拝島正子のブログ

をとこもすなるぶろぐといふものを、をんなもしてみむとてするなり

演奏会は介護の話で盛り上がる

2016-11-19 09:32:20 | 音楽
東バロの演奏会を聴きに行った。ここは私の大学んときの合唱団のOBOGが母体だから舞台上に知り合い多数。聴き手側にも同期が7人いて(含:私)、ミニ同窓会の風情。東京カテドラルの中に入ったのは本当に久方ぶり。残響が長いが思いのほか個々の声が聞き取れる(各パート10人以上の(私が普段やってるところからみれば)大合唱団だが)。プログラムはイギリスのルネサンス・バロックオンリー。悪魔の音とみなされていた三度をいち早く取り入れた当時のイギリスの音楽はとってもおしゃれ。反面、パーセルの半音階にも驚かされる。で、休憩。同期の間で盛り上がったのはそうしたイギリス音楽の話……では全然無く「ぼけた親の介護の話」。みんなが同じ体験をしていて共感の嵐。今後の活力になりました。終演後、さて、みんなでどこへ行こう?で、私、目白駅の近くにガ○トがあるのを発見したがとてもじゃないが言い出せず。彼らはリッチなのだ。で、結局、フランス人ソムリエのいるワインバーに行って、たしかにおいしいワイン(アルザスとラングドック)をいただきました。

想像しただけで浮かんでくるもの(サッポロ一番の味とグルベローヴァの声)

2016-11-17 19:53:23 | 音楽

「昭和」「復刻」の文字につられて買ったラーメン。おっ、たしかにこんな味のを食べたことがあるぞ。この味の元は特製オイルだな。因みに、私が子供の頃、毎日食べてたのは(今は毎朝だが、当時は毎夕だった)同じメーカーのサッポロ一番味噌ラーメン(たまに塩ラーメン)だった。最近では、滅多に口にできない。通常、五食で398円もするからだ(いつも食べてるやつの2~3倍)。日清のチキンラーメンと並んですっかりラーメン界のレジェンドになったようだ。最近食べてなくても、昔、死ぬほど食べたから想像しただけで味が浮かんでくる。想像しただけでグルベローヴァの歌声が浮かんでくるごとし。

ぴんぼけも乙

2016-11-17 09:04:24 | 音楽

一昨日(スーパームーンの次の日)のお月様。三つとも同時刻に撮ったもの。大きさの違いはズームのせい。左と中のがおぼろ月に見えるのはぴんぼけのせい。でも、ぴんぼけも乙なものだ。太陽のような趣きもある。ところで、「乙」って「2番目」のことだが、なんで風情があることを「乙」というのだろう。

デモンストラツィオン

2016-11-16 17:15:52 | 言葉
韓国で反大統領のすごいデモが起きてる。日本でも安保法制のときデモがあったが規模が違う。韓国は感情を表に出す文化で日本は忍び泣きの文化だそうだ。でも、デモは(ダジャレではない)、もともと憲法の「表現の自由」で保証された重要な表現行為で、お金のない人だってできる点で民主主義実現のための有用な手段だと言われている(憲法の教科書に書いてある)。だが、古来、日本は「女将」じゃなくて「お上」にたてつく行為を悪い行為とみる風潮があったし(そもそも「お上」という表現が異常だ)、民主主義は自分たちで勝ち取ったんではなくアメリカさんにもってきてもらったものだったりして、「デモ」のイメージがよくなかった。私が子供の時分の学生運動なんか当時の大人に全否定されていたと思う。そこへいくと、ドイツなんかでは、デモは表現方法として日常的に市民に定着している。しょちゅうデモがあって、だからといって国ん中が緊張というわけでもなく、そこらへんのおじさんおばさんがプラプラ歩いてデモってる。そのドイツのデモで、ちょっとあれ?と思ったこと。「Demonstration」は「デモンストラツィオン」であって「デモンシュトラツィオン」じゃなかったよな。ってことは「Demons・tration」と切るわけだ。デモ、なんかしっくりしない。英語のせいだ。英語の場合は「demon・stration」。ドイツ語と英語でスペルも同じなのに切るところが違うって珍しい。元はラテン語だそうだ。

「呪い」って一言で効くもの?

2016-11-15 20:21:02 | 音楽
昔から不思議だったこと。「呪い」って、たった一言でかけられるものだろうか?子供の頃、最初に疑問が湧いたのは「リゴレット」。娘を辱められたモンテローネ伯爵が「のろわれーろ」(スィ、マレデーット)と一言言っただけで、リゴレットは恐れおののき、その後悪いことが起こるたびに「あの呪いのせいだ」と言う。それから「ニーベルングの指輪」だって、アルベリヒの呪い一つで指輪を手にした者は没落する。オペラの世界だけではない。大リーグのシカゴ・カブスがずーっと優勝できなかったのは「山羊の呪い」のせいだそうだ(山羊ののろい=昔、カブスの試合に山羊(!)を連れて見に来た客が入場を断られたので呪いをかけた。今年、ようやくその呪いが解けてカブスが優勝した)。山羊の飼い主がどんだけ呪い文句を並べたかは知らないが、モンテローネにしろアルベリヒにしろ一言。一言でも効くんだなぁ。「言霊」っていうしなぁ。でも、言い方にもよるかもしれない。泥酔した私がろれつの回らない状態で何度も「ろろわろぇ~ろ」とわめいても絶対効きそうもない。

傘寿のタミーノ

2016-11-14 09:30:15 | 音楽
Fさん(御年80歳。昔合唱団でご一緒だった)はソプラノの先生に声楽を習われていて、昨日はその先生の生徒さん達の発表会。魔笛の全曲(台詞は除く)をやるというので聴きに行く。Fさんはタミーノの一部を担当(各役を数人が分担して受け持つ)。Fさんは昔バス・パートに属されていたが、今ではタミーノのアリアを全部実声で歌う。すごいもんだ(と申し上げると、FさんはFさんで私のファルセットの高音をほめて下さる。私、以前はファルセットなんて誰でも出せるもんだとばかり思っていたが、強い音を出すのは誰もできるわけではないことを最近知り、自分は得意なことを活かそうという気になっている今日この頃)。もう一人のタミーノは長身でイケメンででかい声で「いかにも」って人。対するパミーナは5人が入れ替わり立ち替わりで中にはFさんと同年代で新婚さんいらっしゃいに出たら熟年新婚でお似合いのような方もいらしたが(因みにFさんのおきれいで上品な奥様(以前、新年会で毎年お世話になっていた)は客席で聴いておられた)、それこそ声が消えてなくなりそうで聴いてるこちらがはらはら。しかし逃げ出したりはせず、高音は根性でひねり出されたのはご立派だった。その方に限らず、ここの生徒さんはみんな果敢に高音にチャレンジする。夜の女王なんか、ずーっとめろめろだったのにハイF「だけ」はちゃんと決めるんだから不思議というか、たいしたものというか。魔笛の後もまだまだ会は続き、生徒さん達が思い思いのアリアを熱唱。数日前グルベローヴァで聴いたばかりの「カスタ・ディーヴァ」や「ルチアの狂乱の場」もあった。なかには目を見張らんばかりの声量と技術を持った方もおられたが、最後に先生が歌ったら(ファルスタッフからナンネッタの終幕のアリア)、やはりプロ!声の幅が各段に違う。最後につまらないこと(え?全部がつまらないって?)。イケメンの若いタミーノと熟年パミーナの組合せで私が一瞬考えたこと=財産目当て(私の品性が疑われるって?どうぞ疑って下さいましな)。

グルベローヴァのヴァーグナーに心臓が止まりそうになった私(そして「さくら」も歌った)

2016-11-12 20:31:55 | 音楽
もうすごすぎて、何から書いていいか分からないので、時系列につらつら書く。グルベローヴァのチケットは3枚買ってあって、私的には今日のピアノ伴奏のリサイタルが最終日。ピアノはノルマもオペラアリアコンサートも指揮でエスコートしたヴァレントヴィチ。プログラム前半はチャイコフスキー、リムスキー・コルサコフそしてドヴォルザークの歌曲。ピアニッシモの至芸に酔う。後半はオペラアリア。アリャビエフの「ナイチンゲール」が入ってる。30年前のリサイタルでも聴かせてもらったっけ。そして締めはおなじみのアデーレ(Jシュトラウスのこうもり。二つあるアリアのうち、先日のオペラアリアコンサートのアンコールで歌ったのではない方=Mein Herr Marquis)。芝居っ気たっぷりなのはいつものことだが、なんと途中でピアニストが歌手をさしおいて、「ヤ、ゼア、コーミッシュ、ハッハッハッ」と歌い出した。大受け!私らもヤ、ゼア、コーミッシュ(とっても面白い)、ハッハッハッと大笑い。この時点で観客総立ちのスタンディングオベーション。さて、アンコール。スメタナのオペラのアリアを一曲歌った後、ピアニストを残してグルベローヴァがとっとと舞台裏に引っ込んでしまう。鳴り止まぬ拍手の中、困惑の風のピアニストが(これは演出)突如ラフマニノフを弾き始めた。上手い。思った。グルベローヴァが今回来日したのは故国の若い才能を紹介するためだったんだなぁ。拍手をしながら再登場したグルベローヴァが歌ったアンコール二曲目。序奏で私、心臓が止まるかと思った。な、なんとタンホイザー第2幕のエリーザベトのアリアだ。グルベローヴァのヴァーグナーを聴く日が来ようとは(故郷の先輩のルチア・ポップも晩年はヴァーグナーに向かった。エルザを歌って次はジークリンデだ、というときに病に倒れたんだった)。感動の嵐。いや、感動はまだまだ続く。またまた舞台袖に引き揚げようとするグルベローヴァについていかずにピアノの前にこしかけるピアニスト。ん?またピアノソロ?重々しい始まりはさっきのラフマニノフと似てる、と思ったら日本の童謡の「さくら」だった。で、なんと、舞台中央に戻ってきたグルベローヴァが「さーくーらー」と歌い出した。今思い出しても泣きそう。

常に挑戦

2016-11-11 11:33:59 | 音楽
すごい人は身近にもいた。われらがディーヴァ・山内さんがチェコ音楽コンクールで二位に入られたと!すごい。何がすごいって、山内さんはそうそうたるキャリアの持ち主で、今は人に教える身。審査員席に座っててもおかしくない。ご自身でもリサイタルを開き、隠れたイタリアの名曲を発掘してはわれわれに聴かせてくれる。そんな山内さんが「若い歌手に混じって」(ご本人の弁)果敢にコンクールに挑まれ、しっかり結果を残されているのだ。常に挑戦するこの姿勢をあんべちゃんが言うところの「机の中に入れたまんま忘れられてひからびたコッペパンに生えたカビ」である私も見習いたいと思う。因みに山内さんは、頭の悪い某ブロガーと同い年。その頭の悪いブロガーはそのことをとっても自慢に思っている。なんだ、それだったらもともと全然お若いんじゃん……この最後のセンテンスは、山内さんについてはあてはまるが、頭の悪い某ブロガーについてはあてはまらない、と多くの人が思ったことだろう(相対性理論)。

振動(グルベローヴァ)

2016-11-10 20:50:10 | 音楽
グルベローヴァのレーザービームのような高音はホールを突き刺すように進む際、回りの空気を細かく振動させる。そのビリビリ感は生でなければ味わえない。その中でもちょっと異次元なのがルチアの狂乱の場のカバティーナの最後。「シ♭~~~~~~~~、ドシ♭ラッ、シ、ミ♭ーーーー」(3点Es。グルベローヴァは今回も音を下げるようなことはせず、果敢にもこの音に挑み、出し切った)と歌うところの「シ♭~~~~~~~~」。静まりかえったホールで一人グルベローヴァのハイbのトリルだけが響く、そのときの空気の振動がグルベローヴァの他の歌でも味わえない独特なもので、このまま聴いてたら脳が溶けるんじゃないかだとか、パラレルワールドにさらわれてしまうんじゃないかとか、そういう世界なのだ。私は、グルベローヴァの歌で一番好きなのはなんといってもツェルビネッタ(ナクソス島のアリアドネ)だが、ことこの響きに関してはルチア以外では味わえない。今回もしっかりパラレルワールドに連れてってもらった。おまけの話を三つ。その1。アンコール二曲目のアデーレで、グルベローヴァが必ず「ニャニャニャニャニャー」と猫っぽく歌うところは高貴なご婦人がいい男によろめくシーン。「浮気」=「猫」は世界共通のイメージか?ドラマで、妻が愛人に「この泥棒猫」と罵るシーンをよくみかける(アデーレの歌とは男女が逆だが)。その2。私の席は3階左二列目で舞台が半分しか見えず、そのままではグルベローヴァの姿が見えない。立ったり前に乗り出したりすると怒られるから微妙に体の角度を変えてみたら一箇所グルベローヴァの顔を覗ける隙間を見つけた。なんでも国立競技場の建て替えのため今だけ都心から富士山が見られるスポットがあるそうだ。そのことを思い出した。その3。ルチアの英語表記のスコアを見たら、ルチアが「Lucy」だった。昔、「ルーシー・ショー」というアメリカの番組があった。

グルベローヴァがリューを歌った!(第二の最盛期へ)

2016-11-10 00:44:55 | 音楽
今日は(日付が変わったから昨日か)グルベローヴァのオペラ・アリア・コンサート。最初、来るのを躊躇した。ルチアの狂乱の場を歌うという。実は、グルベローヴァが数年前に日本で「さよなら」をした直前のソロ・コンサートで同じ狂乱の場を歌ったのだが、カバティーナの最後の高音は「聴かなかったことにしよう」。引退やむなしを印象づけたものだった。そのルチアが今回の曲目に入っている。ずっとファンでいたい、だから聴きたくない。と思いながらもチケットをゲット。日曜日のノルマは十分期待のできる内容だった。さあ、どうだ?まずシャモニーのリンダ。きたー!グルベローヴァのレーザービームが聴衆をとらえた。なんだこれ。ノルマで全盛期を思わせると書いたが思わせるじゃないぞ、会場全体を震わす振動は全盛期そのまま(これはそうそう体験できるものではない)。そしていよいよルチア。へへ~~~~~。まいったでござる~~~~~。じゃあ、前回のルチアはなんだったんだろう。思うに、あの頃、グルベローヴァは「女王様もの」(重い役)ばかり歌ってた。そのせいだ。そういうのをやめたらぴったり元に戻ったというわけだ。だから決して衰えたわけではなかったのだ。プログラム後半、清教徒もばっちり決めて、さあアンコール。アデーレだよなぁ、でもオランピアを歌ってくれるかも、とわくわく。そしたらあなた、何を歌ってくれたと思う?もう題名に書いちまった。リューだよリュー。グルベローヴァがプッチーニを歌うのって聴いたことあったっけ。その情感あふれること!ここまで生きてきて良かったと思った。そしてアンコール二曲目がアデーレ。30年前からグルベローヴァのソロ・コンサート(リサイタル)のアンコールはずっとこれだった。ユーモアあふれる演技は昔から同じ。それにしても、この音色、声量、高音、コロラトゥーラの技術。日曜日のノルマで感じたことが今や確信となった。グルベローヴァは齢70歳で第二の最盛期に入る。

プラハ・オペラで隣の席に座った女性

2016-11-08 19:05:14 | 音楽
日曜日のノルマはプラハ国立歌劇場の公演だった。オケの音がしっとりとして優しい。グルベローヴァの繊細な歌にぴったり寄り添うよう。そう、このオペラハウスは昔から上手かった。30年前の引越公演、指揮者はコシュラーだった。さほど期待しないで聴きにいったのだが、ドン・ジョヴァンニのアンサンブルが素晴らしかった。さすが、初演の地だけのことはあった(「フィガロの結婚」のプラハ初演が大受けに受けて、で、この町がモーツァルトに次作を委嘱、で、書いたのが「ドン・ジョヴァンニ」だった)。あんまりよかったのでドン・ジョヴァンニは二度聴きに行った(主役を歌ったのはホラチェク父子。日替わりでの登場だった)。今回のノルマに戻る。隣の席の知らない女性が「オペラお好きなんですか?」と話しかけてきた。「はい」と答えたのが運の尽き。どのオペラが好きなのかだの、どの歌手が好きなのかだの、話が止まらない。でも、こちらも元々きらいじゃないから気がついたら相手のペースにしっかりはまって話し込んでいた。しかし「好きなオペラを三つ挙げろ」には困った。だって、ドイツものもイタリアものも好きだし、バロックオペラも近代オペラも聴くし(シュッツの失われた「ダフネ」の楽譜、どこからかひょっこり出てこないかなぁ)、ヤナーチェクだって好きだし、とても絞れるものではない。そう言ったのだが、「離れ小島に三つだけ持っていくとしたら?」となかなか引き下がらない。いやいや、楽しい会話だった。「親の介護でしばらくオペラに来られなかった」ともおっしゃっていた。私より10歳くらいお若いようだったが(「いくつのときあのオペラに行った」から歳が分かる)、その年代でも親の介護をされてる方がいるんだなぁ、と。

「清らかな女神」

2016-11-07 20:35:19 | 音楽
昨日のグルベローヴァは"Casta Diva"の高いラ(ララー、ラー、ラー、ラー……オペラファンはこれでカスタ・ディーヴァだと分かる)でがぜん輝きだし、それまでの低音部の不調はなんだったのだろう?久々に歌う緊張からか?とか思ったのだが、ネットの記事を拾い読みしてたら、5年前にグルベローヴァのノルマを聴いた人がやはりカスタ・ディーヴァは不調だったと書いていた。そういえば、私がグルベローヴァのカスタ・ディーヴァを初めて生で聴いたのは10年前の東京文化会館でのコンサート形式のノルマだったが、あのときはすべてが素晴らしかったが、あの息の長いグルベローヴァがカスタ・ディーヴァではずいぶん息継ぎをしてるなー、ちょっと歌いずらそうだな、と思ったものだ。これって、音域のせいなのかも。考えてみれば、高いラ(2点ラ)に昇る前は1点ファと2点レの間をもぞもぞうごめいてる。これ、高音ソプラノにとってはかなり低い音だ。この役を得意としたマリア・カラスなんか、かなり野太ーい声で歌ってる。カラスはもともとメゾだったしなー。私がだいすきなこのアリア(本当に名曲だと思う)、歌手の方はとんでもない苦労を払って歌っているのだと再認識。人生で最初にこのアリアを聴いたのは中学1年のとき。テレビでスリオティスが歌っていた。体をよじって「ララー……」と歌ってる光景が目に浮かぶ。人生で一番感動したのは上記の10年前のグルベローヴァ。あのとき40半ばの私はなかなかきびしい人生を送っていて、そんな状態で聴いたカスタ・ディーヴァが胸に沁みるだけ沁みて「泣け泣けわが目」状態だった。さて、これから賞味期限を1か月すぎた生餃子を食します。賞味期限が製造後1か先になってるものだったら2か月先に食べても大丈夫だとふんで。生きていたらまたお会いしませう!

高音健在(グルベローヴァのノルマ)

2016-11-06 21:06:25 | 音楽
グルベローヴァは私と同じ干支で同じ誕生日、だからそのお歳は常に私の歳に36を足した数(この文には重大な嘘がある)。したがって、現在69歳、今年の12月の誕生日で御年70!(これは本当)。そのグルベローヴァが来日してノルマを歌った。数年前、舞台に「さよならエディタさん」の横断幕が張られて涙の別れをしたそのエディタさんが再び私達の前で歌ってくれるのはうれしいが、はたして大丈夫なんだろうか?ホロヴィッツの初来日の時のようなことになったらどうしよう(「ヒビの入った骨董品」と批評された)。で、いよいよグルベローヴァ登場。うっ、声が出てない、ピッチが低い。そのまま「Casta Diva」を歌い始める。うわー、低い。心配していたホロヴィッツ状態?そのままアリアの高音部分へ。か、神様!そしたら奇跡が。高い音になったとたん、目の前に昔のグルベローヴァが現れた。ピアニッシモで自由自在に操る高音の美しいこと。そしたら中低音も安定してきて、後半は全盛期を彷彿とさせる見事な歌。いやー、ひびの入った骨董品どころか、磨き抜かれた骨董品……いや、骨董品なんていったらバチがあたる。現役バリバリ。160何キロを投げる大谷投手だ。その昔、メトの映像で50歳半ばのサザーランドがルチアをちゃんと歌うのを観て感嘆したが、次元が違う。グルベローヴァの高音域は確立されていて、何歳になったって揺るがないように見える。インタビューで、子供の頃から自分の声は高音にいけばいくほど「サウベレ」(sauberer=より澄んだ)だったと言っていた(標準ドイツ語では「ザウベレ」だが、グルベローヴァは「サウベレ」と発音していた。声が澄んでるからSが濁らない、とか)。これはもっともっといけるぞ。100歳でツェルビネッタとか!(そのとき私は80代。これは本当)

茸=「木の子」?

2016-11-03 10:51:53 | 日記
安くて感動していた近所のスーパー、いきなりもやしが28円になった(これまでは19円。ときどき9円)。青天の霹靂。失意のうちに何も買わずに店を去る。ってことで今朝のラーメンに野菜はない。もやしは工場で作れるから天候の影響を受けないはずなのに……他の野菜が高いからみんながもやしに群がったので値段が上がったか?需要と供給のバランスから言ったら理屈の通る話ではある。それにしても野菜が高い。野菜が高いときは茸が売れるといった人がいた。なるほど、その通りだ。私も100円未満のものしか買わない覚悟で店に行くと結局茸だけ買って帰ってきたりする。茸と言えば、どっかの大木が倒れた、原因は木にはえた茸だ、というニュースがあった。ん?茸は木にはえる?……すると、茸は「木の子」か?Wikiにはそのように書いてあったが。