Fish On The Boat

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『夏の闇』

2015-07-30 01:15:03 | 読書。
読書。
『夏の闇』 開高健
を読んだ。

純文学の王道を言っている作品のように感じましたが、
どうなのでしょうか、いわゆる純文学をよく読んでいない僕ですから、
きっぱり「これこそThat's純文学!」と言いきれない。

僕にとって純文学として学生時代なんかに読んできたのは、
村上龍さんなのです。
だから、ちょっと違う感覚があるかもしれない。
村上龍さんには特徴として過激さがある。
あと、純文学か大衆小説かで区切り線をいれるのが難しい
村上春樹さんにもかなり親しんでいます。
そういう読書家的バックグラウンドから言うと、
待望の、と言ってもいい、王道の純文学がこの
開高健さんの『夏の闇』だったといえるでしょう。

開高建さんの食に関するエッセイは読んだことがあったのですが小説は初めて。
それも、エッセイだってかなり前に読んだので、
文体のことなどは覚えておらず、
その濃密さとわかりやすさの共存するなかでの生鮮さっていうものが印象深かった。
そうなんですよねぇ、まるで今感じたこと、起こっていることをつぶさに言葉にして
実況しているかのように、新鮮な心的描写が続いていきます。
これはきっと、書きながら、書き手である開高さんが、
そのフィクションを「経験」している証拠なんじゃないだろうか。
思考実験じゃないですが、頭の中で繰り広げられる想像に対して、
リアルを生きている時と同じように、その感情や心理の起伏などを、
「経験」しながらそれを知覚して言葉にしているように感じる。
こういう面は僕も参考にして、その濃厚な生鮮さ加減を試してみたくなりました。
僕の小説ではそういうところが希薄なように思う、良かれ悪しかれ。

作品としては、出だしから官能シーンがメインを張っていて、
そのトーンは最後まで続きます。
そういうところを乗り越えると、面白みがわかってくるような感覚がある。
気恥ずかしいと飲み込めないものがそこにはあるということです。
ここはひとつ、オトナになって読んでみるのが手でしょう。

中盤から後半のパイク釣りあたりだとか、食べ物に関するところだとか、
著者の得意な分野が出てくるところにはあふれでる生命力を感じました。
それ以外のところは腐臭を放っているような、
快楽の奴隷になっているようなふうなので、
きっとああいうのばかりが続くと、なにも今日まで残る作品にはならなかったかもしれない。
そして、最後まできちんと書かないで結末を迎えたことを含めてこそ、
この小説の語る何かはあるんだという感想を持ちました。

男が、まるで愚図って生きるとはどのくらいのことなのか。
そして、男女の関係があり、その関係にどれだけの重さを感じているかの男女差があり、
捉え方の差もある。そんな中、男は何に、文字通りの活路を見出すものなのか。
それは男一般に言えることではないけれど、ある種の男には通じることなのだろう。
ぼくなんかでも、わからないこともなかったです。


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