拝島正子のブログ

をとこもすなるぶろぐといふものを、をんなもしてみむとてするなり

飲む順序

2021-12-24 11:30:25 | グルメ
朝ドラで「スーダラ節」が流れていた。スーダラ節が流行ったのは私が2,3歳のとき。ってことは、ルイは私の親世代よりちょっぴり若いくらいだな。因みに、スーダラ節の♪ちょっと一杯のつもりで飲んでいつの間にやらはしご酒……は私には当てはまらない。私は店に根が張るタイプ。だが、「分かっちゃいるけどやめられない」のは同じである。で、昨日のことだが、サイゼリヤに行こうと思っていたのだが(自分自身のお祝いのためである。因みに、マタイの「Erbarme dich」(憐れみ給え)は、私の涙のために、である)、まてよ、そういえば冷蔵庫にボルドーが入っている。それで祝おう。サイゼはやめよう。だが待てよ(刻々と変わる男心)、あのボルドーを飲んじゃうと、突然any美女を家に連れ込んだとき一緒に飲むワインがなくなる。あのボルドーはやめよう。だが、既に頭の中が家飲みモードになっているから今更サイゼに行く気にはならない。ということで、近くのスーパーでボルドーはボルドーでも一番安めのボルドーを調達し、それで独り祝い酒ということにした(冷蔵庫のボルドーは温存した)。ボルドーとくれば肉。近くのスーパーはいっときステーキ肉を100g200円以下で売っていたが、最近は230円前後(この値段でも、お金持ちが生息する東京西部ではタダみたいな値段だろう)。コロナ禍で輸入肉の値段が上がったというニュースを肌で感じていたが、昨日は久々の199円。逃す手はない。「ロッキー」第1作で、スタローンが食肉冷凍倉庫で肉を叩いてトレーニングをしていると(さぞかし肉は柔らかくなったろう)、倉庫の主が肉塊を切り取ってドンッとプレゼントするシーンがある。そこに赤ワインを加えた光景が私の憧れ。だから、昨夜の食卓(独り祝いの席)は、私にとって理想の組合せであった。スクリューでないコルクは久しぶりである。



左奥のワサビは判別できないだろうな。ところで、赤ワインでステーキ肉をいただくとき、常にあることが問題となる。私は、家では、洋食のときはワイン、中華のときは紹興酒、刺身や焼き魚のときは日本酒を飲むのだが、その「露払い」としてまずビールを飲むことにしている。この順番、すなわち、アルコール度数の軽いビールから重いワイン等へ、という順番は、水が高い所から低い所に流れるごとく、あるいは太陽が東から昇って西に沈むがごとく絶対的である。ところが、ステーキだと困ったことになる。焼き上げて「いただきます」となったとき、肉は熱いうちに食べたい、肉にはワインだ、ということだと、最初にワインを飲まなければいけなくなる。これは私にとっての理(ことわり)に反する。だから、肉を食べる合間にサラダをつまむときそそくさとビールを流し込むといった「小細工」をしていた。ベートーヴェンが、ソナタの第3楽章を伝統に従って「メヌエット」と口では言っておいて全然メヌエットじゃないのと同じである。だが、そうしたベートーヴェンも途中から開き直って、「スケルツォ」と言うようになった。そう、固定観念に縛られる必要はない。ということで、昨夜は完全に開き直って、まず肉とワイン。その後にサラダとビールをいただいた。なんの問題もない。今後、これがわが家のスタンダードになりそうである。話は変わるが、今年、二回目の「本の断捨離」をした。今回は法律関係の本だ。法律の本と言っても偉い学者先生が書いた本は置いとく価値があるが、昔の法改正に関するハウツー本の類いは残しておいても今後読むことはない。どさっと処分した。



その反面、「新西洋音楽史」はこないだ酔っ払って中巻だけ買ったのだが、役に立ちそうなので、上巻と下巻の古本をぽちって補った。



こうして出て行く本があれば入ってくる本もある。だが、全体として輸出超過である。