拝島正子のブログ

をとこもすなるぶろぐといふものを、をんなもしてみむとてするなり

江戸川を渡って

2024-02-05 08:43:34 | 音楽

横野君、とうとう川を渡って麹味噌合唱団(仮名)に歌いに行ったんだって。麹味噌合唱団って季節合唱団。季節合唱団って、ほら、季節鳥はある季節にだけやってくるでしょ?あれと同じで、ある季節にだけ活動する合唱団。横野君、毎回、その季節になると、今季はどうしようかなー、と考えてて、特に、ここんところ、横野君、仙人色が強くなって活動を縮小させてるから迷ったらしんだけど、あまりに動かないと逆にそれがストレスになって体調が悪くなるみたいなんで、結局行ってきたんだとさ。やっぱり仙人にはなりきれないってわけね。で、行ったら、アルトの顔なじみの方々と声を合わせたり(横野君はおかま声だからアルトなの)、お隣のソプラノの美声の方々とハモったりするのが心地よかったんだって。まあ、よかったわね。

横野君が渡った川は江戸川。と言っても漱石の時代の江戸川=神田川ではなくて、東京都と千葉県の県境を流れてて、「チコちゃん」で歌にもなった江戸川のこと。あら、そしたら、漱石の時代、神田川が江戸川なら今の江戸川は何川だったのかしら。大昔は「太日川」と言ったそうだけど、江戸時代には既に「江戸川」になってたらしい。あら、じゃあ、漱石の時代は江戸川が二つあったってこと?そう言えば漱石の「彼岸過迄」に「川甚でウナギを喰う」シーンがあったっけ(注:川甚=帝釈天の先、江戸川べりにあった料理屋さん。数年前に閉店してしまった。あたしが初めて行ったのは閉店の直前)。そこんとこを読めば川の名前が出てくる?で、読んだ。「美くしい広い河」とあるだけで川の名前はなかった。あくまでも漱石にとっての「江戸川」は神田川なのね。因みに、今の江戸川も、荒川と同じで、明治維新後に人が掘って作った「放水路」なんですってね。

で、麹味噌合唱団で歌い終わってから、横野君、一人で、現地の中華屋さんに行ったんだって(それが川を越えた目的の一つでもあるんだって)。あたしの「奥地の家」の駅前の中華は店の人が春節で中国に帰省しちゃってしばらく休んでるんだけど、そのお店は中国の人がやってるんだけど開いてたって。で、頼んだ「キクラゲと卵と豚肉炒め」の写真をあたしに送ってきた。

すごい!卵の量が半端じゃない!同じ料理名でもお店によっていろいろなのねー。例えば、あたしが、川は川でも埼玉県との県境を流れる某川(ドブ川)を渡って行った中華も開いてたんで、やっぱり「キクラゲと卵と豚肉炒め」を頼んだらこうよ。

色が全然違う。こっちは物価(卵の値段)がレシピに直結したのかしら。因みに、こっちのお店では、シェフと店員が中国語で始終大声で怒鳴り合ってた。喧嘩かしら。喧嘩に聞こえたけどあれが普通の会話なのかしら。関西の人が聞くと関東人の会話も喧嘩みたいに聞こえるって言うからね。このお店、普段はもっと人がいるのにこの二人だけだったから一部は帰省してるのかしら、やっぱり。

江戸川を逆に渡ってきてくれたらなー、と思ったのが建築士のM氏。この方に奥地の家のリフォームを頼めたら最高だったんだけど、無理みたい。そうよね。江戸川のあっちから「あたしの奥地」までって言ったら行くだけで半日かかるしね。仕事は信頼できるお友達に頼みたいのが人情。あたし、数年前まで某資格業をしてて、未練なくすぱっと廃業したんだけど、その後何人かに「仕事を頼みたかった」って残念がられた。お気持ちがよく分かりました。



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