拝島正子のブログ

をとこもすなるぶろぐといふものを、をんなもしてみむとてするなり

子鹿物語

2016-12-04 13:20:11 | 日記

昨日の夕方、また区の屋外スピーカーが大きな音でうなり始めた。なんだと思ったら人探し。どっかのおじいさんが行方不明になったらしい。徘徊か?こういう放送なら有益だ。どんどんやってほしい。母は自分自身の状況を嘆きつつこういう世の中になったのは「年寄りが長生きしすぎるようになったからだ」と妙に理路整然としたことを言う(不思議)。毎朝薬を届ける私に「悪いね」というから、こちらもウォーキングになるし、道すがら写真を撮ったりして結構楽しいのだ、と気休めを言い、カメラの画面で撮った写真を見せる。そしたら最初に出てきたのが運の悪いことにどこかの猫(写真)。花の写真を撮ってたら横に出てきたから思わず撮ったやつだ。母は猫が大嫌い。青くなって、なんだこの写真は?と聞くから、どこかの野良猫、と言ったら、なんで撮るんだ?と聞くから、後で見返して可愛いなぁと思うため、と言ったら、野良猫の写真を見てなんで可愛いなどと思うんだ?とにべもない。この点、私以外の私の実家の家族(亡父、母、妹)はぼけてるぼけてないに関係なく動物に対する情愛が決定的に欠けている(た)。唯一動物好きな私を父は「子鹿物語」と形容したものだ。さて、屋外スピーカーの話に戻る。人探しなら大いにやってほしいが、毎日夕方に流す「お子さんたちは、おうちに帰りましょう」には違和感たっぷり。わが家は埼玉県との県境にあるから、足立区と八潮市の両方の放送が入るのだが、この時期、足立区は4時、八潮市は4時半(一緒に流す音楽が足立区は夕焼け小焼け、八潮市はビゼーのメヌエットなので違いが分かる)。いったい「お子さんたち」はどっちに従ったらいいのだ?そもそも、「おうちに帰る」時間をなんで「お上」が決めるのだ?私が子供の頃なんざ、放課後乾田で野球をして、帰るのはまっくらになってボールがまるっきり見えなくなったときだった。