年読み続けてきた{文学界}を今月限りで、毎月の予約を取り消して来ました。
 文学界の創刊は1.933年(昭和8年)とあり、私が読み始めたのは丁度三十歳頃でしたから、これまでに50年ほど読み続けて来たことになります。
 それほど永く読んできたのに今になって何故かと言うと、自分ではまだまだ思っているのですが、もう八十歳の年寄りには、今どきの若い作家さんの文体には付いて行けなくなったのです。
 今の若い作家には、若者としての良さが有るのでしょうが、私にはやはり長いこと慣れ親しんだ、往年の作家たちが忘れられないのです。
 古典的な{夏目漱石・森鴎外・志賀直哉・菊池寛}は別にして、例えば
 
{高井雄一・立原正秋・島尾敏夫・田久保英夫・古井由吉}などで、女性作家の中では{竹西寛子}です。
 

 この作家たちの作品はもうかなりの年月が経ちますが、今なお我が家の書棚にあって、気が向いた時には手にして抜き読みしております。
 しかし今後は、気まぐれの抜き読みで無く、家での空き時間や各病院での待ち時間の折に、それぞれ読み直そうと思ったしだいです。
 
 とは云っても本当に永い間読み続けてきた文学界、そう簡単に思い切れるものでは無いことを、つくづく知らされました。
 最後となった今月号は読み終えた後でも、直ぐには処理しないで記念のために、暫くは手許に置こうと決めたしだいです。

 月刊誌文学界



日本一の夕焼け

2012-10-09 17:02:37 | じゃこしか爺さんの見て歩る記
 地元の人たちが釧路の夕焼けは日本一と自慢していますが、このたびテレビの地方版で知ったのですが、釧路の夕焼けは、日本一どころか世界三大夕焼けの一つと言われていることを知りました。
 意外に思ってさっそくネットで調べたところ、確かに釧路の夕焼けは世界の三大夕焼けの一つとして載っておりました。


 ◎ 世界三大夕焼けは

  「フィリピン・マニラ」 「インドネシア・バリ島」 「北海道・釧路市」

 
 さらにそのことを証明するかのように、このたび郵便切手として郵便局から発売されたとのことです。
 これで釧路の夕焼けは素晴らしいことが、名実ともに証明されたわけで、釧路市民の一人として嬉しい限りです。
 ただ残念なことは、台風とか本州で暴れている低気圧の所為か、雨か曇り日とか霧の連続で、この秋晴れて夕焼けが合ったのは一日だけでした。
 
 なお私も夕焼けが大好きで、夕方近くになってから、車を出して自転車道路や河畔公園の辺りまで出かけて、薄暗くなるまでうろつき回ったものです。
 時にはその時の天候具合などを見計って、数キロ離れた隣村の境辺りまで、出掛けたこともありました。
            
 釧路は秋の季節が最高で、晴れた日も多くなり夕焼けの絶好の日和が訪れるでしょうから、引き篭もりなるべく避けて、折をみてなるべく出歩く様にして、素晴らしい釧路の夕焼けを紹介したいと思います。

家の前で・・・

新釧路川と製紙会社


湿原道路(自転車道路)で

釧路市鳥取神社開拓記念館

ネットから借用した釧路幣舞橋



お馬の親仔~再び

2012-10-04 16:52:52 | じゃこしか爺さんの見て歩る記
 今年の4月ブログに載せた馬の親子のことですが、この度半年振りに出掛けた折にふと思い出したのがきっかけで、それに予想外に病院も早く終わって余裕があったので、住宅地の中に在る放牧地に立ち寄って見ました。
 
 遠目では、色の違った二頭の馬が見えましたから、以前とは別の馬か或いは番いかと思ったのでしたが、近付いて見ると以前の親仔でした。
 今まで毎年のように通院の折に来ていたのですが、この時期に親子が一緒にいることはありませんでした。
 ですから、勝手に何処かへ貰われて行ったのだろうと思っておりましたから、
以前の子馬だと分かって驚きました。
 それにして大きくなったもので、お互い近づけばその大きさの違いが一目で判るのですが、お互いが離れてしまえばその大きさ同じに見えます。

 暫く見ておりました。親馬は時折り心配げに子馬の方を見ますが、子馬の方はそんな事には気にする風は見せず、ただひたすらに地べたの草を食べるのに夢中でした。

現在の親仔

同        上

今年四月の親仔