ユマニチュードの本にでてきた言葉である「関係性の自律」についてずっと考えていてですね、つまりどういうことかわからなかったんです。それで今回、まずこの場合の「関係性」ってなんだろうというところに注目しました。たぶんこれは、「少しずつお互いがお互いに合わせること」、もうちょっとニュアンスを変えれば「少しずつお互いがお互いに合わせあうこと」なんです。
すると「関係性の自律」の意味もすっと解けてくる。お互いがお互いを尊重し、合わせる(合わせあう)範囲内で自律していくことだろう、と。「関係性の自律」と言う言葉に込められたもの、つまりこの言葉の大切な部分は、自分で何も考えずに他者から言われた通りのことをやらないこと、無批判・無批評といった体で行動しないこと、そして押しつけないことなのではないかな。自律する部分は保っていこう、というような。これには、やんわりと他律がまじっていながら、自律性の爽快さは保っていられる良さがある。
ちょっと話は外れますけれど、このあいだ芥川賞を受賞した『推し、燃ゆ』を書かれた宇佐見りんさんのWEBでのインタビューを読んだのですが、世の中では自律性を叫ぶ声が強いですが他律性についてだって救いがあるのでは(個人的意訳)、みたいな内容だったんです。そのうち『推し、燃ゆ』を読むときには、「関係性の自律」をそこに照らし合わせられるかどうか準備しつつ読んでみるのもいいかもしれない。実はもう、『推し、燃ゆ』は購入済みです。
毎日考えていたわけではないけれど、「関係性の自律」が腹に落ちるまで1年かかっているんですよ。亀である。まあ、それでもこうして自分なりに消化できてよかったですけど。
すると「関係性の自律」の意味もすっと解けてくる。お互いがお互いを尊重し、合わせる(合わせあう)範囲内で自律していくことだろう、と。「関係性の自律」と言う言葉に込められたもの、つまりこの言葉の大切な部分は、自分で何も考えずに他者から言われた通りのことをやらないこと、無批判・無批評といった体で行動しないこと、そして押しつけないことなのではないかな。自律する部分は保っていこう、というような。これには、やんわりと他律がまじっていながら、自律性の爽快さは保っていられる良さがある。
ちょっと話は外れますけれど、このあいだ芥川賞を受賞した『推し、燃ゆ』を書かれた宇佐見りんさんのWEBでのインタビューを読んだのですが、世の中では自律性を叫ぶ声が強いですが他律性についてだって救いがあるのでは(個人的意訳)、みたいな内容だったんです。そのうち『推し、燃ゆ』を読むときには、「関係性の自律」をそこに照らし合わせられるかどうか準備しつつ読んでみるのもいいかもしれない。実はもう、『推し、燃ゆ』は購入済みです。
毎日考えていたわけではないけれど、「関係性の自律」が腹に落ちるまで1年かかっているんですよ。亀である。まあ、それでもこうして自分なりに消化できてよかったですけど。