野鳥・旅行・観光・テニスなど趣味の写真ブログ
ROSSさんの大阪ハクナマタタ



昨日の記事からの続きとなりますが、通天閣の前進は、第5回内国勧業博覧会(1903年開催)に設置した集客用の展望台、大林高塔(高さ約50m)といわれています。

1923年のパノラマ地図にある初代通天閣



設置者は、現在の大林組の創業者大林芳五郎(1864~1916年)で、創業僅か11年という若い会社(当時は大林店)が博覧会の目玉となる高塔を自費で建築したようです。

2代目通天閣



大阪ではじめてのエレベーターは、この大林高塔に設置され、会期中に11万人を動員した実績が、初代通天閣(1912年完成、高さ75m)の設置に繋がったようです。

通天閣の足元



さて、1909年に内博跡地に「天王寺公園」が開園、残った土地を「大阪土地建物」に一括払い下げ、大阪土地建物は、新世界と呼ぶ大勧楽地(テーマパーク)をそこに建築しています。

1918年の地図にあるルナ・パーク(左側)



1911年(明治44年)には、阪堺線の恵美須町駅が完成、大阪南部や堺から新世界への交通アクセスができあがっています。

阪堺線の恵美須町駅



新世界の北半分は、「パリ」をモデルにし、エッフェル塔を模した通天閣の足元から、道路を三方向の放射状に延ばし、その放射状道路は100年を経た今も残っています。

放射状道路



通天閣の南、ルナ・パークと呼ぶ遊園地の周囲には芝居小屋や映画館等が軒を並べ、市電の恵美須町駅から人々の波が絶えなかったといいます。

地下鉄恵美須町駅と通天閣本通



また通天閣の塔とルナパークとは、短い「ロープ・ウエィ」で結ばれていたようで、最初のパノラマ地図に描かれています。

新世界商店街



天王寺公園の西、新世界の東側の内博跡地には、1915年に天王寺動物園が開業、子供連れの大阪市民が珍しさから連日詰めかけたようです。

新世界からの天王寺動物園入り口



動物園の東側には、住友吉左衛門の閑静な住宅地(1918年の地図参照)がありましたが、周囲が騒がしくなったため、1926年に土地を大阪市に寄贈、跡地は天王寺公園となっています。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )