拝島正子のブログ

をとこもすなるぶろぐといふものを、をんなもしてみむとてするなり

♪ニワトコのはーなー、さくーころー

2016-10-16 14:06:19 | 音楽
本題の前に。二つ前の記事の「太郎の冒険旅行」の主人公(弟)が「太郎」ということは分かった。じゃあお姉さんの名前は?検索しまくったがヒットせず。古本(なんとネットで売られてた!)を買えば一発で分かるがお金がない。万事休すか……と思ったら、突然、頭に「たえこ」が浮かんできた。そうだ、「たえこ」に違いない(違ってたりして)。合ってたらすごい。50年ぶりの記憶が蘇ったことになる。さて本題。S田さんがFBにリンクを貼った宝塚の愛唱曲「すみれの花」の原曲の映像を見た。タイトルが「Wenn der weisse Flieder wieder blueht」で、「すみれ」ではなく「Flieder」だった。「Flieder」は一つ前の記事に書いたハンス・ザックスの歌詞にも出てくる(ニワトコのモノローグ)。ところが、「すみれの花」の元歌は「ライラック(リラ)の花」だと言う人もいる。ってことは、「ライラック」=「にわとこ」?そう言う人もいるが、でもWikiを見ると、ニワトコは「マツムシソウ目」であるのに対してライラックは「モクセイ目」とある(モクセイ草!こないだM子さんが歌った万霊節に出てきた花だ)。もともと植物のことはさっぱり分からないので詳しい人の情報を待とう。はっきりしてるのは、元歌の花は「すみれ」ではないということだ。で、思ったこと。日本語にすると音符に乗っかる情報量が少ない。元歌は「白いニワトコ(だかライラックだかリラだか)が再び咲く頃」。それが日本語になると、(花名はともかくとして)「白い」と「再び」がカッツアイ(!)されている。いや、相手がドイツ語ならまだよい。これがイタリア語となると、短いセンテンスに膨大な意味を詰め込めるから、日本語にするときは大幅な「カッツアイ」を余儀なくされる。例えば、ヴェルディの「女心の歌」(リゴレット)。始めの8小節を比較してみよう(イタリア語の逐語訳に相当する日本語を括弧でくくる)。「女心はうつろいやすい」(風の中の)、「風の中の羽のよう」(羽のように)、「言ってることの変わること!」(いつも変わる)、「心も変わる」(女心)。という具合。イタリア語で4小節で言ってることを日本語では8小節かけている。

靴屋=ザックス、朝ドラ、横綱の息子等々

2016-10-16 09:46:50 | 音楽
私にとって「靴屋」と言えばハンス・ザックス。マイスタージンガー(ヴァーグナー)の主役で、実在した人物。オペラでもリアルでも靴屋だった。このオペラは題名が表すとおりマイスター(親方)の物語だから、オペラが始まる前の配役でも各登場人物は職業込みで紹介される。「靴屋ハンス・ザックス=誰それ、金細工師ファイト・ポーグナー=誰それ、パン屋フリッツ・コートナー=誰それ」等々。FMでいつもこれを聞いていた。元々の名前が長いのに職業まで言うからかなり時間をとる。その中で異色なのが「市役所の書記ジクトゥス・ベックメッサー」と「若い騎士ヴァルター・フォン・シュトルツィング」。そう言えば、昔のオペラでは職業なんてほとんど聞いたことがないな(ときどき、鳥刺しとかが出てくるが)。王族以外はほとんど貴族だもんな。フェランドやグリエルモなんか姉妹の誘惑のために船出して変装して戻ってきたりしてかなり暇そう。どうやって食ってるんだろう……って、きっと貴族で領地があってそこからの上納金がたんまりあるのだろう。おっと、今日のテーマは靴屋だった。その靴屋がらみの話が最近目に付く。新しい朝ドラで市村正親さんが演じてるのが職人魂の塊のような靴職人だし、昨日の「凄技対決」は靴対決だった。元横綱のお子さんが相撲取りにならずに靴職人になったというニュースもあった(若くして自分の道を見つけるなんて偉い!おじさん、今頃職人になりたかったなーとか思ってる)。さて、ザックスの話に戻る。オペラでは、やもめ(つばめではない。意味がまるっきり違ってしまう)のザックスは若いエヴァに心を寄せながらも(またエヴァが変な秋波を送ったりする)、最後はヴァルターとくっつけてやる。だが、実在したザックスは、なんと40歳も歳下の女性と再婚したのだそうだ。