ポテト姫の気まぐれ雑記 part2

つれづれなるままに、気ままに綴るエッセイ集

海防史跡の探訪会 ‘祝町向洲台場跡’・他 (大洗)

2009-04-18 | 地域の話題

 このレポも、ようやく最後となりました。いよいよ大洗町内のレポとなります。

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 ← 「アクアワールド」(大洗水族館)の正面玄関前広場を歩いていると、早々と「こいのぼり」がひるがえっていました。でも、よくみると、この「こいのぼり」、ちょっと形が変! 実は、「のぼり」ではなく、「マンボウのぼり」と「サメのぼり」なのでした。

 この写真の、奥の方に、少しこんもりと高くなっている「土手」のような所が見えますが、実はここが、やはり幕末に作られた「海防施設」の跡地なのだそうです。

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 アクアワールドの入り口から、道路を一本隔てた向こう側へ渡ってみると、すぐ右手に、大洗と那珂湊を結ぶ、河口に掛かる橋「海門橋(かいもんばし)」が見えてきます。↑ そこから少し坂を登ると、少し高台になっている、弓なりの形をした場所に出ます。

 そこが、「祝町向洲台場跡」(いわいまち・むこうず・だいば・あと)だそうです。

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 ここと同じような形をした史跡は、全国にもいくつか残っているそうですが、ここが一番、保存状態が良いそうな...。ちょっと見は、単なる「土手」に見えますが、歩いて見てみると、「大砲を置いた場所」とか、「建物があった所」とか、いろいろ形状が違っていて、なるほど興味深いです。

 その後、「おでば山」にある「海防陣屋跡」へ。ここのレポは、以前何度も載せてるので、今回はパス。 ちょうど見頃となっていた「山桜」の写真だけで失礼!

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 (このシリーズのレポ : 完了)

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柴桜

2009-04-16 | 季節便り

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 「探訪会」関連の写真は、まだあるのですが、ここらでちょっと休憩して...。

 実家(というか、兄たちの家)の庭に咲いていた「芝桜」。今がちょうど、見頃のようです。

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海防史跡の探訪会 ‘反射炉跡’(那珂湊)

2009-04-15 | 地域の話題

200904121136000  那珂湊にあるショッピングセンター‘ピアポート’の駐車場辺りから、南東方向を見ると、この二本立ての塔が見える。これが「反射炉」だそうです。(正確には、元通り、忠実に復元された「レプリカ」)

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 「反射炉」とは何か? それは、「鉄の溶解炉」のことだそうです。異国船を見張るにあたり、やはり「大砲」が必用になり、「それでは、自分たちで作ろう!」と、いろいろ研究に研究を重ねて、努力したようです。

 結局は、数台の大砲ができたくらいだったらしいですが、自分たちで作ろうとしていた努力は立派ですよね。 そんな風に、「鉄作り」に悪戦苦闘していた頃、既にアメリカでは、「鉄の船」に乗って世界を廻ってたわけですが...。

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 ← 「反射炉」を、近くから眺めると、こんな感じ。こういう「大砲」(これもレプリカ)を作っていたそうです。

 ちょっと笑えたのは、初めから「筒状」の鉄を作ると、途中に空気が入ったりして、鉄が弱くなるので、円筒形の塊を作り、後から中を彫っていく行程だそうですが、その「中を彫る」のに使った道具が、「水車」だったそうな。しかも、稲作をしている間は、水を汲み上げるのに使うので、冬場しか使えず、大砲一つ作るのに、どれほどの時間がかかったのか、想像しただけで、気が遠くなりそうな...。

200904121134000 ← これは、溶解炉で使う「レンガ」を造るのに使った窯(レプリカ)だそうです。「登り窯」みたいな感じですかね。

200904121135000  「反射炉」のある高台から、北西の方を眺めた風景は、こんな感じ。→

 「みなと大橋」が見えます。手前の、六角堂みたいな建物は何だろう?

 ところで、「鉄の溶解炉」のことを、なぜ「反射炉」というのか? また疑問が残った私でした。

 ~ つづく ~

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海防史跡の探訪会 ‘い賓閣’(那珂湊)

2009-04-14 | 地域の話題

200904121101001  那珂湊の「那珂湊高校」と「那珂湊第一小」に隣接した所にある、通称「みなと公園」は、実は、江戸は元禄の頃、かの水戸黄門こと「徳川光圀公」の別荘のような所「い賓閣」の跡地なんだそうです。

 ← その「い賓閣跡」の石碑が、公園の中ほどに建てられています。

200904121059001  公園内でも、ひときわ高くなっている場所、ここに建物があったらしいです。→

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 この高台から、周りを眺めてみると、とても美しい絵のように、景色が広がって見えます。左の写真が、「海門橋」とその近くの街並み。流れる川は「那珂川」で、対岸が大洗町です。右の写真は、黄色い看板の「魚市場」方面を眺めたところ。海も見えます。

 光圀公は、ここが特にお気に入りだったそうで、度々訪れては滞在していたようです。かつては、ここが「見張り台」の役目をしていたそうですが、幕末に「和田台場」を作ってからは、そちらに役目を渡す形となったらしいです。

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 ずいぶん立派な松の木だと思ったら、光圀公がここを作る時に、わざわざ四国の方から、取り寄せて植えた黒松なんだとか...。

 幕末の終盤期に起こった「天狗党の乱」によって、建物などは全て焼かれてしまったそうですが、これらの松は生き残ったようで、樹齢400年近くになるそうです。今でも、しっかりと手入れをしているようで、実にみごとな枝ぶりでした。(素人目ですが...。

 公園内を散策してみると、あちこちに、これらの立派な松やら、桜やら、樹木がいっぱいあって、実に気持ちがいいですね。

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200904121052000  ここは、かつて「茨城国体」が開かれた時に、「相撲」の会場となった「土俵」があった場所だそうです。→

 そういえば、ウチの子どもたちが小さかった頃、遊びに来ていたときには、屋根とかも残っていた記憶が...。(曖昧ですが...。)

200904121113000  ← 庭園内に、可愛らしい花があったので、パチリ。 

 何の花だろう...?

 ~ つづく ~

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「海防史跡探訪会」レポート ~グルメ編~

2009-04-13 | 旨いもん

200904121307000  海岸近くにある、松林の中を歩いているときに、「大楽会」のメンバーの一人が、こんなものを見つけてくれました。

 ← 私は、初めて見たのですが、キノコの一種で「松露(しょうろ)」と云うそうです。これを見た地元出身の人たちは、「あ! ショウロだ!」と、口々に言うので、かなり有名な物らしいですね。

 そこで、調べてみると、なんと、「幻のキノコ」「珍味」「値段を付けたら、かなりの高額」...など、凄い評価がヒットしてきました。 何気なく、味噌汁に入れて食べちゃったけど、そうとわかっていれば、もっと味わって食べるんだった...。 味そのものはあまり感じなかったのですが、歯ごたえがシャキシャキしていて、キノコとは思えない食感でしたね。

 なんでも、あの「トリュフ」は、別名「黒ショウロ」とも云うらしく、ってことは、「トリュフ」の親戚という感じなんだろか...?  (詳しくは、コチラ) 

 とにかく、貴重なものを食べられて、よかったよかった...。 探してくれたメンバーに感謝。

200904121508000 ← こちらは、あの「さいごの約束」という手記から、テレビドラマ(主演:館ひろし、安田成美)にもなった、「月の井酒造」から売り出されている「酒粕アイス」。

 食べてみると、まさに「酒粕」の味が広がり、なかなかイケます。「米ぬかアイス」もあり。お近くへお出での際は、どうぞ。

200904121406001        そして、これが「バウムクーヘン」。→

        じゃなくて、ただの「切り株」で~す。

 お後がよろしいようで...。

To be continue

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海防史跡の探訪会 ‘和田台場’(那珂湊)

2009-04-13 | 地域の話題

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 昨日は、私も所属している「大洗の歴史と自然を楽しむ会」と、日立の歴史愛好家たちとで行われた「海防史跡」を見て回る行事に参加してきました。

 「海防史跡」とは、「篤姫」でお馴染みの「幕末」頃、水戸の徳川斉昭公が、海に出没しつつある「異国船」を見張るために、海岸線の要所要所に作らせた、「見張り台」のような所だそうです。

 今回は、大洗と那珂湊(ひたちなか市)に現存する、史跡を巡る旅?となりました。写真がいっぱいあるので、まずは、那珂湊の「和田台場跡」の紹介を。

 旧那珂湊市役所の裏手に向かって進んで行くと、「水戸八景」の一つ「水門帰帆(みなときはん)」の碑が建っている広場にたどり着きます。実は、ここが「和田台場跡」でもあるそうです。

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 魚市場、学校、住宅地などが並ぶ市街地から、いきなり高くなる場所のようで、そこから少し離れた所にあった石段を、上から覗いてみたところ、足がすくみそうになるほどの急勾配でした。

 でも、さすがにそこから眺める海は絶景で、たとえ異国船が来なくても、見ているだけで飽きないかもしれませんね。

 「和田」と言えば、その辺りに「和田塚」という地名があるので、もしかして古墳があるのかな? と思っていると、我々のグループの副会長氏が、「確か近くにあったはず...。」とおっしゃる。「あの辺りかな?」と、指差す方に歩いて行ってみたところ、鳥居が見えてきて、こんな神社を発見しました。

200904120954000  ← もしかして、奥に見えるこんもりしたとこが、古墳では? そこで、近づいてみると...200904120953000

    やはり、古墳っぽいですね。→

 メンバーのいる所に戻りながら、近くにいた地元の人に尋ねてみたところ、その神社は「津宮(つのみや)神社」と言って、「津」=「みなと」を守る神様が祀ってあるそうな...。念のために「古墳はありませんか?」と聞いてみても、わからない様子でした。

 果たして、あれが「和田塚」という古墳だったのか? 地元の人に知られていないだけなのか? 疑問が残った私でした。

 ~ つづく ~

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サイズ

2009-04-11 | 日記・エッセイ・コラム

 「23.5」、「26.5」、「26」、「28」、「28」。単位は「cm」

 家族全部のサイズです。今の子たちは、大きいですねェ。(・o・;)

 さて、何のサイズでしょう?

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昨日見た夕日

2009-04-10 | ビューティフル!

200904091751000  水戸市青柳付近で見た夕日。車に乗ろうとしたとき、目の前に、とても大きな太陽の姿が...。

 つい、いつもの癖で、シャッターを。

 家に帰り着く頃には、今度は東の空から、まだ色薄い満月が、姿を見せていました。真っ赤な夕日を映すような、「ピンク色」に近い色でした。

 そういえば、そんな短歌(俳句だったかな?)がありましたねェ。

 「(ホニャラ・・・) 月は東に 日は西に」

 「ホニャラ・・の部分が出てこない..... ご存知の方、どうぞヨロシク。

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お赤飯

2009-04-08 | 日記・エッセイ・コラム

200904072056000  娘の入学式を記念して、餅つき機を使って作ってみました。

 出来上がりは、ちょっと硬いかな? でも、もともと「おこわ」と云うくらい、「硬い」のが普通だったはずだけど、最近お店などで売ってるのは、柔らかいですね。

 ところで、昔、母がよく作ってくれた頃は、「ふかす」って言ってたけど、正しくは何と言うんだろう...? 「蒸す」? 「炊きおこわ」と呼ぶ、炊飯器で「炊く」タイプもあるけど、いろいろあるもんですねェ。

200904071234000  入学式終了後、会場から出てきたときに見えた桜の木。→

 ここで記念撮影をしようと思いながら、忘れてしまったのが悔やまれる...。

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始業式の日

2009-04-06 | 日記・エッセイ・コラム

 空から、妙な「飛翔体」?は落下してこなかったらしく、一安心しましたね。 これもひとえに、「クワバラクワバラ...」と、私が密かに唱えてたからでしょう。(ナンチャッテ...。)

 ところで、私自身が意外と「恥ずかしがり」なので、「おめでとう!」とか言ってもらえたりするのが煩わしい?こともあり、今まであまり公表していなかったのですが、実は、4月6日は、私の誕生日だったりします。

 この日は、毎年、おそらく全国一斉に、「始業式」の日になっていると思われ、実は、私としては、あまりいい思い出がないのが事実...。

 学年が一つ上がるごとに、きっかりと年齢も一つ上がるわけで、数えやすいのはいいのですが、たとえば、同級生たちから、誕生日のプレゼントをもらうとか、誕生会を開いたり、という楽しみがなかったですね。学年が変わり、クラスが変わり、バタバタと落ち着かない状態で過ぎてしまう一日。新しいクラスメイトたちと、馴染んだ頃には、とっくに過ぎているという...。

 そして、同級生のほとんどは皆「年下」なんですね。小学校の頃、私よりも誕生日の早い子を探したところ、3名しかいませんでした。その3名の名前は、今でもはっきり言えます。

 良かったことと言えば、小学校低学年の頃は、発達の度合いが顕著なので、翌年の3月生まれの子とは、ほとんど1年違うわけで、その意味では、学校の内容などで苦労しなかったことくらいでしょうか...?

 「クリスマス」と「家族の誕生日」くらいしか、ケーキを買わない、ケチな我が家では、夫の出張の関係もあり、一日早い昨日、ケーキだけで軽くお祝いを済ませ、イベントは終了。

 そして、いよいよ新学期。クラス替えと新担任が心配な末っ子くんは、「面倒くさいから、明日学校に行きたくないなァ!」と言いながらも、歯ブラシ、上履き、雑巾、etc. しっかりと揃えて寝床に入った模様です。

 夫は、泊りがけで広島方面へ出張、その翌日は、娘の入学式、と、やはり落ち着かない日々が続く、季節であります。

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