完全無欠な「もうすぐ前期高齢男」日記

「もうすぐ前期高齢男」に進級「老いの自覚」を中心にUpしていきます。

逝ってしまった二人の男優Up    ~ポール・ニューマンと緒形拳~

2008年10月10日 | 
私は中年である。

・・・私の家から1kmくらい先の河川敷の林に・・・熊が出た。

夜のウォーキングも怖くて出来ない。

これから夜は歩いて出かけることが出来ない。

熊って冬眠するから絶滅することはまずありえない。

これからなんて、熊が里に下りてくることが多くなっても少なくなることは無いんだろうな。


「緒形拳」が逝ってしまった。

見事に「役者道」を極めた人生だった。

この人の映画は「復讐するは我にあり」「鬼畜」の2本でとどめを刺すだろう。

・・・ていうより、彼の映画はその頃にしか見ていない。

しかし、それで充分この人を理解できた。

後の彼の演技は、この2本の映画での「狂気性」の「凡庸性」に裏付けられている。


「ポール・ニューマン」の偉大さは、私などが語る必要は無い。

ただ、私の知っているポール・ニューマンは「ハスラー」(決して2でなく1の方)での演技がすべてだ。

すでに「古典的映画」(なんたってモノクロだかんね)であるが、その若々しい風貌と
演技は、感動的である。

その演技を見ると、彼のその後が成功したかどうかなどあまり意味が無い。

自分が若い頃の名優たちが次々に亡くなっていく・・・。

歳を取ると言うことは「素晴らしい」物をたくさん知る事でもある。(まあ、
一生懸命に自分で吸収するつもりがないと「知る」ことは出来ないけどね)

そして「素晴らしいもの」を知れば知るほど「素晴らしくないもの」が多いことにも
気がつかされる。

だから、どうしても「昔は良かった」なんてセリフが多くなってしまうんだろう。

モノクロームの映画を見ていたのが普通だったときからカラー映画を見たときの
衝撃。

ステレオ放送を聞いたときの驚き。

そんな技術の進歩に接するたびに逆に古い技術の中での出来事が強く印象に残っていることに
気がつくのだ。

緒形拳とポール・ニューマンもそうなのかもしれない。

人間は歳をとる。

そして、その時代背景の中で自分自身の存在理由を示すかのごとく生きていく。

俳優という職業の彼らの存在理由は「演技を見せる」ということだった。

自身の「年齢」における演技を充分に見せ付けて彼らは逝ってしまった。


私たちの存在理由の中にそうした役者たちの演技を「見る」て、心に焼き付けること。

同じ時代を生きることが出来たことを深く感謝しよう。


今回も最後までお付き合いいただきありがとう。
これを読んだみんながいろんな「素晴らしいもの」を心にきざみつけますように。

                          may

峰岸徹もなくなったってね・・・。寂しい限りだ。







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