私は中老男である。
「梟の城」が放送された。
ここ数年、司馬遼太郎原作の映画を続けてみている。
「関ケ原」「燃えよ剣」「峠」
そのすべての映画の感想には共通したものがある。
「司馬物は映画に向かない」ということ。
正確に言えば、その原作の本質的なことは映画では無理だと私には思えるのだ。
そうした中でこの「梟の城」は例外といえる。
と言いながら・・・。
実はこの原作を読んでいない。
そうした意味では、それまでの映画と違った方向性の感想を記すことになる。
「映画」の魅力などと語ることできるほど、どっころか恥ずかしいほど映画を見ていない私であるが。
この「梟の城」を観て思った。
ストーリーは司馬物としてはごく初期の作品(どころかほぼ初作品)であるので、
最近の3本と違い娯楽性の高いものとなっているので、映像にはしやすいし、そうした場合に見栄えがする内容だ。
そうした中での一番の見どころは「小萩(鶴田真由)」と「木さる(葉月里緒奈)」だろう。
主演の中井貴一・助演上川隆也の二人にはほぼ過不足ない。
二人とも強烈なカリスマ性のある男優ではない。
その代わりにとても「安定感」がある。
それに対しての「鶴田真由」と「葉月里緒奈」の女優二人。
「女優というのはたいへんだなぁ・・」とつくずく思う。
後から後から「新人女優」が現れる。
それも私から見れば宇宙人にも見えるようなプロポーションの新人たちが。
その中で「自分の立ち位置」をしっかり持った女優でなければ生き残れない。
しかし、女優には「時分の華」という言葉が一番似合う時がある。
失礼な表現になるが、今の鶴田真由と葉月里緒奈は華々しい活躍をしているとは言い難いだろう。
だが、どんな女優にも「時分の華」の時がある。
この時の二人がそうだ。
鶴田真由という女優には「上品さ」と「憂い」がある。
葉月里緒奈には逆に「天真爛漫さ」と「娘から女に代わる時」が役と相まってとても良い。
二人が対比され映画がより素晴らしいものになっている。
逆に言えば「映画の見方」というのは、私のように「原作に忠実であるか」という見方が正しいわけではないということ。
そうでなければ主演俳優が誰であるかなんてことが、映画においてこれほど大きなファクターになったりしないやね。
今回も最後までお付き合いいただきありがとう。これを読んでいる皆さんも、自分にも「時分の華」があることを思い知りますように。
May
「君の膵臓を食べたい」という映画の「浜辺美波」などは、その典型じゃないかなぁ。あの時の彼女は今の彼女と別人。
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