畑のつぶやき

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食、農への思い

「死の町」

2011-09-10 19:42:35 | 食、農への思い

9月10日(土)   いちじ 

今日も晴れて、蒸し暑い。一日、田んぼの耕起。幸いというか、トラクターはキャビン付きで、冷暖房付きである。蒸し暑く、風の無い日は、冷房のスイッチを入れて、快適な? 運転作業ができる。その上、CDプレイヤー まで付いている。無趣味なもので、CDは持っていない。が、ラジオは良く聞く。今日も、運転中は、ラジオを楽しみながら、気持ちよい作業だ。

それで、明日は、9月11日だ。3月11日から、半年になる。ラジオ番組も、当然、震災や原発事故を話題にしている。そんな番組を聞きながら、そういえば、3月11日も、トラクターを運転する作業中だったことを思い出す。田んぼの肥料の散布中だった。あれから、半年。苗を育て、田植をして、そして、収穫を終えた。けして、短い時間ではない。しかし、震災、津波を受けた東北地方の再出発は、遅々としているように思われる。特に、原発の事故により、高濃度に、汚染された地区は、今後どうしてゆくのか、方針さえ示されていない。しかも、かなりの放射性物質に汚染された地域にあっても、若い世代や、子供たちは、汚染の無い(限りなく少ない)地域に避難するような対策も取られず、日々、放射線被ばくを浴びせられ続けている。

不評だった、政府のトップは交代した。しかし、新首相が選んだ、新大臣も、変わったばかりというのに、早速に、「問題発言」を指摘されている。原発を視察した感想で、避難地域を、「死の町」と表現したのだそうだ。そして、マスコミをはじめとして、いっせいに非難を浴びている。そこに住み暮らしていて、強制避難を強いられている人たちに対して、心を配らない発言だと。

確かにそうだ。原子力発電所を安全で、国家、経済の為に必要なものとして、押しつけた側、加害者側が、云うべき言葉ではないだろう。避難を強いられた人たち、汚染の恐怖に逃げ出したいと思いつつも、どうにもできないでいる人たちにとっては、「お前たちに、云われる筋合いではない」「それをどうにかする責任が、政府や、東電にはあるのだ」という、怒りの気持ちしか、わかないのは当然だ。

しかし、そうであっても、マスコミの、過剰な「死の町」バッシングは、ちょっとおかしいと、思うのは、私だけだろうか。「死の町」発言の非難の行き過ぎで、「死の町」ではない、ということに落ちついたら、それは、もっと恐ろしいことになる、と思う。「死の町」発言に対する避難が、情緒的になりすぎるのはおかしい。経産大臣が、一人の人間として、事故を起こした原発の周囲の町を見て、「死の町」のように感じたのは、もっともなことだろう。原子力発電を国の政策として、強引に推し進めてきた経産省のトップをして、そのように感じさせるほどに、原発の事故は、過酷なものだと云うことだ、と思う。

経産大臣として、「死の町」発言を謝罪するのなら、次のように云うべきだと思う。

原発の事故が、このような、私をして、「死の町」と感じるような状況を生み出した。原発を推進してきた、経済産業省のトップとして、このような「死の町」を生み出す危険のある、原子力発電から撤退するよう、最大限の努力をする、と。

ではないでしょうか。