畑のつぶやき

畑や田んぼの作物の生育や農作業の報告
農家の暮らしの日記
田畑を取り巻く自然の移ろいの描写
食、農への思い

汚染拡大

2011-04-06 20:19:39 | 農作業

4月6日(水)  

今朝も寒い。氷は張っていないが、霜は降り、気温も氷点下1度を刺した。空は快晴。朝から太陽は眩しく、陽射しは強い。気温もどんどん上がる。空気は乾き、ひんやりして気持ちよい。一日田んぼ。刈取り後、耕していない田んぼ。耕起と、水止め。耕してから、水をためてから、、再び耕す、を繰り返す。今日も、最後は、ライトをつけての作業。帰宅は、7時近くなった。

海が汚染されている。大気も、汚染されている。私たちの住む南房総は、汚染源の原発とは、直線距離で、250km強の距離だ。大気も海もつながっている。北風が吹けば、当然、放射性物質は、運ばれてくる。どんなに微量であろうと、基準値以下であろうと、カウントできないほどの量であろうと。福島、茨城の漁師たちは、漁ができなくなっている。それほどに、海の汚染がひどく、魚が吸収してしまった。その汚染は、やがては、千葉県沿岸にも拡大し、房総の海の魚も、危険となるだろう。

我が家の野菜のお客さんでも、若く、小さな子供を抱えたり、妊娠している人たちが、不安を感じ始めている。当然のことだ。私たちの所の野菜だけだと心配だから、遠く離れた所の野菜を、生協などから取り寄せて、両方併用しようかと、考えていると、云っていた。実際の汚染がどうかは判らないが、不安に思いながら、食べるのは、よくない。ストレスになるばかりだ。不安は解消すべきだし、そのためには、出来ることをした方がよい。

「風評被害」とよく云うが、それは間違いだ。風評被害などというものはない。不安を感じたら、それから遠ざかろうとするのは、ごく当たり前のこと。安全かどうかは、権威が作った数値で測るものではない。その数値は、あくまで、判断する材料なのだ。判断するのは、一人一人だ。政府の云う基準値の百分の一の値でも、それを食べるか否かは、個の判断にゆだねられる。子育てをする母親が、子供に食べさせないのは、当たり前の、親の判断だ。基準値以下だから、安全だと押しつける権利は、政府や、販売店にはないし、生産者にもない。


寒気

2011-04-06 08:19:23 | 農作業

4月5日(火)  

寒い朝。霜が降り、氷も張る。4月になったというのに、寒気はしばらく続きそうだ。苗も心配だし、畑の野菜も、芽は出したのに、この寒さに、震え上がっているだろう。

今日から、母はショートステイ。送り出してからの作業。これから10日ほどは、朝晩に縛られることなく、作業できる。そんな訳で、夕方の仕事仕舞いがずれ込み、夜になってしまう。8時過ぎに、家に入り、風呂、連れ合いに頼んだ夕食=ビールを一杯で、うつらうつら。朝になってしまっていた。

作業  サツマイモの苗床植付  田んぼの耕起、水止め。耕起後、一枚の田んぼに水を入れ始めたが、溜るのに時間がかかる。その間、ボケーっと待っているわけにもいかず、他の田んぼに移動する。せっかく移動したのだからと、全部耕し終わると、6時を回る。水を入れている田んぼは、ちょうどよい水加減。このまま明日にのばしてしまうと、漏水で、水が無駄になるから、と思い、機械を田んぼに入れる。特に、漏水しやすい田んぼなので、ていねいに何度か耕し、土をドロドロにする。トラクターの灯りを頼りに作業する。田んぼから出ると、8時を回っていた。久しぶりに、思い切り、仕事をしたという感じで、気持ちよい。

日中は暖かく、陽射しも強い。春満開という感じだ。ウグイスは鳴き、モクレンの花は満開を過ぎている。家の前の休耕地の草藪に、居を構えた雉のつがいも、朝から春を謳歌している。福島では、放射性廃棄物を、意志を持って、海に投棄することを始めた。益々、原子力の制御不能の実態が、明らかになってきている。この現実を見なければ、真っ盛りの春を楽しめるのに。