拝島正子のブログ

をとこもすなるぶろぐといふものを、をんなもしてみむとてするなり

支配する女

2024-03-23 11:01:51 | 日記

漱石の小説にはよく勝ち気で、気位が高く、他の人を支配しなければ気が済まない女性が出てくる。一瞬、へー、明治の世にもそういう人がいたの!と思ったのは、「昔の女性は男の三歩後ろを歩いた」と聞いていたからだけど、考えてみれば、時代・制度は変わっても人間の性格のヴァリエーションは太古の昔からそう変化はないだろうから、そういう人は現代はもちろん、平安の世にも、奈良の世にも、飛鳥時代にも、古墳時代にも当然いたのでしょう。それに、前にいて魚を獲らされてる鵜とその三歩どころかもっと後ろにいる鵜飼いのどちらに支配権があるかと言えば言わずもがな。鵜飼いに限らず普通は偉いのは後ろにいる人。戦国武将だって殿様は後ろに控えてるでしょ?(先陣を切る殿様なんて信長くらいのもの)

そういう「支配する女」は漱石の小説では大層もてる。あまたの男が群がる中、漱石が女に選ばせるのは支配されたがる男。漱石は、それをベストマッチと考えていたフシがある。果たして、漱石自身はどうだったんだろう?支配する女に支配されたい人だったのだろうか。私はね、別に特定の男女だけが特にもてるとは思わない。「蓼食う虫も好き好き」と言うからね。大谷選手は自分と同じような長身の女性を選んだけど、世の中には身長差のあるカップルもいるし、「蚤の夫婦」なんてのもいるからね(私のパソコンは「のみのふうふ」を第1に「飲みの夫婦」と変換した)。

今、読んでる漱石の「虞美人草」もそういうお話。この小説、前に読んだときは、文章が小難しくてよく分からなかったんだけど、今回はなんだかとっても面白い。漱石への理解が進んだのだろうか?逆に、嫌いになった部分もある。漱石が上流階級ばかり描いてるところ。例えば、漱石の作品の主人公はみな「大学出」なんだけど、どこの大学かは書いてない。なぜかな?ぼかして書いてるのかな?と思ったら違った。当時、「(帝国)大学」と言ったら現在の東京大学だけだった(第2号は京都大学。早稲田なんかは「専門学校」)。だから、漱石の小説で「大学」とあったらそれは全部東大なの(たまに京都大学が出てくるときは「京都」って断ってる)。だから東大生&東大卒の人達の惚れた腫れたのお話なんだよね、漱石の小説って。なにそれ、財務省じゃあるまいし、そんな偉い人達だけの恋バナなんて読みたくない、と思いつつも読んじゃうのは、結局、恋愛で人が考えたり思ったりすることって、東大出だろうが、漱石が書くところの「下女」「車屋」だろうが同じだからだと思う。まあ、それでも漱石の小説を読むのは大変。第1に難しい漢字が多い。恋バナにたどり着くのに一苦労。だから、当時、別系統として「大衆小説」が発展したのでしょう。私も、キンドルにダウンロードした漱石は悔しいから全部読むけど、その後は「江戸川乱歩」に向かおうと思ってる。

因みに、昭和の人間である私は、「明治の女性」と聞くと、「一本筋の通った」「高齢の女性」をイメージしたものだけど、漱石の小説で、恋愛模様を繰り広げる若い女性(支配する女を含む)が「明治の女性」だったわけですね。

因みの因みに、横野君は世間から「強い女性に支配されるのが好きな男」と思われてるフシがあるけれど、本人は「絶対に違う!(強い牝馬は大好きだけど)と叫んでおりました、というどうでもいい話を今回のオチといたしましょう。



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