MEDINT(医療通訳研究会)便り

医療通訳の制度化を目指す医療通訳研究会(MEDINT)のコラム
~みんなで 医療通訳者を増やし、守り、育てよう!~

通訳者とアドボカシー

2007-10-10 00:00:00 | 通訳者のつぶやき
医療通訳について話をしていると必ず「医師の言葉を100%訳す通訳」なのか、それとも「アドボカシー(擁護)も行う通訳」なのかという議論になります。

医師が外国人患者に慣れており、異文化理解やコミュニケーション能力に優れている場合は、もちろん前者でいいと思います。通訳者の役割は本来、何も足さない、何も引かないが鉄則なのですから。
ただ、現場では必ずしもその理想が通る場合ばかりではありません。
特に日本の医療現場では、外国人患者を診る機会はけっして多いとはいえませんし、そのための特別な配慮に関するトレーニングが行われているわけでもありません。ですので、医療通訳倫理に反すると思いながらも、診療に影響がでないように医療通訳者が擁護しなければいけない場面が少なからずあるのが現実なのです。
たとえば「様子をみましょう」という医師が最後に患者に言う言葉にも、受け取り方によっては文化的違いが出ることがあります。ですので、この言葉には若干の補足説明が必要なのですが、必ずしもそこまでしてくれる医師ばかりではありません。
もし、患者がこの言葉をきちんと受け取っていないと感じた場合、そのことを医師に伝えることが大切です。また時には、この「様子をみましょう」の言葉の裏側にあるものを丁寧に訳すことも医療通訳者次第だったりするのです。
「様子を見ましょう」は「大丈夫です」でもなければ「治療の必要はありません」でもありません。なにかあればすぐに受診するようにという意味もこめられていますし、今回の薬があわないようならば、別の薬にかえることもあるという意味もこめられています。
日本語には言葉の裏側を慣習によって推測したり、読み取ることを要求する場面が多々あります。ですので、外国人患者にこの言外の意味が伝わっていないことがあるのです。日本語ができる外国人でもそれはあります。それはこの言葉がとても日本的で、言葉の背景にある医師の指示を読み取らなければいけない言葉だからです。
だからといって、医療通訳者が勝手にいろいろ付け加えることは出来ません。患者に不信感をいだかせたり、不安をあおるようなことになると逆効果です。
こうした場面で医療に障害が起きないように配慮しながら適切な擁護を行うことが医療通訳者に求められています。
私が、普通の通訳より医療通訳が難しいと感じるのはそういうところです。介入の必要がまったくなければいいのですが、それだけでは現場では解決しないことが多すぎます。もし、医療通訳者が100%以上通訳してはいけないということが決まってしまえば、医療通訳は言語外のことを訳せなくなってしまいます。私たちはそのことをとても危惧しているのです。
医療通訳の制度を作るときに、現場の通訳者の意見をいれなければ、使い勝手の悪い通訳システムになってしまいます。日本で実際に稼動しているよい医療通訳事例は、必ず通訳者が中心となって、患者の立場に立った活動をしています。
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