畑のつぶやき

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「さよなら原発」一千万署名

2011-09-18 19:21:05 | 暮らし

9月18日(日) 

今週末はお祭りである。今日は、その最後の準備の、行燈張りという行事の日である。祭場をきれいにし、こまごまとした、準備をする。そして、作業が終わると、生ビールの樽を用意して、バーべキューである。今年は、3.11の大震災以降、いろいろあったが、イネの収穫が終わり、私たちの地域では、具体的には汚染という結果も出ることなく、米の収穫は終わり、皆、ホッと胸をなでおろしている。

片や、いまだ、原発の事故は、収束することなく、事故対応に多くの人とエネルギーを使っている。そして、その行き着く先も、ある意味、どうなるのかすらわからないのが現状だ。

私は、今日の、この集落の集りの場で、「脱原発一千万署名」を呼び掛けることにした。脱原発の呼びかけと、署名の用紙を印刷して、参加者(と云ってもわずか、30名ほどではあるが、)に手渡し、一、二分の、呼びかけ時間をもらい、話をした。それが、どのような影響を与えたのかはわからない。

しかし、少なくとも、25年前の、チェルノブイリの時には、遠く、よその国の出来事でしかなく、日本の原発は、安全だと云う、政府、電力会社の、圧倒的な力と経済力の前には、負け犬とは言わないまでも、はるか遠い所の、遠吠えでしかなかった。

3月11日。日本では、地震と津波という、地球の当たり前の活動により、最悪の原発事故を起こしてしまった。原発の危険を訴えていた、専門家が指摘した、まさにその指摘通りの事故が現実に発生した。そして、半年以上が過ぎても、その事故は、収まることなく、事故処理に、多くのエネルギーを使い続けている。そして、原発周囲の街は、「死の街」と化し、何時になったら、また、その時のように住み暮らしてゆけるのか、めどすら立っていない。はるか、250kmも離れた、私たちの地域も、原発事故の放出した放射性物質が、汚染して、農作物の安全性すら、不安の中に放り込んで仕舞った。幸いに、結果は、汚染という結果には至らず、という検査結果に落ちついた。

今日集まった集落の多くも、米を作ったり、作ってもらっている人たちは多い。不安にかられたり、心配したりの時間は、消して短くは、なかっただろう。結果を受け入れ、ホッとして、実りの秋を収穫し終えた。そして、秋祭りである。

少なくとも、今回の福島原発の事故は、関東圏に住む。人々にとって、大きなショックではあった。原発はいらないという思いは強い。しかし、今の豊かな生活と引き換えに、原発を無しにするのか、その結論を引き出すには、まだ時間は足りない。

「さよなら原発」のホームページは  http://sayonara-nukes.org/  

 

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