私は中老男である。
いかなることも、つい自分の若い時と比べてしまうのは
中老男の「弊害」である。
しかし「政治」に対する感覚は必ずしも「弊害」ではあるまい。
「歴史」というのは「政治の積み重ね」であるからだ。
大河ドラマがいまだにある種の根強い人気があるのは、そのドラマが脈々と「現在」につながっているからだろう。
「政治不信」などという言葉は、たぶん江戸時代にもあったのだろう。
行政を執行する側に対する「不信」は、結局「人間不信」と同義であるから。
しかし、そうした中でもに日本人には「強い正義心」と「利他主義」(利己主義の対義)的な意識があり
それによって「ある程度」の信頼が保たれていた。
だが何事も「人間のやること」だから、徐々に境界線が「曖昧」になる。
私の子供の頃の信号機の「黄色」は、ほぼ「とまれ」の意識だった。
今は「赤」の最初数秒まで「進んで」いる車も少なくない。(私の気のせい?)
これらがその代表的な例だろう。
今の政治における「不信」は、結局「安倍晋三」なる人に象徴されていると私には思える。
先に「自民党」の話をしておこう。
自民党という政党が、なぜこれほど長く政権を維持し続けているのか?
それは自民党内に「派閥」という「政党内政党」が存在したからだ。
総理大臣がその地位を守るためには「野党」よりも「党内派閥」を重視する必要があった。
それにはもちろん「政策」「人事」「お金」がついて回ったのだが。
自民党が政権を野党に渡さず、党内の派閥が「国民の声」の代表となり
「疑似政権交代」といえる派閥の領袖による「総理大臣交代」を繰り返す。
これが自民党が長く政権を握っていた現実だ。
いかに政策が違い、嫌いな人間であろうと「政権を手放すくらいない我慢する」ってこと。
だから以前の派閥というのは、今の野党などよりとてつもなく結束が固かった。
私から見れば今の派閥など、ただの「人数合わせ」にしか思えない。
そうした中でKeyになった人物が「小沢一郎」と「小泉純一郎」の二人。
小沢一郎は「自民党を脱党」し、初めて自民党の屋台骨を揺すった人物。
剛腕といわれた政治姿勢は、田中角栄流の意識・手法をもって以後の「政界再編」の火種となっていく。
小泉純一郎は自民党内に残り、派閥というものを持たずに「国民の人気」というもので総理大臣になった。
党内の「派閥の原理」をぶち壊した政治家である。
「私が自民党をぶっ壊します!」とか「郵政民営化に反対する人は、すべて抵抗勢力です!」とか言った人。
(こうした発言で国民の人気を得て「1強」体制を作った。のちの安倍氏は彼を手本にしたのではないだろうか・・・?)
覚えている人も多いだろう。
安倍晋三は小泉内閣の時の官房副長官で「拉致問題解決」の時に脚光を浴びて世に出てきた。
話が長くなってしまった。今回は「安倍晋三」の表舞台への登場までということで。
次回に続きます。
今回も最後までお付き合いいただきありがとう。これを読んでいる皆さんも、政治に絶望しませんように。
May
本当は安倍氏の父親・祖父まで辿らないと今の宗教団体への関与は分からないんだけど。私もそこまで詳しくないしね。
小泉純一郎という人はそうした派閥というものを