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ROSSさんの大阪ハクナマタタ



その昔、神武天皇は東征に際し、熊野から吉野を通って大和に入ったと言われていますが、吉野山は日本史の大きなイベントの中に、何度も登場しています。

吉野山上からの展望



672年、大海人皇子(のちの天武天皇)は、大津の都を離れて出家、吉野山に隠棲していましたが、兄の天智天皇の死の知らせを受けて兵を上げ、大友皇子を倒して政権を握っています。(壬申の乱)

吉野駅のホーム



1185年、源頼朝の追討を受けた義経と弁慶らは、吉野山で愛妾の静御前と別れて東国へ脱出したと言われています。

近鉄特急



壬申の乱から664年後の1336年、建武の新政(中興)に失敗した後醍醐天皇(1288~1339年)は、神器を持って京都から吉野山に逃れ、ここに約60年間も続く南朝が開かれていました。



今年はその南朝が開かれてから673年、紅葉には早かったですが秋の休日を利用して吉野山を散歩してみました。

吉野駅



大阪阿部野橋駅から近鉄特急で僅か1時間15分、世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部となっている吉野山の入り口吉野駅に到着です。

吉野駅前



この日の天気は、前日の天気予報が外れ、曇り空で写真撮影にはかなり悪い条件となりました。



吉野駅からロープウエイに乗れば、あっという間に、吉野山山上駅に着き、そこから尾根伝いに続く道を先に進むと金峰山寺の総門とされる黒門です。



さらに歩くと、日本三大鳥居の一つとされる金峰山寺の銅鳥居(かねのとりい、高さ8,2m、柱間7,4m)発心門が見えてきます。



この鳥居は、752年に開眼供養があった東大寺の大仏を鋳造した余りの銅で造ったという伝承があるようですが、1348年足利幕府の高師直、高師泰兄弟の吉野山攻撃で焼け、室町時代に再興されたものと言われています。



これで念願の日本三大鳥居をすべて紹介することができましたが、天気が悪いので写真がいまひとつです。


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