拝島正子のブログ

をとこもすなるぶろぐといふものを、をんなもしてみむとてするなり

先生にディスられた生徒の反応

2021-12-28 19:53:00 | 音楽
歌や楽器といった音楽に限らず習い事一般において、先生が生徒を指導するやり方にもいろいろあると思われ。その1。「あら、ちょっと間違ったわね。でもいいのよ。みんなここで間違えるんだから。次、注意しましょうね」評価:甘い。その2。「こらぁ、そこちゃうだろうが。まったくどいつもこいつもここを間違えやがって。ちゃんと弾けっていうの」(例がいつのまにかピアノの先生になっている)評価:厳しい。その3。その2に加えて「ぼこっ」って音がする。つまり先生が生徒を殴っている。評価:厳しすぎ(それで落選した政治家もいた)。その4。「まーた、間違えた。ほんとに下手ね。(聴講生に向かって)みんな聴いた?ホントに下手よね。笑っちゃう。ケケケケケケ」評価:人間性が疑われる。

かように指導方法にもいろいろあるが、その際の先生の思いもいろいろあると思われ。その1。心底、生徒のことを考え、上手くしようと思ってる。その2。ヒエラルキー(プロとアマの階級)が大好きで、先生は生徒をどう扱ってもいいと思っている。指導方法3と4のタイプの多くはこれだろう。その3。おしんタイプ。すなわち、自分が先生からやられたことをそのまま生徒にするタイプ。これは指導方法1~4に適合すると思われ。

さて、これに対する生徒の反応である。その1。やる気をなくす。指導方法その1に対してやる気をなくしたらこれは軟弱にすぎる。だが指導方法2~4に対しては普通に見られる反応である。その2。(指導方法2~4に対して)なにをー、今に見ておれと奮起してより頑張る。先生は、生徒がこういう態度に出ることを期待してこの方法をとるのかもしれない。

以上とは別に、何かを言うのではなく、そのパフォーマンスでもって生徒のやる気をなくさせる先生もいる。例えば、バス歌手のカール・リッダーブッシュが日本に来て音大で歌った際、窓ガラスがビリビリいって半数の生徒はやる気をなくしたそうである。逆に、ようし、自分もがんばろうと思った生徒が半数いたというところが驚きである。

で、私のことである。私は、ここ数年、ディスられてばかり。私がいただいた指導方法は概ね4であり(バカにして笑う)、私の反応は1、つまりやる気をなくす。だが、片っ端からダメだしされるとするものがなくなってくるから最初に戻ってまたがんばったりする(二巡目は多少、評価が上がることがある)。だが、過去をふりかってみると、褒められたこともある。これが面白いのだが、こないだ美女達と話していて、合唱界で有名な某先生はとにかく合唱団員をなじるそうだ。上記の指導方法で言えば4に近いだろうか。だが、そういう風になじられるのが快感となってずっと付いていく団員がいたという。で、私は、ちょびっとだが、その方の指揮で歌ったことがある。すると、まず、ドイツ語の発音練習が終わったとき、私のところにわざわざ見えて「ドイツ語をやってらしたんですか」とお聞きになる。続いて、フシを付けて歌うと(そのときはバスのパート)、やはり私のところに見えて「どこで歌ってらしたんですか」とお聞きになる。私としてはめずらしい褒められた経験であるのと同時に、大きいホールでたくさん人がいるなか、私の発音と歌を聞き分けた先生はすごいと思った次第である。

ミスター・マーサシ(私)

2021-12-28 16:47:54 | 音楽
1956年の「スタア誕生」という映画を見た。自分をスター女優に育ててくれた夫が自殺。失意の女優は引退を考えたが舞台に戻り、そこで「私は、ノーマン・メイン(夫)の妻です」と言って万雷の喝采を浴びて「The End」となる。最後のこの場面のために全編があるかのようなクライマックスだが、「私は、ノーマン・メインの妻です」の箇所、「I am Mrs.ノーマン・メイン」と言った気がして不思議だった。「Mrs.」「Miss」「Mr.」は名字につくものとばかり思っていたからだ。このように、「(夫の)ファーストネイム+名字」にも付くのだな。同様に、朝ドラで、ルイが読んでたO.ヘンリーの小説に、「Missマーサ」ってパン屋の店員さんが登場する。おお、これも、名字ではなく「ファーストネイム」に「Miss」が付いている。因みに、「Missマーサ」に「ター」と「シ」を足すと「ミスター・マーサシ」となって私になる。ところで、O.ヘンリーの小説には、足を洗った元金庫破りが、絶対に再び罪を犯すに違いないと付け狙う刑事の見ている前で、金庫を破って中に閉じ込められていた子供を救出する話があり、これを原作とするエピソードが「おそ松くん」にある。チビ太が元金庫破りで、刑事がイヤミだ。子供を救出した後、手錠をかけてくれと手を差し出すチビ太に対してイヤミ刑事は「ミーはあんたのことなど知らないざんす」と言って去る。そもそも子供を救出するために金庫を開けたところで何の罪にもならないが、この感動的な話の際はそういった無粋なことは言わないでおこう(と言って書いている)。O.ヘンリーの小説、キンドルに入れて読んでみたい……が、キンドルの中は、(読んでもらうための)順番待ちをしている本であふれている。

おやすみ

2021-12-28 06:22:21 | 音楽
「行く年来る年」の「行く年」ってどこに行くんだろう。ゴミ箱の中?(パソコン内の削除したデータのイメージ)「行く」というより「去る」って感じかね(gone、gegangen)。その「行く年」の2021年、私にとっては、母が死に、塩漬けだった○○を処分し、某会を休み、別の会を再開し、楽器を三つ始める等々いろいろあった年だった。もうないだろうと思った昨夜、押し詰まったこの時期に某男声合唱団を退団。いや、しらーと行かなくなって済むんならそうしたけどね、黙ってると団費が発生するからね、退団届を出しました。だから空き巣さん、月曜の夜に来ても私いるからね、こないでね。とにかく、こういう「移動」は精神的にもダメージだからもう御免。来年こそはおだやかにいきたいが……いや、まだある。大物が残っている。今の商売。続けるかどうか。進行中の案件があって年内に決着をつけられなかった。来年、その件が片付いたら考えよう。合唱団も進退を決めなければならないところがまだある。とりあえずは休息。今の気分は「冬の旅」の第1曲(おやすみ~Gute Nacht)である。とか書いてたら朝日が昇ってきた。だから、今言う「おやすみ」は二度寝のための挨拶である。