昭和ひとケタ樺太生まれ

70代の「じゃこしか(麝香鹿)爺さん」が日々の雑感や思い出話をマイペースで綴ります。

河畔で思わぬ出合い 

2008-10-29 17:16:16 | じゃこしか爺さんの見て歩る記
 昨夜の予報は一日中曇りだったし、また今朝になってもそれに変わりなかったので、今日一日は外歩きも止めてのんびり{ワールドシリーズ}でも見ていようかと思っていた。
 ところが、朝の内こそどんよりとして今にも雨でも降らしそうだった厚い雲は、いつの間にかそんな気配も薄れて昼近くになると薄日さえ射してきた。
 相変わらず天気予報は当てにならないとボヤキながら、家に居ようかそれとも外歩きに出掛けようかと迷っているうちに、雲が途切れて青空が見え始めた。
 昼食までの時間までにはあまり間が無ったが、せっかくの晴れ間だからとやはり外歩きに出掛けることにした。
 家でくすぶっているよりは、ブラブラ歩きでもスカッと気が晴れるだろうし、また開放感にも味わえるだろうと、思ったからだ。
 ブログに載せる花もまた紅葉も残り少なって来てはいるが、或いは思わぬ出合いがあるかも知れないと、とりあえず河畔公園に向かった。

 やはり昨夜と今朝の予報はあまり芳しく無かったからか、遊歩道には人影は無く静かなものだった。
 どうせ今日は時間が半端だったので、日頃のコースを半分だけにしようと、取りあえず前半のコースと決めている仁々志別川(新釧路川支流)河口へ向けて歩いた。結局はそれが幸いしたのだったが・・・。
 風がまったく無いせいか寒さは少しも感じられず、むしろ出掛けに着けていた手袋は直ぐに取ったほどだ。
 辺りを見回しても今日は、何故かいつも川面に戯れているカモメも見当たらず、時おりトンビが川面すれすれに飛んで来る程度だった。
 その静けさが幸いしたのかも知れないのだが、網支えの木橋の上で羽を休めていたアオサギを見つけた。とっさに身を低くして更に近くの木に身を沈めて近寄り、カメラを取り出す間ももどかしく立て続けにシャッターを押した。
 直ぐに感づかれて逃げられてしまったが、私のカメラではこれが限度かも知れない。私の腕ではこれが精一杯だった。     
アオサギ見つけて木の陰に隠れてソット近寄ったのだが・・・

直ぐに感付かれて飛び立ってしまった

一旦戻りそうな気配も見せたが、本流の方へ飛び去ってしまった。

周りの枝や葉が枯れているのに、まだ一輪だけ咲いていたハマナス。

イボタの実がまるで小粒のブルーベリーかフレップ実のように・・・


その後のはなは広場 

2008-10-26 12:39:48 | じゃこしか爺さんの見て歩る記
 日頃のブログの写真撮りはいつも近場の河畔や自転車道路で済ませていたのだが、ガソリンの価格がひと頃より約20円ほども値下がりしたことから、今日は少し足を延ばして{はなはな広場}に向かった。
 公園内の人が少ない割に公園専用の駐車場は、ほぼ満車状態だった。ただ一つ残っていた狭い場所を見つけ、苦労の末にどうにか停めることが出来た。
 車が多いのはちょうど昼休みの時刻なので、近くの会社とか作業現場から来た人たちの所為だろう。
 ここの駐車場ばかりでなく、日当たりが良くて眺めが良い公園の駐車場は、昼食とか昼休みには格好な場所なので、いつもその人たちに占領されてしまう。
 
 公園内はいたって閑散としていた。
たまたま目にする人たちは、ウォーキングと言うよりも、花を眺めに来た老夫婦とか犬連れの散歩者だけのようだった。
 中には大型犬と一緒の老夫婦は、逆に犬に引き摺り回されているようで、ぜいぜいと息を荒げながらも、犬の後を懸命に追っていた。

 花壇の花たちはそれぞれ大きく成長していた。ブルーサルビア、ダリア、マリーゴールド、ベコニアなどが、いっせいに咲き誇るその中でシロタイギクが一番目を惹いた。ここでしか目にしない花なので、特に印象深く毎年楽しみにしている花でもある。
 それに引き替え、先月来た時にはアット目を瞠らせるほど圧巻だったキンレンカは、散ったのや枯れたりしたのが入り混じって大きく様変わりしていた。
 如何に綺麗に咲いていたとしても、あれからもう一月も経つのだから・・・これも自然の習いなのであろう。
 一とおり花を眺め、また写真も撮り終えてから、車に戻る途中で、さっきの大型犬との老夫婦に出合った。
 今度は、犬を囲んで芝生に座り、それに小さな犬2匹をつれた中年夫婦が加わり、何やら楽しげに話し合っていた。その微笑ましさに惹かれておもわず話しかけ、ゴールデンレトリバー犬のイチゴちゃんの写真を撮らせて貰った。
 愛犬のことを語る夫婦たちの明るい顔と、さらにその声は活き活きと弾んでいたのが、印象ぶかかった。 
 他の二匹の{ヨークシャテリヤ}の名前も教えてくれたのだが、一度に全部の覚えきれずに直ぐ忘れてしまった。

その後のはなはな広場

シロタエギク

南の花と云われているカンナの花

ここで目にしたたった一本の紅葉

ゴールデンレトリバー犬のイチゴちゃん

同じ遊歩道で出合ったパグ犬のパコ君


秋色濃い湿原道路

2008-10-23 17:07:18 | じゃこしか爺さんの見て歩る記
 近頃の朝の気温は、時には5度前後にまでにも下がることがあって、着替えの際には思わず身震いすることもある。
 それで先に起きる老妻には、その日の室温に応じてストーブを点けるようにと話していた。
現在灯油は貴重な存在であるから、なるべく我慢したいのだが、お互い75歳過ぎた後期高齢者のうえに、さらに降圧剤を飲んでいる身の上、急激な血圧変化は極力避けなければならない。
 そんな訳で、時には朝のひと時のストーブは、欠かせない存在なのである。
そんな寒い朝でも昼頃になると気温は、有難いことに16度ほどにも上がって、ウォーキングには格好の日和となる。
 お蔭さんでそんな日が続いているこの頃は、デジカメ片手に毎日のように河畔公園、自転車道路、湿原道路と順繰りにぶらついている。
 出歩く目的はつい最近まで野の花だったが、今は色付き始めた紅葉に代わり足下には目もくれず、遠く近くの木々の上ばかりに目が行くようになった。
 地面の花を撮るのとは違ってあまり立ち止まったり屈んだりすることは少ないから、その分歩数が捗って知らないうちに8千歩を超す日も少なくない。
 
 そのお蔭かどうかは分からないが、体重が減ってきているのは確かなようで、一ころ65キロだったのが3キロも減っていた。
 メタボも臍周りはともかく他は、大幅にクリア出来た。そのうえ肝臓の各数値は、あらかた許容範囲内に収まった。
 ただしこれからの冬の季節が問題で、いつもながらの日がな一にちゴロゴロとテレビ三昧では、体重もメタボも元の木阿弥は必定だろう。
 クワバラクワバラ・・・。

ここが私の湿原コースのブラブラ歩きの出発点

道路脇の木も色付き始める

葦原はもうすっかり枯れ野に様変わり!

阿舎の周りは既に秋色一色だ!

枯れ野の中で咲いているただ一つ花はエゾノコギリソウだけ

湿原道路への出発点でもあり、また終着点の紅葉


色づく柳町公園

2008-10-20 17:28:06 | じゃこしか爺さんの見て歩る記
 良く晴れた日の昼前、久しぶりに柳町公園公園に出かけた。この時季のことだから目当ては、もちろん花でなく紅葉の撮影である。
 朝の早いうちには5・6度までにも下がっていた気温は、18度近くに上がっていた。街中のことでもあり、また公園の周り一帯が高い樹木で囲まれているからか、風も無くいたって穏やかで暖かかった。
 平日だったが、パークゴルフ場は相変わらずの人出で賑っていた。プレイーしている人たちの多くは男女連れの老人グループだが、中には老人夫婦二人だけで気ままに楽しんでいたり、若い人たちだけのグループも見られた。
 多くの老人は、おそらく年金暮らしの毎日が日曜日ご身分なのだろうが、平日の昼日中になんの屈託も無くこうしてはしゃいでいる若者は、 いったい何者なんだろうかと眺めていた。 

 ゴルフ場を離れて別コースを少し行くと今度は、服を着せた小さい犬を連れた若い女性に出合った。普段は老人たちが犬をお供に散歩するのは良く見かけるのだが、近頃はけっこう犬連れの若い女性も多くなってきた。
 一ころのペットブームは去ったと思っていたのだが、やはりこれも流行りと云うものかも知れなくて、また犬の種類は以前とは異なりかなり高価そうで、さらにその名前にまったく見当も付かない。
 写真に撮ろうと思ったが、相手は妙齢な女性だったから下手にカメラを向けようものなら、どんな誤解を招くやら・・・足早にその場を去ることにした。

 ちぐはぐな温暖にせいか、やはりここも紅葉は中途半端だった。それでも何かブログの題材にありつけるかもと、公園を一回りしてどうにか撮って来たのが、下の写真です    

柳町公園の紅葉(1)

柳町公園の紅葉(2)

柳町公園の紅葉(3)

柳町公園の紅葉(4)

公園内の白樺林


家の花今年のアンカー

2008-10-17 20:51:09 | じゃこしか爺さんの見て歩る記
 我が家の庭は、もともとが家を建てた時に残った僅かな土地を利用したものですから、まさに猫の額ほどにもひとしいものです。
 そんな狭い庭ですが、花木の数だけ人様に負けないだけはあると、ひそかに思っています。それはただ数の上だけのことで、人様に自慢できるような立派な花ではありません。
 春の到来とともに先ず一番先に咲くの、がエゾムラサキツツジ次いでチシマザクラ、後は順を追って或いは重なるように咲き続けて、その後の約半年間を楽しませてくれました。
 しかし今は、あれほど楽しませてくれた花木なども枯れはて、また別な趣を醸し出せているのですが、その中にあって今はリオンが主役となっております。
 この花は、家を建てたとき上司の家から貰って来た花なのですが、その時花の名前は{リオン}と聞いて来ました。
 それ以来ずうっとリオンだと思っていて、ブログに載せたところブロガー先輩Sさんから、{リオン}と知らされました。
 
 ちなみにこのリオンの花は、裏の家の庭にも咲いているのですが、名前は知らないということだったので、要らぬお節介と思いながらも教えてやったしだいです。
家の花今年のアンカー

同上

自転車道路傍の畑に咲いていたリオン

花では無いのですが、唯一黄葉している家のシャクナゲ


紅葉が始まった豊川公園 

2008-10-15 17:01:59 | じゃこしか爺さんの見て歩る記
 歩きに出たついでに先ずは電気屋へと、行きつけの電気屋で寄ったのだが、生憎の臨時休業日で閉まっていた。
 せっかく来たのにと思うと残念だったが、無駄足を踏んだと愚痴ってみたところで、店の都合の休みであれば仕方が無いことであった。
 取りあえず歩きが先と、その歩く場所を何処にしようかと暫し迷ったが、今どき河畔であろうとまたは自転車道路や他の公園でも結局は同じことだろうと、思い直して店のすぐ近くの豊川公園に決めて向かった。
 思ったとおり公園内で僅かに目を惹くのは、年から年中何処にでも蔓延っているタンポポぐらいにもので、枯れ色がかった広い草叢の中に点在する黄色い花と、風に揺れている白い綿毛のみだった。
 先月あたりまで青々としていた木々は、それぞれ紅葉・黄葉をし始めていて、早々と初秋の佇まいをかもしだしていた。  
 公園内には、広場で幼児と遊んでいる親子と、犬連れの老人が数組がいるだけで、いたって閑散としていた。
 曇り日ながら風も無いうえに、時おり薄日が差して来て程よい暖かさで、川風に吹かれ手が悴む河畔を歩くのとは、大きな違いだった。

 しばらく何時ものブラブラ歩きを続けていると、道路わきの草叢の中に私と同年輩ほどの老人が、屈んで何かを探しているようであった。
 「何か探し物ですか・・・」
と声をかけると、
 「探し物と言えば・・・探し物だが・・・ぼりぼりキノコを探してんだよ」
なんとその人は、まだ青々と草が生えている草地の中で、ボリボリキノコを採っていたのです。
 {ボリボリ}とは、北海道での呼び名で{落葉キノコ}のことだそうです。キノコと云えば、普通林や森の中に生えるものと思っていたのですが、意外やいがいこんな平地の草の中に生えるとは、まったく知りませんでした。
 老人は、腰にさげていたレジ袋を開いて見せてくれました。その中には、黄色い色の見るからに柔らそうぼりぼりキノコが、半分ほどもありました。
そしてさらにひと言付け加えた。
 「これは味噌汁にすると最高なんだよ」と、
老人の一言で、古い記憶がよみがえりました。
 まだ子どもの時分、おふくろが作ってくれた、大根おろしを加えた熱いボリボリキノコの味噌汁を、フウフウと冷ましながら飲んだ、あの美味さを・・・。

豊川公園


紅葉1

紅葉2

紅葉3

ぼりぼりキノコ採り

別の一画でやはりキノコを探す老人たち


美原公園の鴨たち

2008-10-12 18:08:31 | じゃこしか爺さんの見て歩る記
 先月の末のことなのですが、三日ほど晴れて割合い暖かい日が続き、その間毎日のように外歩きに出掛けていました。
 三日間続けて出歩いていると、さすがに行く先が尽きてしまいます。取分け日頃の活動範囲が狭いだけに、手近な自転車道路や河畔公園に通いづめても、ブログのネタになるような花などは、もう殆ど枯れかかっております。
 また柳町公園まで足を延ばしたとしても、おそらく似たり寄ったりに違いないでしょう。
 でもこのせっかくの好天を無為にはしたくなくて、あれこれ考えた末に久しぶりに、美原運動公園の鴨たちと様子を見に行くことにした。
 ちょうど家事を済ませた老妻も一緒に行くことにした。老妻は前々から気にしていたのだが、私の近くでの花木の写真撮りに追われて、これまで延び延びになっていたのだった。

 運動公園は、日曜日のうえに折からの好天のせいで、たくさんの人出で賑わっていた。公認の市営球状では高校野球、そして他の野球場でも少年野球が行われていて、手近な駐車場は満車に近い状態だった。
 混み合った駐車場での苦労を避けて、迂回して池に近いテニスコート取り付け道路の、他の車の出入りに邪魔にならないように、端っこに停めさせてもらった。鴨たちが群れている池は、50メートルほど先の目の前にあるから、そこからでも鴨たちの様子がわかった。
 鴨の種類こそはっきりと分からないが、10羽ほどが群れているのが認められた。なるべく驚かさないようにと、足音がする砂利道を避けて脇の草の上を選んで近寄った。
 鴨の種類は、いつも群れているマガモでは無くて、確かなことは分からないが、やはり去年も来ていたカルガモの親子に違いないと思った。
 足音でてっきり岸辺から遠ざかるかと思ったが、餌にでもありつけるかと、一斉に寄って来さえした。
 たっぷりとカルガモを楽しみ、さらにカメラにも収めてから、これまた池から100メートル離れた疎水に向かった。

 数年前のこと、その疎水に{蒲の穂}が、一ところに固まって生えていたのをたまたま知ってから、毎年この時季に来ることにしていたのでした。
 秋が早かった今年はどうかと心配して来たのだが、それぞれ三カ所に分かれて生えていた。その中の一番良さそうなの選んで撮って来た。
 蒲の穂は、ご周知のように蒲鉾の名前の謂れとされておりますが、その形はまさに{焼きちくわ}そのものです。
 また蒲鉾の鉾とは昔の諸刃の武器のことで、その昔神宮皇后征韓の折ある兵士が、たまたま食べ飽きた魚の身を鉾の先に塗りつけて、焚き火で焼いたことからとされています。
 蒲鉾の謂れには、この他にも色々と説があるようですが・・・。

足音を聞き付けて寄ってきたカルガモたち

早くはやくこっちへおいで!

何だか怪しいかも・・・早く葉陰に隠れて・・・

{因幡の白兎}と共に蒲鉾の名前のもとにもなったと云われている{蒲の穂」


秋の自転車道路で

2008-10-09 17:03:45 | じゃこしか爺さんの見て歩る記
 今年は秋が早いせいか、河畔公園などもそうなのだが、久しぶりに来た自転車道路の野生の花たちは、早々と枯れてしまっていた。
 歩いていて目に付くのは、住宅街の庭に咲いている一段と華やかな色合いの花だけである。ブログには、出来れば花壇の花よりも野山の花を載せたいのだが、そろそろこの時季になるとそうばかりは云っていられない。
 だからと他所様の庭の花などは、勝手に撮るのも憚られ、まさに垂涎の的さながらに、立ち止ってただただ眺めているばかりです。
 たとえばその家の住人でも傍にいたなら、直ぐに許しを得てカメラを向けるのですが、こちらかは見えないとしても向こうからは、こちらの姿がはっきりと見られているのかも知れない。
 そして胡乱なオヤジが家の中を窺っているのではと怪しまれ、この辺りの噂にされかねない。そんなことはもとより本意ではないので、いつも早々にその場を立ち去ることにしているのですが。
 しかしせっかく訪れた自転車道路に目ざす花が無いからと、手ぶらで帰るのも癪である。
 それに各家の庭先には、色々な花がこれ見よがしに咲いているのに、みすみす見逃すのもいかにも芸が無いことと、家から離れた場所とか、家の中からは死角になった庭の片隅に咲いていたのを、素早く撮って来たのが下の写真です。

 なおタチアオイは、子どもの「コケコッコ」の花と呼んでいて、女の子が鼻の先につけて遊んでいたのを想い出しました。

今を盛りと咲いていた{ノギク・・・コギク}?

ダリア

タチアオイとキバナコスモス?


秋の春採湖にて

2008-10-07 17:23:48 | じゃこしか爺さんの見て歩る記
 
 先週の金曜日のこと、3ヶ月ごとの診察に行く老妻を日赤前で降ろしてから、春採湖へ出掛けた。診察が済むまでにはけっこう時間が掛かるだろうから、久しぶりに湖畔をぶらつきながら、老妻からの連絡を待つことにしたのだった。
 朝の気温は、今年の秋一番の下がりようで3度を下まわったが、よく晴れていた分、また周りの山が湖岸近くまで迫っているお蔭で、湖岸いったいは風が無く穏やかで暖かかった。少し歩くと暑ささえ感じるほどになった。
 用心して重ね着したジャンパーは間もなく脱ぎ、さらに風除けにと老妻から借りて首に巻いたスカーフも外してしまった。
 その暑さを感じたのは私だけでは無いようで、歩き疲れからかまた暖かさの心地よさからか、ベンチに寝ていた。近づいても身動き一つしないで、いかにも気持ち良さそうに寝入っていた。
 この時季たとえ多少暖かいからと云っても、こんなことは滅多に見られない光景だ。
 
 さて、ブログ格好のネタにでもと、せっかく遠出をして来たのだが、湖岸の周りは、まさに秋たけなわでおおかたの草木は枯れていた。そんな中でオオイタドリの花だけが、ところどころ枯れ色を見せながらも、精いっぱい山の斜面を飾っているだけだった。
 後は日ごとに数を増している赤とんぼと、いつ来ても賑やかに迎えてくれるお馴染みの魚、緋鯉や真鯉たちだけだった。
 ややがっかりして車に戻ろうと歩き始めた。ところが来るときは快調だった足取りは、次第に重くなり歩みが思うように捗らなくなった。
 やがて坂にさしかかり半分も登らないうちに、今度は息苦しささえ感じるようになり、車までのたかだか500メートルほどの坂道が遥か遠くに思えて、辿り着けるかとの不安が、頭をかすめた。
 途中何度も何度も立ち止まって息を整え、またベンチがある場所では、格好見栄も無く横になって休憩んだ。
 日頃は、あまり自覚していないことなのだが、今日春採湖の坂道で初めて知った体調の衰えだっただけに、強い不安と戸惑いを感じた。
 普段春採湖へ来たときは湖畔下から歩き始めるのが常だったのだが、今日は別のコースからと思って、元の少年科学館横の駐車場から坂道コースを選んだのだった。帰りが上り坂なのは、初めから分かっていた筈なのに、ネタ探しに欲張ったばかりに、とんだ失敗をしてしまったようだ。
 まさに{往きはよいよい帰りは怖い・・・}のコースだったのです。
下からコースならともかく、上のコースはとうてい無理だと云うことをしみじみと思い知ったのだった。
 おそらく春採湖へ来るのは今日が最後で、或いは来年は無理かも知れないと思うと、これも年齢からも当たり前との諦めは勿論ながら、こみ上げてくる寂しさに、強く打ちひしがれていた。
                        秋色が漂い始めた春採湖

             目に付いたのはいまだ枯れずに残っていたオオイタドリの花だけ

                       いつも迎えてくれる緋鯉と真鯉

           陽をうけて銀色に照り映えるススキ      日ごとに数を増してくるアキアカネ


ナナカマド(七竃)

2008-10-04 15:48:09 | じゃこしか爺さんの見て歩る記
 秋空にくっきりと映える赤い実といえば、やはりナナカマドの実では無いでしょうか。ナナカマドの木は、街路樹などして一般的で広く用いられていますが、夏の間はあまり目立たないようです。
 ところが野山の花が少なくなる頃になると、その紅玉のような彩りを見せ初めて、道行く人々の眼を惹き初めます。
 中には、葉をすっかり落としてからもなおしばらくは、実だけをたわわに残してくれて、見る者の眼を楽しませてくれます。
 子どもの頃、{カラスの実}と云ってあまり近付くことはしないで、ただ遠くから眺めていただけでしたが、本当にカラスが食べるのかどうかは、今まで見たことはありません。
 ただ何時もかまびすく鳴き、また威嚇するかのような頭上を飛び回るカラスが、子供心に怖かったので、そんなことを云っていたのかも知れません。
 またナナカマドの木についての言い伝えなのですが、いまだに忘れずに覚えていることがあります。
 それは、ナナカマドにとってはあまり芳しいことでは無いないのですが、ナナカマドの木を庭木とするのは不吉だと云うことです。
 それは多分に木の名前のナナカマドからのようで、その名前のナナカマドは{七度も竈をひっくり返す}のことからだそうです。
 死後に近い言葉として{竈を返す}がありますが、それには家計の破局とか破産とかの意味があります。それがこの埒も無い言い伝えの由来かとも思われます。
 昔からの単なる迷信なのでしょうが、いまだかってナナカマドの木を庭木として植えているのを見たことの無いのも、また確かなことです。
 これは私の狭い生活範囲からのことで、あまり当てにはなりません。またナナカマドには、もう一つの言い伝えがあり、それは7度竃にくべても燃え尽きないから、燃え難い木である。
 そんなことはともかくとして、今の柳町公園、河畔公園、自転車道路などにあまり花は見当たりません。
 ですから今ブログのネタとして探し求めるのは、ナナカマドとかエゾノコリンゴとかの木の実しかありません。
 それらの木の実が一日も速く赤く色づくのが待ち遠しくて、あちこちを何度もブラ付いているのが、近ごろの私の日課なのです。

日に日にルビーのように色づいて秋空に映えるナナカマドの赤い実

同上

同上

同上