ポテト姫の気まぐれ雑記 part2

つれづれなるままに、気ままに綴るエッセイ集

「イムジン河」の話

2022-09-10 | 音楽話
 先日、「うたごえ広場」のあるお仲間さんから「イムジン河」のリクエストをいただきました。
 私のやっている「うたごえ広場」の場合、リクエストをいただいても、「その場」で反応するわけではなく、「季節感」や「タイミング」を見て、近いうちに「選曲する」形を取ってます。(^.^)
 更に、私が「よく知らない曲」の場合は、できる限り「調べる」ことにしております。
 その点、最近は「インターネット」があるので、「調べ学習」には、とても便利な世の中になりましたね。(^^;
 あと、私の持っている「楽譜集」も、かなり「使える」状況ですが、それでも「無い」場合は、「1曲から」でも、楽譜がネットで買えるので、これまた便利です。

 「イムジン河」を歌っていたのは、「ザ・フォーク・クルセダーズ」。通称「フォークル」とも呼ばれていたみたい。
 この名前のグループだと、私が憶えているのは、なんと言っても「帰ってきたヨッパライ」を歌っていた人たち…ということ。
 数年前に、メンバーだった「はしだのりひこ」氏が他界された時には、代表作品として、この「帰ってきたヨッパライ」の他に「悲しくてやりきれない」という曲も紹介されて、私としては、あまりの「作風の違い」に、驚いたものです。(・・;)
 今回、その辺りのことを調べてみると、まあ「色々あった」ようですね。(^^;

 そもそも、このグループは、京都在住の大学生だった「加藤和彦」氏が、ある雑誌の「募集コーナー」にて、「一緒に音楽活動をしよう!」と呼びかけ、そこに集ってきた、医学生だった「北山修」氏、他2、3名の高校生や浪人生たちの集まりで、バンド活動のライブとかをしていて、その後、解散を期に、インディーズのアルバムを作ったそうな。
 その中に「帰ってきたヨッパライ」や「イムジン河」が入っていて、グループ活動は、それで終わるはずだった…。
 でも、ラジオなどで「帰ってきたヨッパライ」を流したところ、物凄い評判となり、レコードを発売することになり、結果、大ヒットとなったようです。
 そのため、1年間限定で、バンド活動を続けることにして、2曲めに発売するのは「イムジン河」に決まっていたそうです。(この時に「はしだのりひこ」氏がメンバーに加わったそうで、「帰ってきたヨッパライ」の特殊録音の際には、はしだ氏は参加されてないそうです。でも、その後のコンサートなどでは、はしだ氏が「生で」歌っていたそうな。)

 「2曲め」のレコードをプレスして、いざ発売という段階になって、色々あって「発売中止」に。(*_*) これは有名な話ですね。

 なぜ、そういう結果になってしまったのか? この点について、先日ラジオ番組に出演していた「北山修」氏が、語ってました。
 そもそも、この曲は、詞の日本語訳をした「松山猛」氏が、中学生の頃に知った曲だそうで、偶然聴いた、この曲のメロディに惚れ込んで、吹奏楽部でトランペットを吹いていたので、その曲を河原で練習していたところ、そこで知り合った、朝鮮学校に通う友人から、楽譜と「1番の日本語歌詞」と、原語の歌詞をもらった…そうで、その時の記憶を元に、やがて大人になって、作詞活動をするようになり、その中で知り合った「加藤和彦」氏に、その曲を紹介し…という流れで、「フォークル」が演奏するようになったのだそうです。(^.^)

 その「曲との出会い」のエピソードは、松山氏著の「少年Mのイムジン河」という本に、書かれているそうです。(^-^)
 実は、けっこう評判になった映画「パッチギ」の内容は、この本が「元」になっているそうです。


 そういう流れで「知った」曲で、加藤和彦氏が、作曲の補作をして、なんとなく、バンド活動のライブ演奏などで歌っていたので、フォークルのメンバーたちは、その曲はてっきり「朝鮮民謡」だと思っていたそうです。
 それで、あまり深く考えもせず、レコードプレスをしてしまってから、実は、その曲には「作詞・作曲者」がいて、しかも「北朝鮮に在住」との事実を知ったそうです。
 そうなると、レコード発売となれば、「作詞・作曲者名」を明記する必要があり、国交の無い「北朝鮮」では、交渉するのも困難だし、色々と政治的な問題が絡んでくる…。
 あと、「2番以降の歌詞の日本語訳」が、原詞に忠実ではない」とのクレームもあったそうで、その辺りの事情から、レコード会社の方が「発売中止」を判断した…という状況だったようです。

 でも、レコードは発売中止となっても、既にあちこちで演奏してるし、歌本には、コードも明記されてるから、「歌える」人は多く、美しいメロディから、ファンも多くて、その後、多くのアーティストたちが、カバーしたりしているそうで、曲自体は、人々の耳に残っていった…という「不思議な存在?」の曲になっていったようです。(^_^*)

 そもそも「イムジン河」とは、朝鮮半島の、ちょうど「北」と「南」の境目を通っている川だそうで、現地の言葉では「臨津江」と書き、「北」では「リムジンガン」、「南」では「イムジンガン」と読まれるそうです。




 先日のラジオ番組の中で、北山修氏が話していたのは「誰が祖国を 二つに分けてしまったの?」という歌詞が、強く印象に残って、この曲に惹かれた…ようなことでした。

 その後、次のレコードとして発売したのが、「悲しくてやりきれない」で、この曲は、急きょ、加藤和彦氏がホテル?の一室に缶詰めになって曲を作り、それを持って、レコード会社の人に「サトウハチロー」氏の所に連れて行かれ、「サトウハチロー氏」に状況を説明して、それに合う「詞」をつけてもらって誕生したそうです。(・・;)
 その時の様子を、加藤和彦氏は「これが、プロの仕事か!」と感心した…と、後に語っていたそうな。

 私が聞いたラジオ番組「上柳昌彦のあさぼらけ」では、その後、この「イムジン河」の歌が流れましたが、なんと、この度、これを録音し直したそうです。
 それも、坂崎幸之助、イルカ、森山良子、清水ミチコ、南こうせつ、クミコ、等、錚々たるメンバーにて。そのラジオパーソナリティの「上柳」氏も参加されてるそうです。
 それは、今度行われる「あの素晴らしい’歌’をもう一度」というコンサートでも披露されるそうで、最近の、「ロシアによるウクライナ侵攻」とかの情勢から、「平和を願って」、「We are the World」のような曲作りのつもりで、歌った…との話でした。




 ♪ イムジン河〜 水清く〜 とうとうと流る〜…♪

 この曲の、今後の展開が、楽しみであります。^_−☆

コメント (7)
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