アウトドアな日常

インドアからアウトドアへのススメ

ゴミ回収と回復ヤマメ

2022年07月23日 | 動画

ゴミ回収と回復ヤマメ

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アオウミガメ

2022年07月16日 | アウトドアエッセイ その2

久米島でアオウミガメが殺傷されて死亡した記事がありましたが、増えすぎたアオウミガメを漁師が処置したようです。

関係記事の読売新聞オンラインでは、

「捕食者おらず、ウミガメのパラダイス」アオウミガメ急増で食害 希少海草群生地消失の危機…沖縄・西表島」

https://www.yomiuri.co.jp/local/kyushu/news/20220627-OYTNT50087/?from=yhd&ref=yahoo

NPO法人「日本ウミガメ協議会」前会長で、環境省のハンドブック作成にも携わった亀崎直樹・岡山理科大教授( 爬虫はちゅう 類学)は「明らかになっていないだけで、影響はほかの南西諸島や小笠原諸島にも広がっている可能性がある。(各都道府県が定めている)捕獲制限を緩めるなどして、適正な数にコントロールする必要がある」と指摘する。(上の記事より)

といったものがありました。

追記

思い出したのが、昔あったイルカの追い込み漁のことでした。「ザ・コーブ」という映画にも映し出された壮絶な光景でした。当時を振り返った漁業者は、あのやり方は間違えだったと振り返っています。

事前に環境庁の指導を仰ぐことも必要だったと思いますが、難しい問題です。

 

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民を殺す国

2022年07月15日 | 本と雑誌 その2

「民を殺す国・日本(足尾鉱毒事件からフクシマへ)」(大庭健著)を読む

題名は、田中正造が議会で使った「財用を濫(みだ)り、民を殺し、法を乱して、亡びざるの国なし」(88ページ)からの引用と思われます。

明治以降、日本は工業立国を目指しました。その負の遺産が公害問題、自然破壊、人々の命の犠牲を強いられました。

足尾鉱毒の場合は、山林が禿山となり、洪水が生まれやすくなり、鉱毒が田畑にもいきわたるようになってしまいました。

渡良瀬川流域では、魚、昆虫類の激減、名産のアユは1882年(明治15年)には漸減し、1885年には消滅したそうです。(71頁)

急ぎすぎた工業化へは当時の文士たちも反対の声を上げていたと思います。内村鑑三は「デンマルクの国の話」という話の中で、工業化とは違う酪農、漁業、農業などの立国の提言もしています。(102頁)

行き過ぎた工業化は、「3.11東フクシマの原発事故は、官産政学の癒着による構造的な無責任、集合な不作為が累積した結果であり、その原型は、はるか遡って足尾にまでいたる」(247頁)と記しています。

戦争に関しても論じられています。日本の戦争責任として「東京裁判」(戦勝国による裁判)がありますが、日本人の手による戦争責任が論じられていないことに、構造的な無責任体質がうまれてしまったのだろうか・・(ドイツは自国でナチスの戦争責任を追及しています)

 

以下は「オーストリア皇太子の日本日記」から訳者あとがきより

皇太子フェルディナントの言葉「広がる稲田のなか、あちこちに無数の池や沼が点在していた。灌漑のためのものだ。・・・・この一点を見ても、日本の稲作、すなわち最も主要な農業生産分野について一定の結論に達することができる。ゆたかな稲作は日本の農業を特徴づけるものだ。・・・園芸とでもいうべき農耕が支配的である」

1870年のプロイセン日本遠征隊に参加した農学者ヘルマン・ロマンの言葉、人間が唯一の肥料製造者であり土壌を収奪するという思想を持たない理想的農法であり「この国民は、農業を最高に完成した段階に維持することについてよく知っている」と語った。

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明治のころの川の様子

2022年07月11日 | 川を考える

「オーストリア皇太子の日本日記」の中に、下のような記述があります。

「きょう鵜飼が行われた川は皇室の所有ということだが、獲物は岐阜市や鵜匠のものだそうだ。この川のみならずほかの川も、魚の豊富さはほとんど夢物語に近い。その証拠には、こうした鵜飼は、五か月間というもの、明月の夜以外は毎夜おこなわれ、しかも一晩になんと五千から一万もの魚が獲れ、それがただちに氷詰めにされて全国に発送されるそうだ。こうして狩猟のような漁ーー鵜は手当たり次第に獲物を漁る最悪の漁師だがーーが展開されているにもかかわらず、魚の生態数は決して減ることはない。禁魚期もなければ、養殖施設のようなものもないことを思うと、日本の河川は魚類にとって生息条件がいかに有利かわかるし、とくに、工業施設による水質汚染が皆無か、あるいはヨーロッパの程度までに至っていないということだろう」

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生き物たちへの敬意

2022年07月01日 | 本と雑誌 その2

「後悔するイヌ、嘘をつくニワトリ 動物たちは何をかんがえているのか?」(ペーター・ヴォールレーベン著)を読む

ドイツの森林官である著者の本を読むのは3冊目になる。

あとがきより「シカやイノシシ、カラスは自分自身の生を完璧に生きている。彼らはその生を楽しんで生きている。それを理解した者はたぶん、あの小さなゾウムシ、古い森の落ち葉のなかを楽し気にはい回っているゾウムシだって、敬意を払うことができるのだ」

「動物にも感情があると認めることへの拒否反応にたびたび接していると、人間がその特別な地位を失ってしまうことへの不安感がそこには見え隠れしているなと、ふと感じることがある」

豚に対して「自分の子供に教育を施し、その子たち自身の出産を助け、自分の名前を聞き分け、ミラーテストに合格する彼らの姿を知ったうえで、EU内だけで毎年二億に千万頭の豚が解体処理されている事実を前にすれば、ちょっと背筋が寒くなる」

「今の世界をともに生きるものたちと付き合う中で、それが動物であろうと植物であろうと、彼らへの敬意が少しでも戻ってくれればいいなと、ということである」

世の中には、こうした素晴らしい人物がいるのだなと再認識しました。

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