拝島正子のブログ

をとこもすなるぶろぐといふものを、をんなもしてみむとてするなり

雨戸

2024-02-07 10:33:12 | 日記

つくづく漱石はエリート層だったと実感する今回の漱石読書シリーズ。こんな感想を持ったの初めて。あたしが、完全に社会の底辺に張り付いた証しかしら。考えてみれば、漱石はプロの小説家になってからはもっぱら朝日新聞で書いていた。当時、新聞はエリート層だけが読んでたというから、エリートの漱石がエリート層のために書いたというのは理の当然ね。

その漱石の書いたものの中に「明治の初年に横浜への移住奨励のため政府が移住者に土地を与えた」ってあった。へー。その当時の人になりたい。そして、横浜の土地をただでもらいたい。でも、横浜と言っても広うござんす。横浜駅があって横浜港(みなとみらい)のある中区、西区があれば、チベット区もある。あ、今はチベット区って言わないか。そう言ってたのは横浜線の小机の先が単線だったときの話(複線になったのはあたしが大学生のとき)。正式名は港北区で(小3か4のとき、「私たちの港北区」ってテキストで郷土の勉強をした)、その一部が別れて緑区になって、あたしんちの住所は緑区になった。さらに二つの区が分割してできたらしんだけど、それは1994年であたしにとっては「つい昨日の出来事」だから詳しいことは知らない。明治初年にただでもらえたのは横浜のどこかしら。そりゃチベット区に決まってるって?でも、今の横浜港のあたりも昔は寒村だったそうよ。

あたしんちがまだ港北区だった頃はね、台風が来るっていうと昼でも雨戸を閉めたの。で、停電になるもんだから真っ暗の中、ろうそくを灯したものよ。当時、雨戸はその名のとおり雨から家中を守る役割があったほか、泥棒よけの意味もあったのよね。漱石の小説にも「雨戸を閉めないと無用心」ってある。今はどうなのかしら。マンションにはそもそも雨戸なんかついてないんだけど、奥地の家にはついてるの。で、行くと、いちいち雨戸を開けて、帰るとき閉めるんだけどなんかめんどくさくて。今のガラスサッシは丈夫でしょ?雨戸なんか閉めなくても、雨も泥棒も防げる気がするんだけどどうかしら。

「めんどくさい」と言えばあさイチの鈴木アナウンサー。鈴木アナウンサーは「めんどくさがり」と「朝ドラを見て泣く」ことで有名。今や、朝ドラののあと鈴木アナウンサーが泣いたかどうかがネットニュースになるくらい。



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