拝島正子のブログ

をとこもすなるぶろぐといふものを、をんなもしてみむとてするなり

屋形船でする舟歌の会

2021-08-11 06:29:23 | 音楽
Andante Cantabile
もちろん、上記の「アンダンテ・カンタービレ」は当ブログを読むときの速度記号であり、チャイコフスキーの曲名ではない。それにしても「歩く速さで歌うように」とは美しい表現である。さて、昨日記事にした「トロイメライ」(シューマン)は、私の子供の頃のレパートリーの一つであり、ピアノ教室でなんか弾けるものがあったら弾いてごらんと言われて弾いて、先生に「一からやり直しだね」と言わしめた曲である。なにせ、それまでオルガンでばかり弾いていて、ピアノのタッチではなかったので(因みに、ベートーヴェンは子供の頃、教会でずいぶんオルガンを弾いて、そのためピアノの音色が重くなった、となんかで読んだことがある)。だが、どシロートはだませた。学校のエレクトーンが空いていたのでトロイメライを弾いたら音楽の先生以外の先生たちが聞いていて、おっ、弾けるやつがいる、ってことになって、課外授業のキャンプファイヤーでみんなで歌を歌うときにアコーディオンで伴奏することを言いつかった。アコーディオンと言えば、当時、テレビののど自慢で横溝良三さんが伴奏をしていた。リズムだけでなく、調まで歌い手に合わせる人で、歌い手のピッチが途中で下がれば伴奏も演奏中に移調するような超名人だった。あと、アコーディオンではないが、大河ドラマの最後に流れるバンドネオンの音色が素晴らしい。もし、子供の頃、ピアノ教室ではなく、アコーディオンやバンドネオンの教室に行ってたらもう少しモノになったかな?じゃ、今からやれば!? だーめっ。これ以上楽器を増やしてどうする。こないだのフルートとオーボエだって練習の成果を一切出せずに一回戦敗退したというのに。あの直後はもう二度とケースから出すものかと思ったが(それが退会の原因ではない)、二日後にまた吹いたから、心の傷を癒やすのはやはり時間である。家では吹けるのがまた口惜しくもあるが。幸か不幸かしばらく人前で吹く機会はない。その間、しっかり練習して、「本番」でも力を出せるようにしよう。モノを言うのは練習である(と、オリンピック選手も言っていた)。あそこをやめちゃって「本番」があるのかって?なくても「ある」と考えて練習しよう。石田三成は、処刑の直前でも体に悪いものを食べなかった。坂本龍馬は、ドブの中でも前のめりになって死にたいと言った(「巨人の星」に書いてあったことで、真偽のほどは知らない)。いやいや、ないとも限らない。昨日、秘密裏に書いた「エロいかの会」が実現すれば、それがまさに楽器の「本番」の場となるのである(実は、もっと現実味のあるセッションの場がある)。美女と一夜を共にすることや、ロマネ・コンティを飲むことと違い、この会は、実現の可能性のあるトロイメライ(夢想)である。「インベンションとトロイメライの会」もそう。そして「舟歌の会」。みんなでホフマン物語の舟歌を歌う会だが、合唱するのではない。歌うときは、あくまでもソプラノとアルトの二重唱。それを、参加者が組合せを変えていろんな人と歌うのである。男だって参加できる。テナーとバスでも面白いし、こないだのオリンピックでよくみたような男女混合だってよい(その場合、アルトを歌う私(声と性が一致しない)は、男と女のどちらでのエントリーってことになるのだろう)。組合せの数は、参加者の数に順列・組合せで計算しただけある(因みに、競馬で三連単の馬券の数は「順列」で計算し、三連複の場合は「組合せ」で計算する)。その場所として、格好の場を思いついた(これを今朝書きたくて、昨日は早寝をした)。屋形船である!屋形船で隅田川に繰り出して、辛いお水を飲みながら……いや、当然コロナが収束した後の話だから、そのときはもはや「辛い水」などとごまかして言う必要はない……川風にあたりお酒を飲みながら、組合せを変えつつ舟歌を歌い、聴くのである。伴奏はキーボードを持ち込めばいいだろう。まさに「Belle nuit, ô nuit d’amour,」(美しい夜、愛の夜……冒頭の歌詞)。そそる!これは実現させたいし、実現可能だ!