MAICOの 「 あ ら か る と 」

写真と文で綴る森羅万象と「逍遥の記(只管不歩)」など。

海自下総航空基地開設55周年と「基地記念祭」

2014年09月11日 | あらかると

海上自衛隊下総航空基地が今年で開設55年となる。
その記念行事が9月27日に下総基地で行われ一般公開される。

巻頭の写真は、50周年記念行事のときに撮ったもので、
主翼が写っているのはUS-2型救難飛行艇で、
奥に見えるのが、YS-11(ノーズがオレンジ)とP3Cオライオン。

式典も見学でき、軍艦旗(旭日旗)が懐かしかった。


記念行事は9月下旬に行われ、当日に予定がなければ自転車で基地まで行き、
航空機などを撮っているが、
主目的はかってこの基地で出会ったことのある「同僚や知人探し」。
が・・・・
およそ50年前のことなので、まだ出会うことは出来ていない。


体験搭乗などもあり、応募すれば抽選であたる可能性もある。
しかし、YS-11が引退してしまったので、搭乗出来る人も少なくなっている。
下の写真は体験搭乗でYS-11に乗り込む当選者達。


で・・・・
私が着任していのは1965年夏からの約2年半で、
当時は下の写真のように「基地記念祭」で、「祭」だったのである。

写真はゲストの「中村晃子」で、
大ヒットした「虹色の湖(この歌で第19回NHK紅白歌合戦に初出場)」はこの翌年ぐらいのヒットだった。
Netで調べてみると今年66歳とか・・・・光陰如矢と言うけれど・・・・。


私が所属していたのは第51航空隊で別名「実験飛行隊」と呼ばれ、
テストパイロットによる新機種のテストや、
ヘリによる曳航や着艦テストなどが行われていた。
当時の整備士待機所から撮ったS2Fトラッカーとエプロン。


年頭に初飛行するP2VとS2F。
尾翼のマークは第51航空隊のマークで、
VとXによるデザインで「勝利と開発」を意味している。


所属中は「整備士」の資格だったが、
時には搭乗することもあって、整備を担当した航空機にはすべて乗っている。

下の写真のT34メンターは2人乗りのパイロット訓練用機で、
これに搭乗した時は、
パイロットが「操縦してみないか」と操縦桿から手を離してしまった。
5分ほど操縦桿を握ったが、ラダー(水平尾翼)の操作しか出来なかった。
機はやや右に傾き、空気中を横滑りした。


当時は基地大運動会などもあって、
幟を立てたり、ひな壇を作ったりの応援合戦もすごかった。
後方に数棟隊舎が写っているが、今はすべてビルになり昔の面影は殆ど無い。


当時のV107による輸送艦曳航実験。


9月27日は当然基地に赴く予定であるが、
昔の「同僚や同期や知人」が来ていたとしても、
50年も会っていないので、直ぐ隣にいても判らないかもしれない。
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