
この国は75歳を超えると「後期高齢者」というラベルが貼られる。当事者は「前期と後期に何の違いがあると言うのだ」と戸惑うのだが、境界を何年か過ぎてみると、確かに「心身ともに変化したかもしれない」と思うことはある。「心」は好奇心の低下や感受性の摩滅、「身」は体力の低下を顧みれば反駁しようがない。私の場合、それは展覧会への関心が薄れる形で現れた。それでも「日本人はどこから来たか」などと問われると、奮い立つのである。

上野の国立科学博物館で「古代DNA―日本人のきた道」展が開催されると知り、私は奮い立った。いささか出不精になっている己を鼓舞し、花見の雑踏が鎮まったことを見計らって上野公園にやって来たのである。これまでは考古学が頼りで、朧げであった旧石器時代の人間の姿が、DNAの分析技術が飛躍的に発展したことで、近年、人類学の手法からアプローチするがことが可能になったのだ。その成果を見せようという意欲的な特別展であるらしい。

会場に入るとすぐに柩のような大きさの透明なケースが置かれ、人骨の全体像が横たわっている。この種の展覧会はどうしても骨格が主要な展示物になるわけで、いささか気味が悪いけれども覗き込む。薄い土色に変色した頭蓋骨から胴部の骨が、脚の一部を欠いてほぼ完全に並べられている。2008年、石垣島東部の白保竿根田原洞穴遺跡で発掘された多くの人骨の中の、全身骨格が揃った4号人骨だ。模造とは書いてないから本物なのだろう。
(白保竿根田原洞穴遺跡4号人骨 約27000年前の旧石器時代の男性 複顔)
この「白保4号」君のDNA分析が成功したことで、日本列島における旧石器時代人の核ゲノム情報が初めて明らかになった。30万年前にアフリカで誕生した現生人類(ホモ・サピエンス)は、6万年前にアフリカを出てユーラシア大陸に拡散、2万年かけて日本列島に辿り着いた。「白保4号」君は南方から海を渡ってきたその子孫で、2万7000年前に石垣島で生きた男性であった。自然洞窟の中で、他の人骨と共に埋葬されたような形跡だった。

私は「岩宿の発見」のころに生まれた若造だから、日本に旧石器時代人がいたことは確認されたものの、その人骨は「地質のせいで残り難い」とされ、考古学者が懸命に探索を続ける時代を生きてきた。だから旧石器時代の実態は、三ヶ日原人などそれらしい痕跡が発見されたりしたものの、あくまで朧げであった。それが石垣島で、一気に全身骨格が発見されゲノム解析に成功したというのだから、科学の発展は素晴らしい。長生きしてよかった。

私は白保4号君以上に会いたい女性がいた。「最古の土偶」かもしれない滋賀県相谷熊原遺跡出土の土人形である。胴体部分しか残っていないが、その豊満で柔らかなフォルムはドキドキするほど見事なのだ。だが1万3000年前の塑像が、全高3.1センチという小ささであることは驚きだ。ウィーン自然史博物館の2万4000年前のヴィーナスも11センチと小型であった。太古のアーティストは、なぜこれほどに極小の造形に挑んだのだろう。
ゲノム解析に成功したからといって、「日本人はどこから来たのか」が全て解明されたわけではない。研究者はあくまで慎重で、断定を避ける。まだまだ研究は続き、私の寿命は尽きるのだろう。モヤモヤした気持ちで公園内の「ミロ展」に転戦する。「空前の大回顧展」と謳うにはいささか物足りなかった。それにしても「DNA展」の入場者がほとんど男性であったのに対し、「ミロ展」は圧倒的に女性が多い。この違いはどこから来るのか。(2025.4.16)



(北海道礼文島船泊遺跡23号人骨 約3600年前の縄文時代後期の男性 複顔)
(鳥取県青谷上寺地遺跡 約1800年前の弥生時代の男性 複顔)



上野の国立科学博物館で「古代DNA―日本人のきた道」展が開催されると知り、私は奮い立った。いささか出不精になっている己を鼓舞し、花見の雑踏が鎮まったことを見計らって上野公園にやって来たのである。これまでは考古学が頼りで、朧げであった旧石器時代の人間の姿が、DNAの分析技術が飛躍的に発展したことで、近年、人類学の手法からアプローチするがことが可能になったのだ。その成果を見せようという意欲的な特別展であるらしい。

会場に入るとすぐに柩のような大きさの透明なケースが置かれ、人骨の全体像が横たわっている。この種の展覧会はどうしても骨格が主要な展示物になるわけで、いささか気味が悪いけれども覗き込む。薄い土色に変色した頭蓋骨から胴部の骨が、脚の一部を欠いてほぼ完全に並べられている。2008年、石垣島東部の白保竿根田原洞穴遺跡で発掘された多くの人骨の中の、全身骨格が揃った4号人骨だ。模造とは書いてないから本物なのだろう。

この「白保4号」君のDNA分析が成功したことで、日本列島における旧石器時代人の核ゲノム情報が初めて明らかになった。30万年前にアフリカで誕生した現生人類(ホモ・サピエンス)は、6万年前にアフリカを出てユーラシア大陸に拡散、2万年かけて日本列島に辿り着いた。「白保4号」君は南方から海を渡ってきたその子孫で、2万7000年前に石垣島で生きた男性であった。自然洞窟の中で、他の人骨と共に埋葬されたような形跡だった。

私は「岩宿の発見」のころに生まれた若造だから、日本に旧石器時代人がいたことは確認されたものの、その人骨は「地質のせいで残り難い」とされ、考古学者が懸命に探索を続ける時代を生きてきた。だから旧石器時代の実態は、三ヶ日原人などそれらしい痕跡が発見されたりしたものの、あくまで朧げであった。それが石垣島で、一気に全身骨格が発見されゲノム解析に成功したというのだから、科学の発展は素晴らしい。長生きしてよかった。

私は白保4号君以上に会いたい女性がいた。「最古の土偶」かもしれない滋賀県相谷熊原遺跡出土の土人形である。胴体部分しか残っていないが、その豊満で柔らかなフォルムはドキドキするほど見事なのだ。だが1万3000年前の塑像が、全高3.1センチという小ささであることは驚きだ。ウィーン自然史博物館の2万4000年前のヴィーナスも11センチと小型であった。太古のアーティストは、なぜこれほどに極小の造形に挑んだのだろう。

ゲノム解析に成功したからといって、「日本人はどこから来たのか」が全て解明されたわけではない。研究者はあくまで慎重で、断定を避ける。まだまだ研究は続き、私の寿命は尽きるのだろう。モヤモヤした気持ちで公園内の「ミロ展」に転戦する。「空前の大回顧展」と謳うにはいささか物足りなかった。それにしても「DNA展」の入場者がほとんど男性であったのに対し、「ミロ展」は圧倒的に女性が多い。この違いはどこから来るのか。(2025.4.16)







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