拝島正子のブログ

をとこもすなるぶろぐといふものを、をんなもしてみむとてするなり

デモンストラツィオン

2016-11-16 17:15:52 | 言葉
韓国で反大統領のすごいデモが起きてる。日本でも安保法制のときデモがあったが規模が違う。韓国は感情を表に出す文化で日本は忍び泣きの文化だそうだ。でも、デモは(ダジャレではない)、もともと憲法の「表現の自由」で保証された重要な表現行為で、お金のない人だってできる点で民主主義実現のための有用な手段だと言われている(憲法の教科書に書いてある)。だが、古来、日本は「女将」じゃなくて「お上」にたてつく行為を悪い行為とみる風潮があったし(そもそも「お上」という表現が異常だ)、民主主義は自分たちで勝ち取ったんではなくアメリカさんにもってきてもらったものだったりして、「デモ」のイメージがよくなかった。私が子供の時分の学生運動なんか当時の大人に全否定されていたと思う。そこへいくと、ドイツなんかでは、デモは表現方法として日常的に市民に定着している。しょちゅうデモがあって、だからといって国ん中が緊張というわけでもなく、そこらへんのおじさんおばさんがプラプラ歩いてデモってる。そのドイツのデモで、ちょっとあれ?と思ったこと。「Demonstration」は「デモンストラツィオン」であって「デモンシュトラツィオン」じゃなかったよな。ってことは「Demons・tration」と切るわけだ。デモ、なんかしっくりしない。英語のせいだ。英語の場合は「demon・stration」。ドイツ語と英語でスペルも同じなのに切るところが違うって珍しい。元はラテン語だそうだ。

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