写真左は松下村塾(しょうかそんじゅく)です。
吉田松陰の私塾で以外と小さいなあという印象を受けました。
でも、皆、志しは大きく、無私な人達の青春の場だったのでしょうね。
写真右は萩市の町並です。
堀があり、鯉が泳いでいます。身近に生命が育んでいるというのは好きです。
同じような町並で津和野が近くにありますが、そちらは訪れることはありませんでした。
この時代は、今のように交通の便がよくありませんから、皆、よく歩きました。
歩くことが、現在の電波の役割だったのでしょうね。
東京、大阪間の飛脚の料金が現在の価値に直すと50万円位だったといいます。
アルバイト的に手紙を届けるということもあったのかもしれませんね。
歩くことに価値があって、現在のように健康としか価値がないのとは大違いだ。^^