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ROSSさんの大阪ハクナマタタ



古い時代の都は、東西と北に山があり、南が開けた3つの山で囲まれた(三山鎮)という土地に置かれることになっていたようです。

北から見た船岡山



初期の藤原京は、東の天香具山、西の畝傍山、北の耳成山の三山に囲まれた土地にあり、耳成山から南に向かって朱雀大路があったとされています。

船岡山の三角点(標高111,89m)



平城京は、東の若草山、西の生駒山、北は、平城天皇陵という山に囲まれた土地にあります。

平城宮大極殿北にある平城天皇陵



平安京の三山鎮は、東の大文字山、西の愛宕山、北がこの船岡山で、朱雀大路も船岡山を起点として南に延びています。

船岡山から見た京都市街地の南



応仁の乱では、備前国守護の山名教之や丹後国守護の一色義直らが船岡山一帯を陣地としたため、この地域は後に「西陣」と呼ばれるようになったようです。

船岡山から見た京都市街地の南西



船岡山に登ってみると、京都市街地のほぼ全体が見渡せる絶好のビューポイントで、先の戦争(京都では応仁の乱のこと)で西軍がこの地を確保した理由が良くわかります。

船岡山から見た京都市街地の南東



秀吉は、船岡山を織田信長供養の寺の用地と定めましたが、秀吉が亡くなったために寺院は完成しなかったようです。

参道



しかし、船岡山は江戸時代を通じて信長公の霊地として大切に保護されてきたようです。

拝殿



明治維新後間もない明治2年、明治天皇は信長を顕彰する神社創立を宣下し、建勳神社の神号が与えられています。

本殿



1876年には船岡山中腹に社殿が建てられましたが、その社殿は1910年に船岡山の東山上に移転、現在の社殿は建築後100年という比較的新しいものです。

拝殿



さて、建勳神社のある場所から船岡山山上西側に移動すると、三角点と展望台があり、西に左文字、北西に舟型という送り火の場所が良く見えます。

左大文字



またここから眺めると、平安京が3つの山で囲まれ、南が開けた三山鎮の地相にあることが良くわかります。


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