宮古とはどんな街だろう。40年も昔のことになるが、盛岡に出張した折り、宮古に駐在する先輩がたくさんの海の幸を担いでやって来てくれて、「地方は面白いぞ」と気炎を吐いた。それ以来、宮古は関心のある街になったのだが、訪れる機会がないまま津波被害を耳にすることになった。今度の北三陸の旅の終着として、宮古の駅に降りた。盛岡行きの列車まで3時間ある。案内所で市街地図を入手し、中心商店街らしき通りに向かった。 . . . 本文を読む
三陸鉄道の田老駅は、入り江を囲む街の後背地にある。高台だから津波もここまでは達しなかったというが、ホームから東の街並みはすべて波にさらわれ、海まで遮るものはなくなった。その海に向かって、幼児がしきりに「じいじいー」と呼びかけている。あたかも海で被災した祖父を偲んでいるかのような光景だが、聞けばそうではなく、里帰りした母子を迎えに来るジィジィが、大漁なのだろうか、海からの戻りが遅れているのだという。 . . . 本文を読む
「三陸海岸」が始まる八戸から、ローカル線を乗り降りしながら南へ、海と松林とトンネルと、そしてたまに現れる小さな集落を通り過ぎながらやって来た久慈は、ずいぶん大きな街のように見えた。私の眼が都市に飢えていたのだろう、街を歩いて間もなく「そうではない」ことに気づかされた。街の疲弊は隠しようもなく、地震の傷も未だ重苦しく漂っているようである。しかしそんななかでも、とびっきりの笑顔に出会える私は幸せだ。 . . . 本文を読む