昭和ひとケタ樺太生まれ

70代の「じゃこしか(麝香鹿)爺さん」が日々の雑感や思い出話をマイペースで綴ります。

<続>・釧路湿原細岡展望台

2005-11-28 16:39:32 | 日々の雑記
 昨日の昼頃から気象予報に全く無かった、市内での初雪が昨年より約一週間早く降り始めた。雪は中休みして降り続け夜までに5センチ近くになっていた。
 
 以下のブログは10日ほど前に訪れた時のものです。
 
 先月の中旬知人に触発されて約2年ぶりに訪れて以来、今日でちょうど一ヶ月になる。
その時そこから湿原越しに望まれる、雌阿寒雄阿寒の両岳の雄姿を期待して行ったのだったが、秋も最中と云うのに、両岳ばかりか湿原越しの遠くの景色は全て、まるで春先のように霞んでぼうっとぼやけていた。
 今日の晴天を折りに車を走らせたのは、やはり山(阿寒連山)のことが気になっていたからであった。

 晴天とは云っても、一ヶ月前の気温とはかなりの差があって、車内では全く感じないが、一旦外に出るとその冷気に驚かされた。
 展望台には先日ほどの多くの人影は無かったが、やはり本州の観光客と思われる親子連れやカップルが3・4組ほど、お互いにカメラの前でポーズを取り合っていた。
 それにひきかえ、山に登って来る途中の路肩に車が停められ、その近くの川縁には多くの釣り人たちが、忙しく動き回って釣り糸を垂れていた。
 門外漢の私にはこの時季何が釣れるのかは全く見当は付かなかったが、或いは幻の「イトウ」を狙っていたのであろうか。

 今日の唯一の目的だった雌阿寒雄阿寒は両方とも、確かに姿を見せて呉れては居たが、やはり気温のせいか大気が澄みきらず、今一つはっきりしなかった。
 とても残念な思いだったが、一応カメラに納めて山を降りて来た。
               展望台に向かう湿原街道から見た新釧路川

              展望台に登る途中の「釧網本線」細岡の新駅舎

    二度目で漸く眺められた「雌阿寒・雄阿寒」の雄姿だが、霞みがちで残念!


夕焼けを追って

2005-11-26 16:06:53 | 日々の雑記
 このところ夕焼けを追って、毎日のように市内を駆け回っております。
 夕焼けが日本一だと地元住民が、昔から自慢して来ただけに、多少の差こそあれ市内の何処からでも眺められます。
 しかし何処から見ても同じようなものでも、写真撮影にはそれぞれに恰好のポイントが幾つか在って、しかもそれが時季的に色々と変わって来ますから、写真技術の下手は下手なりに、自分勝手な理屈を並べては市内を右往左往する始末です。

 日の出朝日には青年にも似た昂揚感を喚起されて、それはそれで善いと致しますが、70余歳ともなればやはり夕陽夕焼けに安らぎを覚えます。何故にそうなるのかは一向に分かりませんが、或いは私だけの中に、遠いとおい先祖の誰かのDNAが引き継がれているのかも知れません。

 何時ものとおり昼食(1時半頃)と昼寝を済ませると、ちょうど3時近くになりやや陽が傾いて来ます。そして周りの家の屋根や壁が金色に染まり掛けて来る頃になると、もうじっとしては居られません。最近手に入れた薄方の小型デジカメをポケットに、家を飛び出し不良少年ならぬ、まだらボケ老人の市内彷徨が始まるわけです。

 下の写真は、写真撮影など全くの素人が、己の好みに合わせて撮りまくって来た中のものです。ご笑覧頂ければ幸いです。

             鳥取神社記念館と夕焼け

             夕陽に映える鳥取橋

              市内昭和町中央から夕焼け

              湿原の彼方へ沈み行く夕陽

              夕焼け前の釧路港

           米町啄木公園から見た太平洋に沈む落日 

    

鶴の餌場

2005-11-24 17:27:52 | 日々の雑記
 隣の鶴居村に住んでいる身内からの電話で、今年のお正月以来の丹頂給餌場を訪れてみた。もう既に道内各地からの雪の便りが多い中、以前から秋が素晴らしい云われて来た土地だけに、市内には初雪らしいものが未だに無く、それらの事はまるで他所事のような思える晴天がこのところずうっと続いている。

 休日は混雑するだろうからと、わざわざ休み明けに出かけてみたのだが、途中の展望台にはもとより目当ての給餌場は、道内各地からの大型観光バスや自家用車の人たちで一杯だった。

 丹頂が人里へ降りて来る季節らしく、給餌場だけでなく家畜飼料のデントコーン(唐黍の種類)畑の刈り後には、落ちた実を拾い歩く親子連れや、番の鶴たちの群れが見られた。しかしやはり給餌場には圧倒的に多く、30羽余りが三集団に別れて群をなし、農家のおばさんが撒いた餌を啄んでいた。
 それにそろそろ時間なのか、周りの山から群になって飛んで来るのや、また山へ飛び帰る群がいて、出入りが多くなっていた。
しかし飛んで来るのもまた、飛び去るのもタイミングが掴めず、中々に難しくて飛翔する丹頂は思うように写せなかった。
 さんざん苦労したの末に、何とかカメラに納めることが出来たのは、群で飛び去る瞬間の下の二枚でした。

 帰り際にたまたま外に出て来た、給餌場のおばさん話によると、雪がどんと降る時季になると、餌を貰いに最高で350羽ほども来たことがあったそうです。
        
              三カ所ほどに分かれた群れの一群

                    観光客の一団

                  飛び立つ親子鶴   

                  餌を食べ終わって塒へ戻るのか・・・

                幌呂川で小魚等を捕食する親子連れ


余生は手抜きで行こう

2005-11-22 15:01:28 | 日々の雑記
 今日の午後、先日受けた市の「元気健診」の結果を訊くために、月に一回通っている病院へ出掛けた。
 前回はコレステロールと血糖値が若干ながら標準値を超え、また肝臓のγGPTの数値が余り芳しくなかったので、内心不安を抱きながら医師の前に座り言葉を待った。それによるとγGPTだけが前回と同じで、血糖値など他の数値は全て標準値内にあった。これも日頃の摂生に努めた所為の効果なのだろう。

 更に「今回は頑張りましたね」と医師から労いの言葉を掛けられ、この数日間を検査結果のみを気にして待っていただけに、この言葉は殊の外有り難くほっとしていた。
 更に医師の言葉が続き、「今後もこの調子を続けて下さい。ただ心配なのはあんたの場合、こまめ過ぎる上に人の思惑ばかりを気にするようだから、心臓病を起こし易い典型的なA型性格と思われます。とにかくのんびり過ごして下さい。」そして最後に「とにかく余生は手抜きで行きましょう」と提言して呉れた。
 全く医師の云う通りで、何事にも気にする性格は生来のもので、その事は以前から、友人や同僚たちに良く云われて来たものであった。

 私の場合は30歳過ぎて、小規模の同族会社に就職した。初めは平の事務職員としてスタートしたのだが、前職の経験を活かしての活躍が認められ、事務を統括する役に就き、更に職の範囲は営業分野までに及び、銀行折衝から小売店・スーパー廻りに、量販店のバイヤーとの商談までに至った。
 やがて幸いなことに業績が伸びて、その努力が認められて役員に推され、遂には雇われトップにまで至った。

 特に無縁故の上に、平職員からの雇われトップの身の悲しさ、明けても暮れても周りへの気配りと気遣いが、私に課せられた仕事のようなもので、その結果自他共に認める猛烈会社人間になっていた。
 その時受けた強いストレスが、肝臓の一部の障害と糖尿予備軍の、最たる要因となって今に至っているらしい。
その期間に身に付いた性格は一朝一夕で消える訳も無く、未だにしっかりと身に沁み付いて中々離れて呉れない。しかしこれでは折角の余生、即ちおまけの人生の価値が無くなってしまう。医師の云うとおり、徹底的に手抜きの生活に専念しようと思う。最低限の社会性を保ち、他人には絶対に迷惑を掛けないことを前提に、好きなように叉自分が思ったとおりに暮らして行こうと思った。それには先ず余り外聞体裁を気にしないことである。それには「三猿の戒め」もまた一つの方法かも知れない。

 早速く明日からでも始めよう、その手始めに外出の予定さえ無ければ、朝寝はし放題洗顔や髭剃りそれに朝晩の血圧測定などの日課は適当にして、後はダラダラゴロゴロと日がなテレビなどで過ごす。
 そう考えただけで肩の荷を綺麗サッパリと降ろしたようで、一編に気が軽くなって来た。余生の人生おまけの人生こそは、肩肘はらずに手抜き万々歳である。


公園のトイレ

2005-11-20 17:23:29 | 日々の雑記
 ウォーキングで、何時ものように家を出てみたものの、私にも老妻にも決まった当てが無く、車を走らせてからこの秋に人伝で知った、市の外れにある団地の公園を目差した。前回訪れたのは確か今月の10日のことだから、余り日が経っていないことになるのだが、この公園の遊歩道は初めて歩いた時以来、私ら二人のお気に入りのコースとなっていた。
 それに此処は遊歩道沿いに住宅や樹木が数多くあって、真夏の日差しはもとより、晩秋から初冬へ掛けての風除けにもなり、特に今頃の季節には打って付けのコースである。
 現に団地の北側の未だに人手の入っていない草地を渡って来る風は、強い上に冷たかったが、一旦遊歩道に歩み入れば、今日は晴れていることもあって、木洩れ日が暖かくてとても心地良い。

 さてトイレのことだが、ここには一定の間隔でトイレが設けられていて、特に老人にとっては、親切でとても有り難い遊歩道である。だから歩き始めた時には、多少の尿意は感じていたのだが、どうせ歩く先にはトイレは幾つも在るからと軽い気持ちでいた。
 しかしトイレは冬期間で既に閉鎖されていた。気温が平年に較べてより暖かかったものだから、迂闊にもそのことをすっかり忘れて仕舞っていたのである。

 人間の身体というか、または気持ちというか、それまである程度の余裕があったのだが、いざトイレが使用出来ないと分かると、これまで以上に一段と尿意が増して来た。
 これまでにも余程切羽詰れば、湿原道路などでは人の来ないのを見越して、また老人であるのを良い事にして、葦原とか木陰に身を隠して用を足したこともは幾度かあった。
だが此処は既に樹木通りが過ぎて、周りには住宅と商店街が並ぶ中の遊歩道であった。たとえ男性で老人であろうと立小便は、到底許されるものではない。
 愈々尿意は予断を許さない所までに切羽詰っていたから、止む無くそこで歩きはそこで中断して、信号が変わったのを幸いに、向かえの生協ストアーに飛び込んだ。
 折り良く店のトイレは入り口の直ぐ傍にあって、無事に小用を済ませることが出来て胸を撫で下ろした。そして一つの教訓を得た。それはこれからはとかく身体が冷えて来る時季で、小用の間隔も今までよりもずうっと狭まり、今日のようなことが多くなるだろう。とにかく用心するにこしたことは無い。

 追記・・・
 これを書き終えたところで、今日正午スタートの東京国際女子マラソンで、Qちゃんこと高橋尚子選手が、2年間のブランクを無事に克服して見事復活優勝した。彼女の笑顔がとても素晴らしかった。Qちゃんおめでとう。

   
     カラマツも散る寸前で寂しくなった遊歩道無人のとテニスコート

             怖いほどに静まりかえった枯れ葦原


春先き以来の阿寒連山

2005-11-18 20:46:05 | 日々の雑記
 気温が何時もより低い上に、3日ぶりの食品の買い物があったので、今日のウォーキングコースは、目差す買い物先の大型店の近くにある、自転車道路に決めて家を出た。
 特に駐車場と定められていないのだが、新釧路川の支流「にいしべつ仁々志別川」の堤防道路が、一番広くなって草地に停めて歩き始めた。

夏から秋口までは色々と花を咲かせて、道往くウォーカーの目を楽しませて呉れた、住宅街の庭は何もかも綺麗さっぱりと片付けられていた。残っているのは、すっかり裸になったツツジ類などの枯れ木だけで如何にも寂しい光景であった。
せっかくカメラを持って来たのだが、これと云って目ぼしい被写体も無く、何時しか老妻の歩調に合わせて、ぼんやりと俯き加減で歩を進めていた。住宅街が途切れて、一気に草地が広がる地点まで来て目を奪われた。そこの枯れ葦原が広がる果てに、春先き以来の阿寒連山の姿があった。温暖の影響でまだすっきりとしては居なかったが、白い噴煙と頂きの雪が望まれた。
何時もの通り気の済むまで、幾枚もデジカメに納めて満足して、予定の距離をこなして引き返した。

買い物を済ませて帰宅し、早々にパソコンで再現して見ると、やはり煙っているようで、少しばかりガッカリさせられた。雌阿寒雄阿寒が、「「神のごと遠く姿をあらはせる・・・」のようになるのは、まだまだ気温が下がり大気が澄んで来なければならないのかも知れない。
             未だ大気が澄み切らず煙ったような雌阿寒岳

                      雄阿寒岳




日溜まり

2005-11-16 17:00:40 | 日々の雑記
 とかく日だまりが恋しい季節になって来ました。
 この言葉から直ぐに「日向ぼっこ」の言葉が浮かび、更に背を丸めた老人の姿や飼い猫などを思い描いて仕舞います。如何にも今の時季に似つかわしい日本的な言い回しで、他にも「木漏れ日」とか「小春日和」それに「時雨」や「秋の日は釣瓶落とし」などがあって、いずれも私の好きな言葉です。

 先日二日ほど降り続いた雨の翌日、市内の公園に出掛けたのですが、気温がこの時季としては珍しく17度を超えるほどになりました。
 夏の間は強い日差しを避けるために、できるだけ木陰などを選んで歩き、休憩みを取る場合にも、ことさらに木陰のベンチや四阿を利用していたが、この時季になるとそれとは全く逆で、なるべく日向を歩くよう心がけ、休憩む場合にも自ずと、日当たりの良い日だまりを探しています。

 また日だまりに集まるのは、老人や猫ばかりでは無いようで、夏の間は滅多に姿を見せなかった公園の雀たちは、いわゆる群雀となって這松や灌木の根もとに集まるようになって来ました。やはり雀たちも日だまりの温もりが恋しいのでしょう。

 折しも道北方面での降雪の報せに、益々日だまりへの思いが募って来ます。
最近は建物の造りがすっかり変化して、以前は何処の家にも普通に在った縁側や、近所の人たちとの気軽な交流の場ともなって居た濡れ縁が、全く姿を消して仕舞ました。
 その分だけ老人や猫の居場所が少なくなり、ふとある種の寂しさを感じた次第です。やはりこれも年齢の所為なのでしょうか。
            この時季になると雀たちが群がる「はえ松」の日溜まり


晩秋の雨

2005-11-14 16:49:38 | 日々の雑記
          文部省唱歌―四季の雨から
          

          ♪  おりおりそそぐ秋の雨、
             木の葉木の実を野に山に、
             色様々に染めなして。
             おりおりそそぐ秋の雨。


          ♪ 聞くだに寒き冬の雨、
            窓の小笹にさやさやと、
            更行く世半をおとずれて。
            聞くだに寒き冬の雨    

         
 昨夜の予報での雨は、確か夕方からであった筈なのに、正午が過ぎてからそれほど時が経たない内に、雨雲紛いの雲が突然西空の一角に現れた。
その雲を目にした時には、今日の雨は夜の筈との予報をすっかり信じきっていたから、ウォーキングの途中で引き返すことになるなどとは、その時は少しも思わなかった。

 老妻の歩調に合わせ、例年には無い今年の温暖の恵みに身を委ね、園内の樹木や住宅街の庭木の色付きぐあいに目をやり、時にはカメラを構えて歩いている内に、先刻の雲の事はすっかり忘れてしまっていた。
それが少しおかしいと感じた時には、青空の半分ほどを覆っていた上に、更にまだまだ広がって行くような勢いを見せていた。
 雲の広がる速さに不安を感じ、安全を期して取りあえず車まで戻ることにして、老妻にもそのことを告げ更に少し歩みを速めるよう促した。

 しかし雲の広がる勢いは、私の予想をはるかに超えていた。まだ半分ほどしか戻らないうちに、気の早い雨がポツポツと落ち始めて来た。空の所々にはまだ青空が見えていたから、急に本格的にはならないだろうと、気休めを抱きながらもとにかく歩きを早めた。

 今年は例年に無いほどの秋の暖かさではあるが、季節的には既に晩秋、それに初氷に初雪の便りがしきりに聞かれるこの頃であるから、甘く見た秋時雨とばかりに思っていたのが、何時氷雨に豹変するとも限らないわけである。
 これが春雨ならば、「春雨じゃ濡れてゆこう・・・」などと、道行きをしゃれ込むのも良いのだろう。しかし年齢のことを考えればほんの洒落のつもりが、風邪になり遂には肺炎までに進行し、その挙句の果てにお陀仏とも成りかねないから、とにかく用心するに越したことないと、後は車を目差して一目散・・・。

晩秋の春採湖

2005-11-12 17:19:57 | 日々の雑記
 珍しく晴天が続いた或る日、思い立って此の夏(7月)以来の春採湖を訪れた。温暖化のせいでここ数日は、この季節と思えぬ暖かさだった。しかし今日の日中には、この地域の平年の夏にも匹敵するほどの気温の上がりようで、結構日差しも強かった。

 湖畔を歩きながらも一時には、帽子の下にハンカチを広げて日差しを遮り、更にこの時季のウォーキングの際に何時も着ている、フード付きの秋用のコートも脱いで歩いたほどだった。

 久しぶりに訪れた春採湖は、河畔の枯れ色ばかりの葦原も、また小波が広がる湖面も晩秋一色に彩られていた。ただその中に、ミズナラ・ハンノキ・など一部の広葉樹や落葉松が色付き、紅葉の名残りとして山手の斜面を彩っていた。

 時ならぬ暖かさせいで、私の体調はもとより老妻の膝も快調そのもので、気付かぬままに、歩数を何時もより大幅に伸ばしていた。
 またこの夏に訪れた時と同じポイントには、足音に気付いたマガモや、70センチを優に越すほどの真鯉・緋鯉が、餌ねだりに近寄り右往左往していた。

 さしたる目的も無いまま何気なく訪れてみただけなのに、秋の日の穏やかさに加え、水鳥や鯉たちに心から癒やされて満足した一日であった。
                秋色一色の春採湖々畔遊歩道

                斜面に立つ紅葉したハンノキ

                遠くの高台に市立博物館を望む

         足音を聴き付けて真鴨と緋鯉が餌ねだりに寄って来る 

               真鯉も緋鯉も入り乱れて餌の奪い合い 

                落葉松と遊歩道


晩秋の落葉松林と散策路

2005-11-10 16:46:21 | 日々の雑記
 観測史上稀にみる立冬の暖かさを喜んでいたのも束の間で、昨日は道央道南での初雪にただただ驚くばかりです。幸い当地は気温がそれなり下がったものの、今のところ晴天が続き、ここ暫らくは雪の気配はありません。
 次のことは、温暖の恵みに与っていた11月初めのことです。

 
 昨夜来の雨が上がり、朝からからりと晴れた日のこと、市内の進行住宅街の遊歩道を歩いて来た。実はこの公園の遊歩道を歩くのは、今日が2度目である。
先日歩いた時は余り様子が分からず、北側に在る道を散策しただけだった。
 しかしその後其処の知人から、遊歩道が住宅街を取り巻くように一周していることを知らされ、今日あらためて歩きに来た訳だった。
 
 先日は北側を歩いたので、今日は南側の遊歩道を散策してみることのした。ここも北側にも増して樹木が多かった。それに道路脇には車道などが全く無く、片側は住宅が建ち並び、もう一方は湿地帯で葦が一面に生茂っていて、まさに森林浴には打って付けの環境の好さであった。

 其の上その散策路の中ほどには、テニスコートが二カ所に分かれて4面が設けられ、そのコートのそれぞれに駐車場と厠が整備されていた。平日の日中にも係わらず、どのコートにも男女がテニスを楽しんでいた。
 恐らく近くの住宅街の老人達なのだろう。それらの微笑ましい光景に、一度はカメラを向けたのだが、人物を含む光景にカメラを向ける場合、誰と判らぬ遠景ならばともかく、こちらは何気なく撮った一枚が思わぬところで個人のプライバシーの侵害に繫がりかねないことに気付き、一旦構えたカメラを思い留まり、その後暫らくプレーを眺めただけでその場を後にした。

またこの散策路には、500メートル毎にチェックポイントがあって、現在どれだけ歩いて来たかが分かるようになっていた。この日は老妻の膝の具合で、ゼンコースを一周することが出来ず、コースの途中で住宅街を通り抜けて車に戻った。ところがその住宅街の横断する形で、自転車道路兼用の散策路が設けられていた。
 そしてその道には幾つかの小公園や子どもの遊び場があった。更に驚いたことには、商店などは全て一箇所に集約されていて、住宅街の中ではコンビニなどは勝手に出店出来ない仕組みにもなっているようであった。
 だからその分出入りの車の数も少なくい上に、またコンビニなどに寄り付く胡乱な若者達の心配も無く、至って秩序あるまさに理想的な住宅街であると云えた。

 なお今日歩いて来たコースの、それぞれのチェックポイントの数字から推測して、全長が約4、5キロであることが分かった。
              色付いて日に輝く落葉松と散策路

             すっかり開いて日に輝く葦の穂=花