拝島正子のブログ

をとこもすなるぶろぐといふものを、をんなもしてみむとてするなり

柱時計

2024-02-06 15:52:55 | 日記

23区でも積雪。あたしなんか神奈川生まれだから雪は滅多に降らなかったし、積もるのはさらにまれ。だから、子どもの頃、雪が積もるほど降るととうれしかったけど、社会人になってから新潟出身の同僚が故郷を振り返って「だけど雪が降るからなー」と残念そうに言っていて、そっか、雪国の人にとって雪は厄介者なんだと知った。たしかに、足立区住まいになって自転車が交通の必需品になってからは雪が降った後のアイスバーンを走れなくて、雪国の人ほどでないにしても雪って厄介だなー、と思うようになりました。

そう言えば、山梨も結構雪が降るんだってね。その山梨らしい村のことを漱石が「富士の北影の焼石ばかりころがっている小村」と書いてるって書いたけど、漱石はさらに続けて「よほど貧しい所と見えて 柱時計を持っている家が一件軒だけで」と書いている。そうよ、昔はそうそう柱時計って買えなかったんだから。それで思い出すのはあたしが子どもの頃、横浜市チベット区に住んでた頃のこと。遊びから家に帰ると母が「正子。四畳半を見てご覧」と言う。見たけど、別段変わったことがないように思えたら、「もっとよく見ろ」という。すると柱に柱時計がぶらさがっていた。母は大得意。わが家にとっては「テレビが来た」「掃除機が来た」「カラーテレビが来た」等々と並ぶ大事件だったわけ。因みに、電話が来たのはあたしが小学校3年生のとき。あたしんちがとりわけ貧乏だったわけじゃないわよ。その当時町中が一斉に電話をひいたのよ。あたし、早速、同級生の昌代さんに電話したもん。そしたら、いきなり昌代さんが出て、あたし、何て言ってよくて分からなくて「昌代ちゃん?」って聞いた。普段、ちゃん付けなんかしてなかったんだけど、なんかそう呼ばなきゃ悪い気がして。そんな具合だから、漱石の小説に電話が出てくるとびっくり。やっぱり漱石って上級国民だったのよね。

「柱時計」で思い出すのは「おおきなのっぽの古時計」って歌。「おじいさんの時計」(grandfather's clock)とも言うらしくて、「のっぽ」から柱時計を連想したんだけど、柱時計で合ってるのかしら。元はアメリカの歌で「ホテルの玄関ロビーに置いてあった動いていない大きな振り子時計」で、おじいさんの身長の1.5倍あったって言うんだけど。ちょっと調べたら、柱時計は柱に掛ける時計で、振り子時計とは振り子によって動く時計。つまり、前者は置き場所による命名で後者は動力による命名。柱時計でもぜんまい式や電池式のものは振り子時計ではなく、振り子時計を柱に掛ければ柱時計になるってわけ。そう言えば、あたしがドイツの「黒い森」のほとりのフライブルクのドイツ語学校に行ったときの自分へのおみやげが「カッコウ時計」だった。あれは柱時計であり振り子時計だったんだけど、こわれちゃって今はもう動かない。動かない点は歌の「おおきなのっぽの古時計」と同じね。



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