私は中老男である。
パソコンを変えた。
Windows11である。
快適である。
そこで、興に乗ってブログを二日続けてUpしようと思う。
さて、タイトル通り。
「銀座日記(全)」池波正太郎著
である。
この本のことは何度かUpしたはずだ。
多分このブログを始める前から読んでいたのであろう。
だいたい、普通一度読んだ本を「再読」することは珍しいのではないだろうか?
大体「本」というのは「そのとき読まなければならない本」と「それ以外の本」の分かれるものだ。
純文学と呼ばれる本は、どちらかといえば後者である。
言い換えれば後年まで残っていく本である。(まあ、そうでもない本もたくさんあるけど)
ゆえに、又吉直樹の「火花」などはいまだに読んでいない。(いつ読むのだろう?)
そうした中で純文学ではないが、時代小説の書き手だった池波正太郎の「小説」は、おそらく日本人が消滅するまで読まれることだろう。
しかし、私は池波氏の本はどちらかといえば「エッセイ」の方により魅力を感じる。
この「銀座日記(全)」は、銀座百点という地域ミニコミ誌に連載されたもので氏の晩年まで連載された。
この本から、私は本当にたくさんのことを「学ばせて」もらった。
読んだその年齢年齢で、感じ方が変わっていった。
そして、ついに・・・・。
ほぼ、池波氏がこの本を書いた歳に、私自身が近づいてきたのだ。
後半部分で、一年中「酒気が抜けない」池波氏が「酒が飲めなくなった」と言い出す。
若いときには「そんな馬鹿な」と、まったく意味が分からなかった。
しかし、61歳を迎えた私も「酒が飲めなくなった」のである。
もちろん、飲もうと思うと飲めるのだが、そのあとの体調が「すこぶる悪く」なる。
こうなると「身体」より「心」が酒をセーブさせるようになる。
「銀座日記の池波氏」と「現在の私」がシンクロしてきたのだ。
本の後半は、徐々に体調を崩してく池波氏がとても痛ましい。
氏は平成2年5月に67歳で逝去する。
もう30年以上が経っている。
私が幾つまで生きることができるかはわからないが・・・。
池波氏が生前モットーとしていたように「いつ死んでも後悔のない人生」を送りたいものだと、読むたびに思いを強くする。
今回も最後までお付き合いいただきありがとう。これを読んでいる皆さんも、一生再読できる本を見つけますように。
May
同列に「日曜日の万年筆」「散歩のとき何か食べたくなって」を挙げておく。この2冊はもっと若いときの池波氏の感覚があふれている。
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