ポテト姫の気まぐれ雑記 part2

つれづれなるままに、気ままに綴るエッセイ集

また「百人一首」に?(°_°)

2024-05-04 | 日記・エッセイ・コラム
(見出しの写真は、記事の内容に関係無く、最近、ウチの庭にて花盛りとなっている「オルレア」の花。^_^ 別名「レースフラワー」とも云うみたい…。)

 今年の「大河ドラマ」は、「紫式部」のことをやってるわけですが、先日の「回」では、「道長」の長兄である「道隆」が、流行りの疫病に罹って他界する…話でした。(・・;)
 (訂正:「道隆」の死因は、流行りの疫病ではなく、「深酒」が原因の「肝臓の疾患による」らしい…ことが、その後のネット記事に流れてきました。^^; )

 その前には、彼らの父親が他界して、その「妾」である女性(右大将道綱の母)の話を書いたばかりでしたが、今度は、その「道隆」の正妻である女性の話です。(^.^)



 当時の「最高権力」を手に入れていた父親が他界して、それをそっくり「引き継ぐ」形で、同じ立場にいた「道隆」でしたが、彼には「民の事を思って、世を治める」という発想が無いらしく、ひたすら「自分とこの家族の繁栄」ばかりを望んでいた人のようでしたね。♪( ´θ`)

 その「正妻」、当時の呼び方では「嫡妻」と云うらしいですが、「板谷由夏さん」が演じていた、その「妻」とは、夫婦仲も良かったらしく、その姿は、「最後まで」微笑ましい感じでしたね。(^-^)

 その放送の後に、ネット記事で流れてきたのが、その「道隆の正妻」さんの「歌」が、「百人一首」に入っている…との情報。
 それによると、先日、私のブログでもネタにした「右大将道綱の母」の次に載っているのが、その「歌」とのことでした。
 「百人一首」に載っている名前は「儀同三司母(ぎどうさんしのはは)」。
 
 解説本に、「繋がり」について書かれているから、素性がわかりますが、その「名前」だけでは、全く「どんな人」なのか? わからないですよね。(^^;)


 ところで、私は昔、中高生時代の国語の授業で、「清少納言」が支えたのが「中宮定子(ていし)」で、「紫式部」が支えたのが「中宮彰子(しょうし)」と習いましたが、今回のドラマでは、現代のように「定子」を「さだこ」と読んでますね。(・・;)

 今回のドラマを観て、「繋がり」を知ることが出来ましたが、その「中宮定子」が、今回他界した「道隆」の娘で、「一条天皇」に嫁いだ女性だったんですネ。(^^;)





コメント (4)
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