拝島正子のブログ

をとこもすなるぶろぐといふものを、をんなもしてみむとてするなり

深謀遠慮

2023-02-28 11:47:28 | 音楽

昨日の記事について、まず一点補足。野村萬斎で思い出すものがもう一つあった。シンゴジラの歩みは、萬斎氏の動きを元にしているのであった。

それから、一点訂正。「あすか」のテーマ曲のオーボエ・ソロは♯が5つもある、吹けない、私のような者に吹かせないための深謀遠慮か!?と書いたが、ちょっと考えてみたら、冒頭、階名で「ソ↑ファーミー」ということは音名で「♯ファ↑ミー♯レー」と吹くのだが、オーボエはファの♯の指が簡単なのであった。すると、このメロディーをオーボエで吹くからこそロ長調にしたのではないか。ちょっと吹いてみた。

 

あらま。手も足も出ない……というほどではない。♯が5つも!ということで、逆上して毒づいたのだが、早計であった(だいたい、私は早計な人間である(別名「考え無し」ともいう)。やはり、作曲家の先生は、偉大である。

因みに、オーボエをケースから出したのは数か月ぶりである。あれこれ手を出すのはやめよう、絞ろう、カウンターテナーとクラリネットとヴァイオリンとチェロだけにしよう(絞ってない、というウワサも……)、と思い、O子は二度と日の目をみることがないかも、と思ったりもしたが、結構、早い時期に外気に触れさせることになった。そもそも、オーボエを一度だけでいいから触りたい、人生一度きり、後悔のないようにせねば、ということで購入したら、思いのほか、すぐ音が出て、ああ、オーボエっていい音だなぁと思って、で、一度だけで済まずに深入りしたのであった。ま、今回はこれで気が済んだ。また、長いことおねんねしててね。

もう一つ因みに、私の楽器演奏の動画にしても静止画にしても、私を特定できる容姿は映ってない。読者のことを考えての、これこそ深謀遠慮である。なお、カラヤンが映像に凝ってた時期のオケの面々の映し方が同様の感じである。つまり、楽器は大写しなのだが、肝心の奏者は、せいぜい口元まで。名人達のご尊顔を拝むことができない。これはカラヤンの深謀遠慮である。つまり、カラヤンは、目立つのは指揮者の自分だけでよい、と考えていて、それを実践したのである。