ポテト姫の気まぐれ雑記 part2

つれづれなるままに、気ままに綴るエッセイ集

さっぱりわからない...

2013-07-07 | 音楽話

 ドラマ「ガリレオ」の中で、福山さんが時々言ってる台詞ですが、最近よく、そう思うことがありまして...。

 というのも、ボランティアで行ってる高齢者施設でも、今度始めた「うたごえ広場」講座でも、手作りの「歌詞カード」(縦書き&見やすい大きさの文字)を作って配っているのですが、そのために、歌詞をじっくりと読むことが多い昨今なのです。

 その中で、自分も好きだし、人気の曲なので、メニューに入れることにして、カード用に打ち直していると、「いくら読んでも」というか、読めば読むほど、「さっぱりわからない。」「意味不明」なタイプの曲に出くわすことがあるのです。

 最近気付いた、その代表的ななのが、次の2曲。「ハナミズキ」「少年時代」。

 「どうか来てほしい 水際まで来てほしい」 「好きな人と百年続きますように」

 「水際」とは、どこから見ての水際なのか? ハナミズキの木は、この場合、どこに植わってるのか? 「好きな人と百年」って、例えば12歳で出会ったとしても、お互いに112歳まで生きなければ、実現できないじゃん...。

 などと、私みたいに意地悪くツッコム人も、いないんだろうけど、なんとも???な感じが、曲が素敵なだけに、歯がゆく感じるのは、私だけなんだろか...?

 そして、「少年時代」。「風あざみ」「私の心は夏模様」「思い出のあとさき」.....等、一つ一つの単語は、「懐かしい夏休みの風景」を連想させるんだけど、よく読むと「つながりがない」状態。
 これは、たぶん、陽水さんの傾向なんでしょうね。若いころの彼の作品は、もっとリアルな感じだったけど、「北京ベルリン・リベリア.....バラライカ」辺りから、「言葉遊び」というか、「言葉のリズム」による曲作りをしているみたいなので。

 「ハナミズキ」の歌詞の意味を検索してみると、「一青よう」さんは、あの911の事件後、犠牲になった人たちを偲んで作ったそうですね。「好きな人と百年」という歌詞には、その願いが込められているそうな...。

 歌詞を書きだしてみると、たとえば曲がついてなかったとしても、それだけで「泣けてくる」作品もある。

 反対に、今回書いたように、曲がなかったら、なんだかチンプンカンプンなのもある...。

 面白いものですねェ。

コメント (3)
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